長嶋的、野村的 (PHP新書) | |
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元プロ野球選手で、
スポーツジャーナリストの青島健太氏の著書『長嶋的、野村的』を読みました。
青島氏のコラムも独自の目線で面白いのでチェックしてみて下さい。
→ http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20090323/140605/
“トップアスリートの決断の裏には、野性と知性の強烈な葛藤がある。
勝負を決するのは直感なのか論理なのか。局面に応じたプロの行動学。”
といった内容で、本の中では、様々なトップアスリートの行動学を紹介しています。
その中で、私が一番印象に残っている件(くだり)があります。
一部抜粋してご紹介します。
“取り組み後、インタビュアーが、「やはり勝たなければいけませんものね」
と聞くと、白鵬が思いもよらぬことを言ったのだ。
「いや、自分は勝たないように相撲をとりました」
「それは、どういうことですか?」とインタビュアーが聞き返す。
「勝ちにいこうとしないということなんですが、これは奥が深くて話すと長くなるので、
違うときにゆっくり話します」と横綱。
「勝ちにいこうとしない」
勝ち負けを争う大相撲で、勝ちにいかないとはどういうことなのだろうか?
しかも、横綱はいつでも勝つことを宿命付けられているはずだ。
しかし、白鵬は勝たないように相撲をとっているという。
横綱の話を聞いて思い出したのは、柔道の野村忠宏選手のことだった。
その野村選手がこんなことを言っていたことがある。
「戦う相手のことは、ほとんど研究しません」
つまり、どうやって勝つかを考えないというのだ。
すべては、畳に上がってから……。
試合が始まり、
相手と組み合ったときの印象や手ごたえの中で何をすべきかを考えるというのだ。
いや、考えるではない。
この場合は、反応するといったほうがよいだろう。
いわゆる言語的思考としての考えるではなく、
指先や身体が感じる情報に思考を挟まず反応する。
野村選手の得意技は、背負い投げ。
しかし、決してそれにこだわることはない。
得意技ばかりに執着することの危険性をよく知っているからだ。
“得意技”を別の言葉で言い換えれば、もしかすると「強引」になるかもしれない。
「強引」には、その状況に潜む危険性を見えなくさせる怖さがある。
なぜなら、「強引」は自分本位の動きだからだ。
相手の体勢や、心理に鈍感になってしまう落とし穴がある。
また、小生が取り組んだ野球にも同様の心理がある。
打者でいえば、「ホームランを打ちたい」という気持が曲者(くせもの)だ。
結果としてのホームランは誰でも打ちたい。
それが、投手に勝つということだから。
ところが、ホームランにこだわる気持には驕(おご)りがある。
下手をすると自分本位の強引な態度になってしまう。
それを相手に見抜かれたときには、その心理を突かれて術中にはまることになる。
大切なことは、臨機応変、泰然自若。
もちろんそこには、さまざまな駆け引きがあるが、
勝ちたいという気持が強く働きすぎると、強引な自分に気がつかなくなる。
勝負事では、それが一番危ない。
横綱・白鵬が「勝ちにいかない相撲」を意識することで戒めているのは、
勝とうとして強引になる自分自身の欲なのだろう。
しっかりと相手を見て落ち着いて相撲をとる。
そして、相手が強引に来たときほどチャンスがある。
そこを臨機応変に攻める。
そのチャンスは、自分本位に勝とうとする者には感じられない。
だから横綱は、勝とうとせずに自分の中の感度をいかに高めるかということに、
意識を集中させているのだろう。
これは、我々の日常でもよくあることだと思う。
自分たちの得意技を生かそうとするときに周りが見えなくなる。
そこには「勝ちにいく(得意技)=強引」の危険性が常に潜んでいる。
自社製品に自信を持つ営業マンの押しの強さが、
相手から嫌がられるのもよくあること。自分の得意なことばかりを話して、
相手の話を聞かないというセールスや商談に商機(勝機)は薄い。
勝ちにいこうとするとき、得意技を仕掛けようとするとき、
気をつけないと我々はいつしか自分たち本位の強引さの中にいる。
まずは、相手や環境をしっかりと受け止める。
そして、課題とチャンスを的確に感じ取って、そこから戦いを作っていく。
最初から勝ちたい一心で、自分本位にいくと周りが見えなくなってしまう。
「勝ちにいかない」という白鵬の態度は、状況の中でニーズ(チャンス)を感じ取り、
臨機応変に対応するオールラウンドな勝ち方(横綱相撲)なのだろう。”
最近、個人的に感じているのが、勝つことよりも、負けないこと。
私自身、気負い過ぎると、自分で足元をすくわれることがあります。
ハートは熱く、でも頭は冷静に。行動はコツコツと。
これが自分らしさのように感じています。