アラフォーになってしまった
10月10日の本日で35歳となる。何も成せずにアラフォーだ。死にたい。「若手」として括られる時代が長かったので、ついつい勘違いしそうになるけど、とっくに老害側にいる。比較的絡みの多い86世代だって5歳下だという現実。
34歳ともなると自分自身が尖ったナイフになるのは難しいし、理想に燃える若者や若者応援オジサンとも一線を引かざるを得ない。若手気分にならないのはもちろんとして、映画『バトルロワイヤル』において中学生に混じってドヤ顔をしていた当時25歳の山本太郎になっていないかの自省をする必要すらある。
こんなことを去年に書いてた時点で、まだまだ若者側にモラトリアムをしていた実態があったのだと思う。新しい人達との交流やオフ会などを避けてきたのも、そんな気分への反動がある。
25歳の頃から変わらない生活スタイル
実際問題として、25歳ぐらいから生活スタイルがそれほど変わっていない焦りのようなものはある。結婚もしていないし、住宅ローンもないし、趣味も変わっていない。体力はなくなったと思うけど、昔だって無茶をしたら当たり前に体調が悪くなっていた。読書、映画、酒、昼寝。ひとり上手。
Facebookでは元同期の子供達の中学受験の話すらではじめたし、同窓会があっても子供の話ばかり。そのことに対する劣等感はないけど、生きているルールが違いすぎるとは感じるし、相手の気持ちに憑依するのも難しい。昔ちょっと好きだった女子に対して「老けたなー」と思いながら夫の愚痴を聞かされるのは割と地獄絵図。
じゃあ独身生活を謳歌できるかと言えば、35歳ともなれば純情な恋もセクハラであり、気持ちの悪いおじさんでしかない。年齢とともに狩猟禁猟区が増えていくこの世界では婚活パーティーとか構成年齢高めの社会人サークルが持て囃されるのも分かる気がする。
「老害になりたくない」という自らへの呪いを解呪したい
自分の心持ちはあまり変わっていないつもりであっても、心身は着実に老けていくし、周りの見方や環境も変わっていく。そこのインピーダンスミスマッチについて、ある程度のすり合わせは必要であろう。それを忘れると「老害」と呼ばれる存在になる。
老害にはなりたくない。でも、だからこそ「そうであることを自覚して謙虚に振る舞う」という処方箋で十分なのかもしれないという諦観が生まれつつもあります。もちろん最新知識を学んだり、若者の意見に耳を傾けて自分の意見のように言うのも良いのかもしれませんが、理解もせずに新しいものにおもねることのが事態を悪化させる可能性が高い。
2013年頃に書いた文章からも伺える通り、「老害になりたくないから自重する」という呪いは、自分自身に強くかかっている。謙虚に振る舞うのは決して悪いことではないけれど、こと積極性に欠けすぎていたという点では「要は、勇気がないんでしょ?」に戻ってしまっていたように思う。老成や経験にはポジティブな側面もあるのに。
老いへの諦観を受け入れて「何もしない」のと「無理をしない」のは天と地ほども差がある。結果として守るものがない人生。どうやったって無様な道しかないんだから、ダメージコントロールをしながら主体的に動く割合を増やそう。結果として老害と呼ばれることになっても仕方がない。どれだけ繊細だった青年も35年間で面の皮ぐらいは厚くなる。
- 作者: 熊代亨
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2014/02/19
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