ちょうど1年前、本コラムで「日本のノーベル賞受賞者は、10年後には激減する! データが示す『暗い未来』」(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/45793)を書いた。近年、日本のノーベル賞受賞者は多いが、そのうち減るだろうとの予測を示したものだ。
そこでも書いたが、ノーベル賞研究は過去の功績を精査されるため、研究時期と受賞時期にズレがある。2000年代以降、ノーベル賞受賞が増えたのは、1970年~80年以降の研究が花開いたからだ。今回の大隅良典・東京工業大栄誉教授の受賞の業績は1992年のものだ。過去の投資が今になって生きているのだ。
大隅氏は、ノーベル賞受賞以前にも科研費や研究環境の改善を訴えている。「現在の科研費、とりわけ基盤研究の絶対額が不足しており、採択率がまだ圧倒的に低い。今の2、3倍になれば大学などの雰囲気も変わる」といっている(https://www.jsps.go.jp/j-grantsinaid/29_essay/no78.html)。
大隅氏の人柄などについては、元基礎生物学研究所長で元岡崎国立共同研究機構長の毛利秀雄氏の寄稿(http://www.nibb.ac.jp/pressroom/news/2016/10/07.html)が面白い。このくらいは世間の平均と外れていないと、独創的な研究はできないのだろう。
1年前の本コラムでは、研究が社会の役に立つのかどうかわからないが、まず支援するという「パトロン的な支援」がこの国には必要であることを強調した。
通常の公的支援では、集めた税金を官僚の裁定や事業仕分けを行ったうえで研究費として配分する。彼らは「選択と集中」を目指すのだが、そう簡単にできるものではない。
基礎研究にかかる今後の公的支援を考えるには、まず、経済成長が必要である。と同時に、従来の「選択と集中」に代わる原則として「パトロン的支援」が必要だ。その具体的策として、儲かっている企業や個人が大学の基礎研究に寄付して、それを税額控除する政策があげられる。
本コラムでは、それをさらに強化する政策を考えたい。じつは、これは筆者が在籍していた財務省ではひそかに伝承されているものだ。おそらく、少なくない財務官僚が先輩から話を聞いたことがあるだろう。
結論からいうと、「基礎研究と教育の財源を、税ではなく国債で賄う」というものだ。
ちょっと信じがたいかもしれない。あれほどまでに国債を忌み嫌い、国債残高が1000兆円となっていることを「財政破綻になる」と煽る財務省が、実は基礎研究と教育は国債発行で賄うと内部ではひそかに話している……そんなことはあり得ないと思うのが普通だ。