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フィーライン・アイズ

「好きなものは好き」と主張するハイパーな雑記ブログ

しくじり先生に出てた野沢直子さんにすごく共感した話

妙香のひとりごと

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しくじり先生は好きな番組

 

こんばんは、秋吉妙香です。

 

最近、テレビがつまらないなどど言われていますが、

なかなかどうして、探してみれば面白いものもあるんですよ。

 

テレビ朝日(5ch)の「しくじり先生」は、

いろんなジャンルの有名人が自身の失敗談を語る番組なんですが、

私はこれが気に入って、たまによく観ています。

 

www.tv-asahi.co.jp

 

昨日放送された野沢直子さんのお話に共感したので、

ちょっと感想を書きたいと思います。

 

小学校の時から「超絶おもしろ女子」

 

野沢直子さんは1963年3月の生まれで、

よしもとクリエイティブ・エージェンシーに所属する女芸人です。

ちなみに、叔父さんは声優の野沢那智さんです。

 

かつては大変な人気を誇った時期があったんですが、

あることがキッカケ(後述)でアメリカに渡り、

現在は夏場だけ日本に帰ってきて芸能活動をしています。

 

彼女は小学校の頃から人を笑わせるのが大好きで、

クラスの人気者として活躍していました。

 

自分のネタが誰かに受けることをうれしく思った野沢さんは、

やがて「お笑いの道」に入ろうと決意します。

 

東京農業大学第一高等学校在学時に、

所ジョージが司会を担当していた素人参加番組、

『ドバドバ大爆弾』(テレビ東京系)に出演。

 

その様子が、大御所お笑いタレントの目に止まり、スカウトされ、

1983年に芸能界デビュー。

一時期劇団テアトル・エコーに入団するも、

芸風が合わなかった為にあっさり退団。

 

その後、叔父の野沢那智吉本興業木村政雄に、

野沢を紹介したことがきっかけで吉本興業に入社。

 

吉本興業に所属してからは、

突拍子もない話術、奇抜な服装等で話題となり、

同年代のダウンタウンウッチャンナンチャン

清水ミチコと共演したコント番組、

夢で逢えたら』(フジテレビ系)などの人気番組に出演する。

 

野沢直子 - Wikipedia

 

野沢さんは学生時代からお笑いに関しては「破竹の勢い」で、

若手芸人としての下積みや挫折を経験することもなく、

芸能界での仕事を次々に得て行きました。

 

テリー伊藤さんと組んだ番組では、

かなり過激なパフォーマンスをやったこともあるそうです。

 

ところが、ダウンタウンのメンバーらと共演した「夢で逢えたら」で、

彼女は大きな壁に当たってしまったんですよ。

 

井の中の蛙だったことに気づく

 

夢で逢えたら」は深夜23時30分からの放送だったんですが、

20%以上の視聴率を誇る人気番組でした。

 

その収録現場で野沢さんは、

他の共演者との実力の差を感じて、ひどく落ち込んでしまったんです。

 

せっかく考えたネタを披露しても、

リハーサルの場でスタッフが笑ってくれません。

ところが他の共演者の時はものすごく受けるんです。

 

また台本に「刑事(デカ)」とだけ書いてあるのを見た共演者のひとりが、

その言葉からイメージを大きく膨らませて、

ロボット刑事」のパフォーマンスをしました。

 

しかし、勢いとノリだけで芸をしてきた野沢さんには、

その人のような想像力はありませんでした。

 

悩みに悩んだ野沢さんはとうとう、

「私ってどこが面白いんだろう?」と自分を見失ってしまい、

お笑いのことも「怖い」と思うようになってしまったんです。

 

野沢さんはその時はじめて、

自分が「井の中の蛙」であることに気づきました。

 

でも、そこからどうすればいいのかは、

まだわからなかったんですよ。

 

すべてを捨ててアメリカに渡る

 

野沢さんは所属事務所に休養を申し出ました。

「芸を磨く修業をしたいから1~2年時間をください」と言ったんです。

 

でも、本音では実力の差を見せつけられてしまった、

他の共演者たちから逃げたかったんですよ。

 

