Hatena::ブログ(Diary)

shi3zの長文日記 RSSフィード Twitter

2016-10-10

[]シリアルアントレプレナー、井口尊仁はなぜ三度失敗したのか 06:44

 こないだのエントリが予想外に伸びてしまって驚いてる。


 そのあと怒涛のような日々が続いていたのでしばらく放置していたけど。

 みんな、起業家に対していろんなイメージを抱いてるんだなあ、と思った。



 ただ、基本的に起業というのはまず死に赴く道だということを理解してない人が多い。

 100あったら97が10年以内に滅ぶということを理解してないと、あまりに能天気に見えてしまう。


 前から何度もこのブログでは書いているけど、自分がコントロールできる以上のお金を会社の設立時点で集めてしまうと使い方を誤って失敗する。


 自分がコントロールできるお金というのは、要するに自分で稼げる範囲のお金ということだ。


 誰しもサラリーマンなら、仕事でお金を稼いでいるはずである。

 その「稼ぐ」お金というのは二種類ある。


 単に労働の対価として受け取ることができる報酬というのがひとつ。

 もうひとつは、自分が予算をコントロールして、実際にエンドユーザから稼ぎ出した金だ。


 会社を始めるにあたって、このどちらかを超えるようなお金を最初に調達するべきではない。



 「どうして?資金はあればあるほどいいでしょ」



 と思うかもしれないけど、実際には違う。資金はあればあるほどいいからといって、10歳の子供に「君の20歳までの学費と生活費とお小遣いだよ」と一千万円預けるだろうか。一千万というと大金だが、年にならせば年100万円でしかない。この中から生活費と学費を捻出するのは至難の業だろう。要は年収100万円の生活である。



 なにもしらない起業以前の人間が大金を手にするということはこういうことだ。


 しかも、起業家は1000万円を調達したら、少なくとも銀行金利の年2%以上に増やして返済しなければならない。一千万を銀行口座に置いておくなら誰でもできるが、一千万を「使って」一千万以上稼ぎ出さなければならない。


 銀行借り入れを嫌がる人がいるが、実際にはこれほど有利な資金調達手段はない。

 銀行金利も返す自信のない人が投資家からのリスクマネーを受け入れることに熱心なのは、単に素人考えでしかない。


 金を使ったからにはそれ以上に稼がなければならない。それが経営の根底にある鉄則である。

 実際、これは難しい。誰でもこれができるんだったら銀行に貯金なんかしない。これを資本の回転と呼ぶが、自分のリスクで資本の回転ができる人間だけが経営者として自立できる。だから元手が100万円だったら、まず100万円を「使って」、200万円稼ぐ方法を考え無くてはならない。


 しかし100万円を運用出来ない人が1億を運用できるわけがない。当然、資本の回転というのはお手玉のようなものなので、いきなりウルトラCをやって成功できるわけがない。100万円を200万円に増やす方法はいろいろあるし、かなり簡単である。


 たとえば起業する時に手元に100万円しかなかったら、正社員を雇うことは無理だ。

 だとしたら、往復20万円の旅費をかけて中国かベトナムなんかにいって、日本で売っているものと同程度のものが1/3以下の価格で売っているところを探す。たとえば一昔前ならiPhoneケースだ。


 これを80万円ぶん買って、日本で原価の3倍の値段で売る。


 すると、240万円の売上になる。元手は100万円だから、140万円増えたことになる。この100万円の資本が一回転するのに一ヶ月であれば月の売上が240万円で粗利が140万円。もしこれを一年間持続できれば年商2880万円で粗利が1680万円の優良企業の出来上がりだ。これだけ利益があるんだったら社長として年収1000万円くらいはとってもいいだろうし、自分の給料を我慢すれば、ちょっとした仕事をやってくれるスタッフを一人か二人は雇えるだろう。稼いだぶんを投資に回せば、初年度で億まで届くかもしれない。


 実際、2010年頃にはこうして一稼ぎした零細企業が沢山あった。僕は興味が無いからやらなかったけど、ずいぶん勧められたものだ。


 ただしこれには時流を読む目と、自分で商機を判断する才覚が必要で、時流を読み間違うと借金だけ作って潰れることになる。そういうときはあっという間だ。



 賢い経営者は回り道ができる。

 たとえばあるサービスを立ち上げようと思っても、いきなりそのサービスを立ち上げたりはしない。

 まず自走するための最低限の仕事と売上を確保する。


 それから改めて、目標に向かって走り出す。


 会社にとって持続性は最も重要な課題だ。持続しない会社は存在意義がないからだ。


 金があれば優秀な人間を集められるというのもごく浅はかな考え方だ。本当に優秀な人間は金だけにはついて来ない。


 もっとも重要なのは、仕事の内容だ。

 優秀なエンジニアにとって魅力的な仕事内容を考えるためには、経営者自信が優秀なエンジニアであることが重要だ。


 自分で理解して技術を読み切れる人間と、伝聞でしか技術を理解できない人間の、どちらがより正確に技術の時流を読み切ることができるか、言うまでもないのになぜか最初から「優秀なエンジニアは金で雇える」と思っている人が少なくない。


 エンジニアにとって重要なのは、自分の仕事でどうすれば社会に大きなインパクトを与えることができるかということである。金だけが目当てのエンジニアは、一流とは言えない。


 優秀なエンジニアにとって、自分が取り組む仕事とは、魂を燃やし尽くす価値のあるものでなければならず、誰かにやれと言われなくてもやりたくてたまらない類のものだけである。寝ても覚めてもそのことだけを夢中になって考え続け、追い続けるだけのでっかい夢が、その仕事の中心に無ければならない。


