私はびっくりするぐらい無趣味でした。
好きなことと言われると食べることと寝ることぐらいしかマジで思いつかないレベルの無趣味でした。
料理が趣味といえば趣味だけど、凝ったものは作らないし、それぐらい日常的にみんな作ってるだろうみたいな。
お酒が好きといえば好きだけど、毎日飲み歩いてめちゃくちゃ詳しい先輩を思い出しては、
「私は節約のために控えてもなんとも思わない程度の情熱だし。」
とか。とにかく何をやってもどこか冷めていて、情熱がないのです。
子どもの頃好きだったことが今やりたいことのヒントになるとか言うけど
私は思い出してみても情熱のない子どもでした。
初めての将来の夢は「南の島で小さな小舟を漕ぐお船屋さん」。
雄大な海を眺めて観光客2、3人乗せるだけで一日終わっていいなと思っていました。
なんなんだよそれ。お前本当に子どもかよ。
次の将来の夢は「お姫様」。
おしゃれして座ってるだけで身の回りのこと全部やってもらえていいなと思ってました。
どんだけ怠惰で生産性ないんだよ。
理性的に考えるとどんどんなんにも興味なくなる
物事を好きと表明する以上、そこには責任が生じると思っていました。
具体的には、「好き」と言っておきながらその分野について全然詳しくないというのはまずいと思っていました。
そして何事も没頭できない性分の私としては、何ひとつ詳しくなんてなれないので、結果永遠に好きなことなど現れないのでした。
そしてそういう自分をますます退屈に感じるのでした。
好きになりたい気持ちを忘れよう
もう私はあきらめました。
ないものは出ない。無味乾燥な人間なのでしょうがない。
あきらめてひたすら食べては寝て、その都度気が向いたことをやることにしました。
ちょっとバイトしてる程度の生活だと基本的に暇なので、そのうち嫌でもなんかやろうと思い始めます。
料理しよっかな。ハーブ育てよっかな。
ブログで愚痴ってもキリないし先人の考えを本で読もうかな。
あーでもつかれた。めんどい。休もう。
化粧水手作りできないかな。
どこまでの日用品が手作りできるのかな。
あ、庭のハーブ使えるじゃん。そのうち手作り化粧水に混ぜよう。
……あれ? これ、ひょっとして結構凝ってる方なんじゃない?
読書の方も、少ないですが本を読んで書評などを検索するうちにインターネットサークルのようなものを見つけ、それに参加して人と話すようになりました。
もちろん私が一番何も知らないので教えられてばかりですが、みんな優しくて楽しいです。
本当にその趣味を愛する人というのは、にわかでも趣味に興味を持った人間をバカにしたりはしないものです。
おかげで私も以前よりは、その分野に関して知識が増えました。
さいごに
こうして私にはいつの間にか趣味らしきものができました。そして結果的に、
「そういえば子どものころ調味料でもねるねるねるねでもなんでも混ぜるのが好きだったな。」
ってことを思い出しました。
頭でっかちに理性的に「私ガ子ドモノ頃好キダッタモノー」とか考えてもさ、そんなこと思い出せないわけよ。
ただ今でもべつに何かに没頭しているわけではないし、どれもその道の人からすれば全然詳しくないけれど、捉え方を変えれば趣味とカウントできるものは案外多いなってかんじです。
そういう意味では見方によっては今でも無趣味です。
趣味とか好きなものがないって思うとき、なんだかそれに期待しすぎてるんじゃないかなと思います。
そりゃあ、のめりこんだら何日も没頭して帰ってこないような人もいるけれど、それは趣味を通り越してもはや才能です。
でもただの趣味に才能はいらないし。
深く考えずそのときやりたいことをしていたら、そのうち周りがそれを「趣味」と言い始める。
やりたいこととか夢とかでお金をもらう人が目立つようになってから、「好きなこと」が何かとても遠いもののように感じられるようになってしまったけれど、趣味なんて本来はたいしたことないものではないかなと最近思うようになりました。