引き出物が話題になる披露宴も久しぶりだなー、とぼんやりワイドショーを眺めている。
水素発生器……。
いまだ水素水すら飲んだことがないのだが、体にいいとかそうでもないだとか、ちょっと検索するとあれこれ出てくる。もし私が神経質な方ならば、「ああ、もう誰が言ってることがホントなんだかわからない!」と気に病んだだろうか。
幼児期の子どもは、なぜあんなに質問を四六時中親にぶつけてくるのだろうか。
自然の摂理から科学的要素を含むもの、さらには哲学まで。
育児というのはあらゆるジャンルの戦いを全方向から同時に挑まれている、総合格闘技に近い。こちらだって、子どもを育てるのは初めてだし、専門外のことにはさほど詳しくもない。それなのに「お母さん」というだけで、日々発生する子どもの疑問・質問・トラブルを片っ端からやっつけていかねばならない。
≪親として必要なスキルに、瞬発力とマネジメント能力、圧倒的な脳内データ量がある……だなんて、産む前に誰も教えてくれなかったではないか≫
自信のない分野で責任を背負って、いつも精神的にパツパツな現状に対して、「お困りですね? 教えてあげますよ!」と強いリーダーシップを示されたら、ついていってしまうかもしれない。それが多少「おかしいな?」と思う説明だったとしても。
最近話題になっている本『各分野の専門家が伝える 子どもを守るために知っておきたいこと』(メタモル出版)を読んだ。著者陣には、同じくメタモル出版から出ている「専門医ママ」シリーズの面々が名を連ねている。
事典代わりにおいておきたい「専門医ママ」シリーズに対して、本書は「リテラシーを身につけるための教科書」という雰囲気だろうか。ネットを眺めていると近年定期的に上がってくる、“あんな話“や“こんな話”について、各分野の専門家の視点から言及されており、興味深い。
先日来、麻疹のアウトブレイクが話題になっている。
その前は風疹がはやり、予防接種を受けていなかった特定の年齢層を中心に感染者数が増えてしまった。
我が家には現在、もうすぐ6歳になる長男と1歳半を過ぎた次男がいるのだが、その二人の年齢差でも、今は乳児の定期予防接種の種類がかなり増えていて驚いた。
かつて長男が罹患し、家族全員が感染して非常に苦しんだロタウイルスも、今は予防接種がある。そのおかげなのか、次男はひどい胃腸炎にかかることもなくここまで来ている。
子どもを6年近く育ててみて、保育園に預けなくてはいけないという前提もあるが、子どもの体調管理を徹底するようになった。子どもの病気が重症化するとどうなるかを、身をもって知っているからだ。
可能なかぎり任意で有料でも予防接種を打つことにしているのだが、どうもそうではない人の話というのも、巷では聞く。
「水ぼうそう、注射よりかかっちゃったほうがいいっていうから、うつしてもらおうと思って。」
仮に、共働き家庭の保育園児が水ぼうそうを発症したとしよう。完治に1週間ほど要するので、バッファを見て10日間休んだとする。実際には土日が入るが、仮に10営業日と換算し、手取り20万としてもその半分である。約10万円。
……「10万あったら何が買えただろう」と考えてしまうのだ。
筆者は母乳が多く出る方であったが、様々な事情を考慮して混合栄養をチョイスした。
帝王切開だったので、新生児室でミルクをあげてもらう機会が多く、母乳をあげつつミルクも足すことに違和感がなかったのだが、その他の理由としては、保育園に預けるのが前提だったことと、夫や私の母親たちにも育児に参加してもらいたかったこと。
それから、「どうせ完母でも完ミでも文句言うやつは言うんだから、どっちもです!って言えば外野が黙るんじゃないか」と思っていたこと……。
“ケミカルは毒”という極端な話をするのではなく、なんかもうちょっと“いい感じのグレー”というか、うまい落としどころがないものかと、ネットで論争を見かけるたびに思っている。
そのためには、科学的にどうなのか、医学的にどうなのか、エビデンスはどうなのか、など、妄信的ではなく多角的な視点を養うことも必要になってくるのだろう。
来年小学生になる子を持つ身として興味深かったのは「教育」の項である。
「江戸しぐさ」、「1/2成人式」など、自分が小学生の時にはなかったことがたくさんある。