いくつものレギュラー番組を抱えて人気絶頂だったので、

突然の渡米にはマスコミなどから様々な憶測が流れ、

「失恋が原因だったのでは?」とも言われました。

 

蓄えはきちんとあったものの、

頼りになるのはニューヨークにいる知己だけで、

英語も全く話せない状態でした。

 

さらに腹話術や大道芸に挑戦しますが、

ネタはいずれもアメリカ人には受けず、

気づけば8年という月日が流れてしまっていました。

 

そんななか、彼女は「夢で逢えたら」を手がけた、

放送作家の人と再会して意外な話を聞いたんです。

 

天才と思った彼らも同じように悩んでいた

 

実は野沢さんが叶わないと思った他の共演者たちも、

夢で逢えたら」の制作中には同じようなことで苦しんでいたんです。

 

【どうすれば、視聴者が笑ってくれるネタになるのか】

 

お笑いにはこれだという正解はありませんから、

中には円形脱毛症(10円ハゲ)になるまで悩んだ人もいたんです。

 

野沢さんが「夢で逢えたら」をやめると知った他の共演者たちに、

スタッフは代わりのメンバーを入れようかと言ったらしいんですが、

彼らは「野沢がいつでも帰ってこれるように席は空けておく」と、

彼女への思いやりを忘れていなかったんです。

 

私はこの場面で涙が出ましたね。

 

野沢さんは他の共演者に嫉妬と羨望の思いを持っていたんですが、

ここではじめて自分の甘さに気づいて反省できたんですよ。

 

何でもできて恵まれているように見える人でも、

そういった風になるまでは影でものすごい努力をしていたり、

いろんな葛藤と戦ったりしているんですよね。

 

彼女は最後にこう言っていました。

 

【ダメな自分を認めることでしか見えないこと、学べることもあると思う。

一番悪いのはダメだと思って、その場から逃げ出すこと】

 

数日前まではてなから逃げたかった

 

ここからは筆者の話になるので、

読み飛ばしていただいても構いません。

 

野沢さんの話に共感したのは、

私が先日、彼女と同じような経験をしたからなんです。

 

読者さんや知ってるブロガーさんに次々とはてブがつき、

中には50~100という方もいらっしゃいました。

スマートニュースに記事が複数掲載された人もいたんですよ。

 

そんな状況を見た私の心の中は

「焦り・不安・嫉妬」という黒い感情が嵐になって渦巻きました。

 

【私には知識も文才もあるのに】

 

これはまさに「井の中の蛙」だった野沢さんと同じで、

ブログというものに真剣に向き合っていなかったからなんです。

 

『自分は何のために記事を書くのか』

 

それがまったく見えていないから、

他の人の動向が気になってしまったんですね。

 

書くことやブログが本当に好きで仕方がない人は、

他からの評価がどうだろうと収益がどうだろうと、

何も考えずに淡々と書き続けることができるんですよ。

 

野沢さんが壁に当たって挫折したとき、

楽しいはずのお笑いに恐怖を感じたように、

私も「人に認められたい」と思う反面、

「ディスられたらどうしよう」と怯えるようになりました。

 

だから本音で勝負することができず、

共感を得る記事を書くことができませんでした。

 

でも、もう大丈夫です。

 

野沢さんにとって松ちゃんやウッチャンはライバルではなく、

本当は彼女を気遣う仲間であったように、

私にも応援してくれる読者さんがたくさんつきました。

 

その中には共通の話題で盛り上がったり、

きちんと双方向で意思の疎通が行える方もいます。

 

これは本当に大きな安心感を与えてくれました。

 

それでも、自分のバックボーンに引け目を感じていたので、

少し前までは「本当にここにいていいんだろうか」と考えていたんです。

 

妙香のまとめ

 

人間は誰しも挫折や失敗をするものですが、

その時にどういう生き方をするかで、その後が大きく変わってきます。

 

野沢さんの言うように、

『自分は駄目だ』と思った時に逃げ出さなければ、

その後にいくらでも巻き返すチャンスは訪れますね。

 

私のはてなライフはまだ3ヶ月なので、

末永くここにいられるよう心を鍛えていこうと考えています。

 

いつも応援していただき本当にありがとうございます。

 

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