ども。カッコつけマンこと桐生です。
この「カッコつけマン」というのは小4の頃に好きだった子につけられたあだ名なのですが、私はいわゆるナルシストでした。
今はハゲたこともあり大分マシになりましたが、若い頃は上辺ばかり気にするタイプだったので精神年齢が人よりも低めです。
そんな私は15才の頃にグレました。1人でアパートに住んでいたので仲間の溜まり場になり、高校は半年で辞めました。
そんな私が21才の時に聞いて以来、15年たった今でも忘れられない台詞があります。それはバイト仲間のバンドマンから聞いた言葉でした。
忘れられない言葉
『俺はなるべくしてヤンキーになったわけじゃないやつが大嫌いなんだよ。』
つまり家庭環境や周りの大人や仲間との関係性なんかでグレたんじゃなくて、ヤンキーになりたくてなったみたいなやつが嫌いという話でした。
彼の性格を知らないと伝わりにくいと思いますが、要は『甘えてるやつが嫌い』というニュアンスの言葉です。
若くして高い目標や困難な道に挑む人間がいます。彼もまたバンドで成功するという高い目標に向かって精進している最中でした。
その頃ちょうどバンドを辞めたばかりだった私には、チクリと刺さる言葉でした。
目標に向かう環境の違い
高い目標というのは人それぞれで、一流大学を目指す人もいれば、若くして独立を目指す人もいます。
オリンピックで金メダルを獲ること。プロのスポーツ選手になること。そんな一般的にいえば誰から見ても立派な目標もあれば、バンドで成功すること。ブログで飯を食うこと。そんな一般的には受け入れられにくい目標もあります。
この「立派な目標」と「受け入れられにくい目標」との違いを考えてみると、目標に対しての努力や過程が評価されるかどうかも違う気がします。
それともう1点思うことは、師がいるかどうかの違いです。
多くの場合、勉強やスポーツには先生や監督といった師にあたる存在がいますが、起業や音楽で成功するという過程には、学校で学べる人以外はコネでも無い限り師にあたる存在がいないことの方も多いでしょう。
成功への助言も歩む道を見守ってくれる人もない状態で、甘えなく目標に突き進める人は少ないです。だから甘ったれた状態でも夢を目標として公言する人間がいて、結果として失敗するケースが多いのではないでしょうか。
これが目標に向かう姿勢が評価されるかどうかの違いに表れているような気がします。つまり、成功率の低さ故の『無謀だ』という意見と、甘ったれが多いが故の『お前も夢見てるだけだろ』という批判です。
師がいれば必ず成功するというわけではありませんが、孤独な状態で突き詰めて目標を追える人間というのは一握りだと思いますし、その頑張りが正しい方向に向かっているのかを教えてくれる人がいないという環境の違いです。
あなたには恩師と呼べる人がいますか?
私には恩師と言える人がいません。もちろん尊敬できる人はたくさんいますが、恩師と呼べる人はいません。そして、それが自分の弱みであり強みでもあると思っています。
自分は師がいなくても目標に甘えなく立ち向かえると言っているわけではなく、少なくとも自分で考えて行動することは続けてきたという意味です。とはいえ私は根っこが褒めて欲しい願望を持つ甘ったれなので、やはり恩師がいる人が羨ましくもあります。
仕事を長く続けられるかどうかにも師の存在は大きいような気がします。尊敬する上司が辞めたら私もやめる!というタイプの人は、間違いなく師を必要とするタイプでしょう。逆にそんなこと関係なく仕事を続けられる人は、独立しても努力し続けられるタイプなのかもしれません。
そして、私は本来師を必要とするタイプの人間です。弟子入り制度がある業界に身を投じるならば話は別ですが、学校を中退するというのは「恩師を得る機会の損失」にもなりかねません。
学校という場で必ず良き恩師に恵まれるというわけではありませんが、ドロップアウトして社会人になってから恩師を得るというのは、それ以上に難しいことです。
誰しも道を誤ることはありますが、私のように自分のナルシシズムや環境の変化によって、自分に合わない道を歩まざるを得ない情況になる可能性もあります。
それはそれで楽しいから、質が悪いですけど。
喋るように書けたらいいのになぁ。
— 桐生貴政@唄うブロガー (@mtkiryu) 2016年10月11日
おしまい。
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