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>そもそも日蓮本仏論は、国内でもほぼ日蓮正宗しか唱えていない、異端中の異端とも言うべき奇妙な教義です。開目抄の極めて飛躍した解釈、日蓮正宗にしか通用しない、ほぼ偽書と仮定している相伝書を根拠とするあたり、対外的な評価は全く得られていません。
ですから須田晴夫氏の論文は、創価学会内部にいかに日蓮正宗の教義が根付いてしまっているかの逆証明みたいなものなんですよね。
宮田氏への反論も学術的に内容が薄っぺらく、これを創価学会教学部の公式見解としてしまうと、信濃町も対外的な評価という意味で、まずいのではないでしょうか(投稿者:地区リーダーみつる 投稿日:2016年10月10日(月)20時34分25秒 )<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/57897
意味深な投稿ですね。単なる反板の投稿ではないのでしょう。かなり漠然とですが、それに近いものを私も感じています。
世界に向けての仏法の世界流布。日蓮大聖人仏法を核とした池田思想の世界展開。それを考えると、どうしてもそこらあたりの深い哲理に入り込んでいかざるを得ません。世界の識者も池田思想の世界展開は待ち望んんでいるところだと思います。それには、日寛教学を一度(また別の視点で戻ってくるかもしれませんが)、乗り越えなければならないのかとも考えます。
仏法生命論的には、永遠の生命、久遠の生命といったところが世界にも通用するところですが、そこを強調し過ぎると、それは「法」を主体とした生命論のとらえ方だけに、ともすると、誰もがそのままで「仏」という天台中古思想に堕りかねません。永遠の生命は、永遠の仏と一体となった存在(いわゆる人法一箇)とするのが「池田思想」の違わざる論調(例えば法華経の智慧)ですので、そこらあたりの説明も必要になってくるということなのではないでしょうか。
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