目的達成のためには手段を選ばない、冷酷無比な暗殺者たち
暗殺という手段は、自分や自国に脅威となる政敵や他国のVIPを葬ることができる有効な手段であります。
日本の歴史でも暗殺は数多く、神話にもヤマトタケルノミコトのクマソ暗殺の話があるし、1960年には日比谷公会堂で浅沼稲次郎が右翼青年に日本刀で暗殺されています。世界史で見たら、カエサル、張飛、ガンジー、ケネディなどなど重要人物だけでも枚挙にいとまがありません。
共通の敵を倒すために複数の人物が共謀して当たるケースは多いものの、別にそれを専門にしていたわけではありませんから、成功確率はかなり低かったに違いありません。緻密な作戦と殺害技術の習得が求められたでしょう。
今回はそんな「暗殺」のプロフェッショナル集団として、数々の暗殺を行い恐れられたグループを紹介します。
1.ヴィーシャ・カンヤ(インド)
古代インドの毒殺少女集団
ヴィーシャ・カンヤは、古代インドの毒物学を扱う「アガドタントラ」という書物に記述がある美少女のみで構成される暗殺集団で、王や領主がライバルを殺すために使っていたそうです。
ヴィーシャ・カンヤは将来の暗殺者として、幼い少女で近い将来美少女になりそうな少女を養育する。少女たちは、幼い頃から毎日毒を少しずつ飲まされ、毒に対する免疫を手にする。
そして依頼主の王の指令で敵の王の元に赴く。王に気に入られて周囲に侍ることができたら、頃合いを見て食べ物や飲み物に毒を入れて同じ器で食す。免疫のない王は毒で死んでしまうが、免疫を持っている少女は助かり、まさか毒の入った食べ物を一緒に食べた少女が犯人だなんて誰も思わず、疑いがかかる確率も低かったというわけです。
別のバージョンだと、少女に事前に性病や血液感染症に感染させておき、敵の王を病気にして殺してしまうというもの。
いずれにしても、今の感覚からしたら全く信じられない存在です。
2. ヴェアヴォルフ(ドイツ)
Photo from Military History Now
ナチスが連合軍VIP暗殺のために創設した部隊
ヴェアヴォルフとは「狼男」「人狼」というような意味で、ヒトラー・ユーゲントや親衛隊のメンバー約5,000名で構成された暗殺・テロ専門グループ。
彼らは連合軍に占領された地域において、サボタージュや狙撃、それに要人暗殺や列車爆破などを行い後方撹乱を行いました。
最も有名な暗殺事例が、アーヘン市の市長で反ナチの左派政治家フランツ・オッペンホフを暗殺したこと。オペレーション・カーニヴァルという作戦コードで、実行者はドイツ兵パイロットに偽装して倒れたふりをして市長を待ち伏せ、近づいたところで起き上がって弾丸を命中させました。
ナチスによる組織的な統制が行われていただけに、連合軍はかなりの被害を出したそうです。
3. サラソタ暗殺結社(アメリカ)
Image from Sarasota History Alive
北部アメリカの「嫌な奴ら」の排除を目指した結社
この物騒な名前の結社は、1884年に「サラソタ警戒委員会」という名前で成立されましたが、ニューヨークタイムズ紙によって「サラソタ暗殺結社」という名前で紹介され有名になりました。
22名のメンバーのうち2名が殺人容疑で指名手配されていました。
南北戦争の終結後、連邦出身の政治家が南部の利権を牛耳るようになり、旧南部の既得権益者たちは怒りに震えていた。
サラソタ暗殺結社はそういう南部の声を背景に「北の嫌な奴ら」の強制排除を目指して暗殺活動を行っていました。
彼らによってどれだけの「嫌な奴ら」が排除されたのかは不明ですが、リーダーのチャールズ・アビーが何者かによってメキシコ湾に沈められて以降は活動は停滞し崩壊しました。
4. ブラック・ハンド(セルビア)
Credit: Wikimedia
サラエボ事件にも大きく関わった過激派セルビア民族主義団体
ブラック・ハンドは1911年に「統一セルビア王国」の創設を掲げて結成された過激派セルビア民族主義団体。
彼らは、当時セルビアを支配していたオーストリア=ハンガリー帝国の要人暗殺を通じてセルビア民族主義を高め、独立につなげようと様々なテロ・暗殺活動を行っていましたが、皇帝フランツ・ヨーゼフ暗殺も、ボスニア・ヘルツェゴビナ総督オスカー・ポティオレク将軍暗殺も失敗に終わっていました。
