先日、土日を使ってsabacurryと奈良旅行へ行ってきた。奈良は中学ぶりだから数年しか経ってないけど、すごく昔のことに感じられた。
sabacurryは何にでも一家言を持とうとするタイプで―中年の男の人にはありがちだが―、でも今の私にそれは嫌じゃなかった。
初日は昼過ぎに奈良についた。ご飯をどこで食べようかと迷った挙句、アーケード街にあるオーガニックな感じのカレー屋に入った。そこそこおいしいバターチキンカレーは、別に奈良じゃなくてもというものだったが、かといってここでしか食べられない物も思い浮かばなかったので、それでよかった。
sabacurryは少し興奮した様子で、カレーを啜っていた。
三条のアーケード街をでて左へ歩いていくと、坂の上の五重塔が視界に入ってきて否が応でも期待は高まってくる。
sabacurryは猿沢池に関するウンチクを得意げに語っていたが、私の心はすでに興福寺の国宝館へと引っ張られていた。
東金堂に入ったあと、国宝館へ。数年ぶり2度目の国宝館は驚くほどに素晴らしく、私自身の感性の変化にもビックリしたが、ここでは語り尽くせないので次の機会に書くことにする。
そういえば、中にあった行賀という昔の偉いお坊さんの彫刻は、疑り深そうな表情が面白くてsabacurryに「あなたに似てるね」と言ったら顔を歪めて真似してくれて、笑いあった。
とても暑い日だった。涼しい国宝館をでて少し歩くとすぐ汗だくになってしまった。でも、sabacurryは長袖の白シャツの上にジャケットまで羽織っているのに、ほとんど汗をかかずにいた。
そのあと、世界中の観光客の喧騒の中で東大寺の大仏殿を見たり、二月堂に登って一息ついたりして、意味もなく私はやっぱり奈良が好きだなあと思った。
歩き疲れたので奈良ホテルへ。高級ホテルのカフェ利用はちょっと気がひけるというか、貧乏学生の私には場違いな気がしたがsabacurryは得意げだった。こんなホテルに泊まりたかったなーなんて言ったりして、sabacurryにイヤがらせしてた。
奈良ホテルを出たあと、宿泊するホテルにチェックインするまでの間に秋篠寺と新薬師寺に寄った。軽く感想を書いてみる。
秋篠寺。首を傾げた伎芸天がいることは知っていた。それしか知らなかった。苔むした参道、清浄な空間、静謐な本堂。幽玄な古仏。全てが美しかった。そういえば、秋篠宮様の名前はこの秋篠寺からとっているという話を聞いた。
新薬師寺。小さなお寺だったが、中にあった薬師如来坐像には度肝を抜かれた。大きく見開かれた目、彫りの深い顔立ち、写実とは正反対の造形なのに、生々しく迫ってくるような。ギョロリとした目に私の心の中を見透かされているようで、少し辛かった。
夕食はホテルで食べた。ホテルの和食のイメージから一歩も出ないふつうの料理を食べて、お風呂に入って、疲れを癒した。そして2人の時間。
その夜は、早々と過ぎていった。
いつの間にか寝てしまっていた。ぼやぼやと、寝ているのか起きているのかわからないまどろみの中で、ふとはっきりと目が醒めたのだ。
夢を見た、と思った。
私がsabacurryの子を身篭る夢だった。荒唐無稽でも、その夢の中の私は必死だった。
それはグロテスクで、どこか生き生きとした夢だった。
深呼吸をした。浅い夢の余韻は、しっかり握っておいてもいつの間にか消えていくものだ。
遠くでたまに聞こえる車の音が曖昧な私に現実感を与えてくれる。
そうして、静かな暗闇の中、再び眠りにつくまでの間、毛一つ生えていないsabacurryの冷たい肌を、私は愛おしそうに撫でていた。
―続く―