おとなになった今では、「学校で習うことがすべてではない」ということを知っているが、小学生くらいで「授業で習ったことがじつは真実ではない、もしくは世間が是としているものではない」ということにどのくらい気づけるのだろうか。
筆者の通っていた高校には個性の強い教師が何故か集まっており、“社会的思想の強い先生”というのも何人かいたのだが、高校生になるとこちらも知識武装しているので、「はいはい、いつものやつ」と、その状況を楽しめる余裕があった。
しかし、小学生ではまだ「先生の言うことは絶対」になってしまわないだろうか。
小学校も学校公開を年に数回行っているものの、未就学児親からすれば、まだクローズドな雰囲気があるし、入学前に授業内容や学校の雰囲気をどこまで知ることができるのか、説明会でどこまで切り込めるのかは未知数だ。
親がきちんと学校で教える内容をチェックする(=していないとなんか怖い)という意味では、この手のイベントが年にいくつか計画されていたほうが、学校にコミットする機会ができていいのかもしれないが、それはあまりにもポジティブすぎる発想の転換だろうか。
子どもを育てる上で、母乳問題やワクチンに関すること、口から入る栄養のことや、育児に関わる様々な“リテラシー”について、ある時期まではさほど考えることもなかった。
知識もろくにないまま出産して、親に言われたことや巷で言われている説に「へー、そうなんだー」と、なんとなく過ごしていた。「産後1ヵ月は外に出ちゃダメ」と母親に言われて、実家の寝室で新生児とサシで鬱々としていたのも懐かしい。
0歳児を抱えて2011年の3.11を迎えて以降、農家を営む義実家のある場所について、いろんな人がいろんなことを言った。そこからすべてをフラットな気持ちで見るようになって、本当はどうなんだ、ということが気になりはじめた。
そういえばあの頃、予防接種後に乳児が死亡したというニュースがあり、接種見合わせになったりもしていた。
とりわけ2010年度に出産した人々は、なにかしらの思いを抱えてこの6年近くをやってきたのではないだろうか。
育児の方針というものに疎かった筆者であるが、あの日以降、大きく人生の舵を切った知人も少なくはなく、私の育児はこれでいいのだろうか、子どものためになっているのだろうか……と考えることも増えた。
そこに関しては今も軸はぶれたままで、“親として”というより“人として”生きよう、そしてそのさまを子どもに見せよう、という思いが強くなっている。親だからって私が別にえらいわけでもないし、今はただ、未開の地に行って水道をプレゼントするより、井戸の掘り方を教えるようなことをしたいと思っているのだ。
先日、ネットの一部で“親になる資格”の話が話題になったが、仮に資格があるとすれば、外野から何か言われた時に、「うっせえ、黙っとけ!」と言い返せるだけの強さを持つこと、俯瞰の視点を持つことの2点ではないだろうか。
それを今言えるのは、私自身が複数の子を育てるなかで、育児という行為に慣れてきたし、子どもの数に比例して神経が図太くなってきたからというのはあろう。
日本の育児は各個人の成功・失敗体験の積み重ねでここまで来てしまい、エビデンスが残っていない、伝聞が繰り返されて都市伝説が多数発生している、などの問題が炙りだされて、ちょうど転換期に来ているのかもしれない。
会社だったらそんなふわっとした引き継ぎはありえないし、“サンプル数=1”や“2”のデータなど、データとして認めてもらえない。
その都市伝説を、信じるか信じないかはあなた次第だが、“何か”に振り回されない検索力は、親として今後求められるのではないだろうか。
なお、『各分野の専門家が伝える 子どもを守るために知っておきたいこと』にはITリテラシーについての話題がなかったのだが、そこを掘るとそれだけで1冊書けるボリュームになってしまうのだろう。続編があればぜひネット界隈の専門家によるものも期待したい。
水素発生器……。
いまだ水素水すら飲んだことがないのだが、体にいいとかそうでもないだとか、ちょっと検索するとあれこれ出てくる。もし私が神経質な方ならば、「ああ、もう誰が言ってることがホントなんだかわからない!」と気に病んだだろうか。