ブラック・ハンドのメンバーの中にはセルビア軍の人間もおり、実質的なユース組織として「青年ボスニア」を支援しており、セルビア右翼青年をテロ活動に当たらせていました。史上名高い「ボスニア事件」で、皇太子フランツ・フェルディナントが青年ボスニアのメンバー、ガヴリロ・プリンツィプに暗殺され、これがきっかけとなって泥沼の第一次世界大戦に突入していきます。
戦後、セルビア人がイニシアチブをとる連合国家ユーゴスラヴィアは独立を果たしたため、彼らの目的はある意味達成されたと言えるのかもしれません。
5. ナカム(イスラエル)
Credit: *1
暗殺でナチスへの復讐を行った秘密組織
ナカム(Nakam)ともノクミム(Nokmim)とも言われたイスラエルの秘密結社で、その意味は「復讐」。旧ナチス関係者を暗殺することを目的としていました。
1950年代に活発に活動を行っていたそうですが、どれくらいメンバーがいたのか、何人の人間が殺されたかなど、あまり分かっていないことが多いそうですが、BBCの取材によると、ナカムの暗殺方法は「ヒット・エンド・ラン」で、ゲシュタポの所長の暗殺も彼らが行ったそうです。
彼らはグローバルに活動しておりそのやり方は苛烈で、ある時は特定に人物を殺害するために周辺住民も飲む水源に毒をぶちこもうとしたこともあったそうです。が、これは失敗に終わりました。
6. 暗殺教団
神のために殺人を行う狂信的イスラム異端一派
11世紀ごろに現在のイランで活動していたのが、ハサン・サッバーフという名の男によって創立された、イスラム教シーア系イスマーイール派の異端「暗殺教団」。
彼らは険しい山岳地帯にあるアラムート城にこもり、セルジュク朝と戦い続けましたが、彼らの得意とした戦法が暗殺。
暗殺教団では「暗殺で敵を殺すことは神を喜ばせること」と教えられており、宗派の若者に犯行前にハシシ(大麻)を吸い意識を混濁させて勇気をつけ、短刀一本で迷いなく暗殺を行いました。
彼らは最終的にモンゴル軍によって殲滅されてしまうのですが、マルコ・ポーロが暗殺教団の噂を「山の老人伝説」として尾ひれをつけて伝えて以降、ドラッグと女に囲まれた怪しい秘密の楽園伝説が西洋人を惹きつけました。
かのイザベラ・バードもこの伝説に魅せられイラン旅行を行っています。
詳細はこちらのサイトが詳しかったです。
7. 殺人株式会社(アメリカ)
Photo from "The Combination: Original Murder Inc." Hubpages
電話で殺人を請け負っていた犯罪シンジケートの殺人部門
殺人株式会社(Murder, Inc)は、1930〜40年代にアメリカ東海岸で400〜1,000程度の暗殺を行った暗殺集団で、国際犯罪シンジケートの殺人部門として機能していました。
本部はブルックリンにある24時間営業のコンビニエンスストア「ミッドナイト・ローズ・キャンディ・ストア」で、殺人依頼はコンビニ店への電話で受け付け。
依頼を受けた翌日にはターゲットの人物を始末し、報酬を受け取っていました。
依頼主はほとんどがギャングで、殺人株式会社のヒットマンは主にアイスピックを用いて犯行を行い、狙われたのは依頼主の敵のギャングか、あるいは不幸なことにギャングの犯行を目撃してしまった一般市民もターゲットになりました。
1944年にリーダーであるユダヤ系アメリカ人ルイス・ブカルターが電気椅子で処刑され組織は壊滅したのですが、逮捕令状は麻薬取引で彼が実際に殺人株式会社で誰を殺したかや、誰とつながっていかなど永久に分からなくなってしまいました。
「お電話ありがとうございます、殺人株式会社です」
とか、星新一のショートショートみたいな世界ですね。
まとめ
現在の価値観だと、暗殺なんてひどいことを、と思いますが有効な手段の一つであった時代や地域も多くあったし、一概に「ひどい」という言葉一つで片付けられない場合もあります。
暗殺者の命を道具にしか思っていないその手段はちょっとどうかと思いますけど、現在の自爆テロはターゲットだけでなく周囲の人間も巻き込もうとしてるから、現在のほうがよっぽどタチが悪いといえると思います。
参考サイト
"10 Deadliest Assassin Organizations In History" LISTVERSE
*1: Подпольщики вильнюсского гетто. В центре стоит Абба Ковнер, Work by : peut-être un résistant ou un sympathisant,