■なにかと“リテラシー”を求められる、21世紀に親になる私たちへ
幼児期の子どもは、なぜあんなに質問を四六時中親にぶつけてくるのだろうか。
自然の摂理から科学的要素を含むもの、さらには哲学まで。
育児というのはあらゆるジャンルの戦いを全方向から同時に挑まれている、総合格闘技に近い。こちらだって、子どもを育てるのは初めてだし、専門外のことにはさほど詳しくもない。それなのに「お母さん」というだけで、日々発生する子どもの疑問・質問・トラブルを片っ端からやっつけていかねばならない。
≪親として必要なスキルに、瞬発力とマネジメント能力、圧倒的な脳内データ量がある……だなんて、産む前に誰も教えてくれなかったではないか≫
自信のない分野で責任を背負って、いつも精神的にパツパツな現状に対して、「お困りですね? 教えてあげますよ!」と強いリーダーシップを示されたら、ついていってしまうかもしれない。それが多少「おかしいな?」と思う説明だったとしても。
最近話題になっている本『各分野の専門家が伝える 子どもを守るために知っておきたいこと』(メタモル出版)を読んだ。著者陣には、同じくメタモル出版から出ている「専門医ママ」シリーズの面々が名を連ねている。
事典代わりにおいておきたい「専門医ママ」シリーズに対して、本書は「リテラシーを身につけるための教科書」という雰囲気だろうか。ネットを眺めていると近年定期的に上がってくる、“あんな話“や“こんな話”について、各分野の専門家の視点から言及されており、興味深い。
■母乳信仰、ワクチン問題……乳幼児育児中に陥りやすいもの
先日来、麻疹のアウトブレイクが話題になっている。
その前は風疹がはやり、予防接種を受けていなかった特定の年齢層を中心に感染者数が増えてしまった。
我が家には現在、もうすぐ6歳になる長男と1歳半を過ぎた次男がいるのだが、その二人の年齢差でも、今は乳児の定期予防接種の種類がかなり増えていて驚いた。
かつて長男が罹患し、家族全員が感染して非常に苦しんだロタウイルスも、今は予防接種がある。そのおかげなのか、次男はひどい胃腸炎にかかることもなくここまで来ている。
子どもを6年近く育ててみて、保育園に預けなくてはいけないという前提もあるが、子どもの体調管理を徹底するようになった。子どもの病気が重症化するとどうなるかを、身をもって知っているからだ。
可能なかぎり任意で有料でも予防接種を打つことにしているのだが、どうもそうではない人の話というのも、巷では聞く。
「水ぼうそう、注射よりかかっちゃったほうがいいっていうから、うつしてもらおうと思って。」
仮に、共働き家庭の保育園児が水ぼうそうを発症したとしよう。完治に1週間ほど要するので、バッファを見て10日間休んだとする。実際には土日が入るが、仮に10営業日と換算し、手取り20万としてもその半分である。約10万円。
……「10万あったら何が買えただろう」と考えてしまうのだ。
筆者は母乳が多く出る方であったが、様々な事情を考慮して混合栄養をチョイスした。
帝王切開だったので、新生児室でミルクをあげてもらう機会が多く、母乳をあげつつミルクも足すことに違和感がなかったのだが、その他の理由としては、保育園に預けるのが前提だったことと、夫や私の母親たちにも育児に参加してもらいたかったこと。
それから、「どうせ完母でも完ミでも文句言うやつは言うんだから、どっちもです!って言えば外野が黙るんじゃないか」と思っていたこと……。
“ケミカルは毒”という極端な話をするのではなく、なんかもうちょっと“いい感じのグレー”というか、うまい落としどころがないものかと、ネットで論争を見かけるたびに思っている。
そのためには、科学的にどうなのか、医学的にどうなのか、エビデンスはどうなのか、など、妄信的ではなく多角的な視点を養うことも必要になってくるのだろう。
■小学校は伏魔殿? 近年行われる“謎授業”あれこれ
来年小学生になる子を持つ身として興味深かったのは「教育」の項である。
「江戸しぐさ」、「1/2成人式」など、自分が小学生の時にはなかったことがたくさんある。
おとなになった今では、「学校で習うことがすべてではない」ということを知っているが、小学生くらいで「授業で習ったことがじつは真実ではない、もしくは世間が是としているものではない」ということにどのくらい気づけるのだろうか。
筆者の通っていた高校には個性の強い教師が何故か集まっており、“社会的思想の強い先生”というのも何人かいたのだが、高校生になるとこちらも知識武装しているので、「はいはい、いつものやつ」と、その状況を楽しめる余裕があった。
しかし、小学生ではまだ「先生の言うことは絶対」になってしまわないだろうか。
小学校も学校公開を年に数回行っているものの、未就学児親からすれば、まだクローズドな雰囲気があるし、入学前に授業内容や学校の雰囲気をどこまで知ることができるのか、説明会でどこまで切り込めるのかは未知数だ。
親がきちんと学校で教える内容をチェックする(=していないとなんか怖い)という意味では、この手のイベントが年にいくつか計画されていたほうが、学校にコミットする機会ができていいのかもしれないが、それはあまりにもポジティブすぎる発想の転換だろうか。
■“あの日”以降の子育て
子どもを育てる上で、母乳問題やワクチンに関すること、口から入る栄養のことや、育児に関わる様々な“リテラシー”について、ある時期まではさほど考えることもなかった。
知識もろくにないまま出産して、親に言われたことや巷で言われている説に「へー、そうなんだー」と、なんとなく過ごしていた。「産後1ヵ月は外に出ちゃダメ」と母親に言われて、実家の寝室で新生児とサシで鬱々としていたのも懐かしい。
0歳児を抱えて2011年の3.11を迎えて以降、農家を営む義実家のある場所について、いろんな人がいろんなことを言った。そこからすべてをフラットな気持ちで見るようになって、本当はどうなんだ、ということが気になりはじめた。
そういえばあの頃、予防接種後に乳児が死亡したというニュースがあり、接種見合わせになったりもしていた。
とりわけ2010年度に出産した人々は、なにかしらの思いを抱えてこの6年近くをやってきたのではないだろうか。
育児の方針というものに疎かった筆者であるが、あの日以降、大きく人生の舵を切った知人も少なくはなく、私の育児はこれでいいのだろうか、子どものためになっているのだろうか……と考えることも増えた。
そこに関しては今も軸はぶれたままで、“親として”というより“人として”生きよう、そしてそのさまを子どもに見せよう、という思いが強くなっている。親だからって私が別にえらいわけでもないし、今はただ、未開の地に行って水道をプレゼントするより、井戸の掘り方を教えるようなことをしたいと思っているのだ。
先日、ネットの一部で“親になる資格”の話が話題になったが、仮に資格があるとすれば、外野から何か言われた時に、「うっせえ、黙っとけ!」と言い返せるだけの強さを持つこと、俯瞰の視点を持つことの2点ではないだろうか。
それを今言えるのは、私自身が複数の子を育てるなかで、育児という行為に慣れてきたし、子どもの数に比例して神経が図太くなってきたからというのはあろう。
日本の育児は各個人の成功・失敗体験の積み重ねでここまで来てしまい、エビデンスが残っていない、伝聞が繰り返されて都市伝説が多数発生している、などの問題が炙りだされて、ちょうど転換期に来ているのかもしれない。
会社だったらそんなふわっとした引き継ぎはありえないし、“サンプル数=1”や“2”のデータなど、データとして認めてもらえない。
その都市伝説を、信じるか信じないかはあなた次第だが、“何か”に振り回されない検索力は、親として今後求められるのではないだろうか。
なお、『各分野の専門家が伝える 子どもを守るために知っておきたいこと』にはITリテラシーについての話題がなかったのだが、そこを掘るとそれだけで1冊書けるボリュームになってしまうのだろう。続編があればぜひネット界隈の専門家によるものも期待したい。
ワシノ ミカ 1976年東京生まれ、都立北園高校出身。19歳の時にインディーズブランドを立ち上げ、以降フリーのデザイナーに。並行してWEBデザイナーとしてテレビ局等に勤務、2010年に長男を出産後は電子書籍サイトのデザイン業務を経て現在はWEBディレクター職。 |