 経営者自ら本質を理解していないような、インチキ臭い仕事の頼み方では、それほど腕のいいエンジニアを獲得できない。


 井口尊仁の最新作babyを見てもわかる。

 彼はその昔、「フロントでもバックでも、とにかくなんでもいいから優秀なプログラマーを連れてサンフランシスコに帰る」と言っていた。


 その言い方では優秀な人は採れないよ、と僕はいった。

 そして彼が発表した、「世界初のアーティフィシャルサピエンス、無垢でかわいい人工知能のbaby」となるはずだったプロダクトは、単なる退屈な80年代のテレクラになった。まあヒットするかもしれないけど、なんせただのテレクラだから。Gonあたりが成田アキラ先生に体験漫画書かせないかな。


 今回も井口は失敗した。少なくとも開発というプロセスについて。人材獲得まではよくわからないが、開発は失敗した。


 失敗したポイントは、(またしても)井口が中途半端にしか技術を理解していなかったことにある。


 彼は当初、IBMのワトソンを使えば、すぐにでも音声認識した人工人格が作れると思い込んでいた。

 しかし実際にワトソンを使ってみればわかるが、そんなことはできっこないのである。まず最初の第一歩のコンセプトを作る前に、現状の技術を正しく評価できない井口の悪癖がまたも露呈した。テレパシーのときも実現不可能なモックから作って失笑を買う結果になった。大胆さは井口のいいところだが、先端技術を使った製品を企画するのにまず技術を理解することを疎かにしていることが完全に裏目に出た。


 彼が調達した資金は5000万円程度だが、彼自身のサラリーをかなり低く見積もったとしても、優秀なプログラマーを雇うには少し心もとない金額だ。しかしいまどき影も形もないチャットボットに5000万円も出資する人がいることにまず驚きである。


 次に、井口はなぜかコストの高いサンフランシスコで人を探した。日本では1000万円払えば一流のプログラマーを雇うことができる。誤解を畏れずにいえば、成功してない段階のベンチャーがそれ以上払うのは無駄である。日本で暮らすぶんには、一千万あれば充分すぎるほど豊かな生活ができるし、それ以上の贅沢はプロダクトが成功してからで問題ない。それ以上を求めるならストックオプションで充分だからだ。


 ところが、サンフランシスコでは、1000万円あっても三流のプログラマーしか雇うことが出来ない。なぜか?生活コストが異様に高いからだ。築百年のワンルームが30万円する土地で、1000万円などあってないようなものである。GoogleAppleFacebookに行くよりも好条件を出さなければプログラマーは雇えない。


 いまさらそれに気づいたから井口は日本に来てプログラマーを探すことにしたのだろう。

 だとすると、そもそもサンフランシスコに会社を置くだけ金の無駄ということになる。


 しかし今すぐ生活を捨ててサンフランシスコに移住してまで井口のおもしろチャットボットを作ってくれるという酔狂な人が、そうそう見つかるわけもない。


 まあサンフランシスコに行ってみたいなーと思っている暇なプログラマーが居たとして、腕前はよくて二流だろう。その時点で大きな仕事を抱えてないうえに自分のテーマとたまたま合致した人が見つかればいいが、世の中そんなに甘くはないのだ。


 だからこそ、井口はAIを諦め、テレクラ版snapchatみたいなコンセプトに縮小したのだろう。あれを作るなら一流プログラマーは必要ない。井口が実際に一流プログラマーを雇えたかどうかはともかく、あのアプリなら技術的ジャンプがどこにもないので極端に言えばプロなら誰でも作れるだろう。井口の凄いところは、恥も外聞もなくスペックを大胆に落とせるところである。そこが最大のツッコミどころではあるのだが。



 思うに、井口は最終製品の形が決まるまでは、基本的には対外的にはなにもしないほうがいいんじゃないか。少なくとも「こういうものを作ろうとしている」とか「こういうことをするつもりだ」とかは言わなくて、単に「人工人格があったらたのしいよにゃー」とか寝言に聞こえるようなポエムを連投していたほうが結果的にはクレバーに見えたのではないかということだ。



 僕がテレパシーにワクワクしたのは、最初にセカイカメラの頓知・を追い出された井口が、こっそり教えてくれた時である。そのときだけ、と言っても過言ではない。


 なぜならその時点で井口はHMDのことをほとんど理解しておらず、何が実現の障害になりそうかとか、具体的なユースケースについて全くイメージを持ってなかった。


 誤解を恐れずに言えば、水口哲也と井口尊仁は似てる。

 大胆なコンセプトを最初に提示し、なにがなんでも作り切る、というところだけ言えば似てる。ただ、水口哲也は作りきるまで決して外部に情報を出さない。


 2001年、スーパーテレビ情報最前線で水口哲也がRezを作っている様がRez発売に先立って放映されたが、率直に言って見た感想は「現場がかわいそう」だった。もう水口哲也が何をいいたいのか、なにを求めているのか、その発言からは全くわからない。無茶苦茶なことを言ってやがる、と思った。その時は水口哲也を直接知ってたわけじゃないから。しかし発売されたRezを実際にプレイすると、感動するのである。「すげえ!あの発言の真意はこれだったのか!」と。


 最初のコンセプトがどういうもので、どうしてここに行き着いたか、という説明は最後に種明かしとして見せられると、ものすごく納得感がある。


 井口も最初にbabyが音声版snapchatである、というプロダクトを先に見せ、ここに至るまでにはもともといずれ人工知能が作られたら、無垢なおしゃべりがしたくなるだろう、そのプロトタイプがこれである、という感じで説明できたら、こうもガッカリすることはなかったかもしれない。



 まあ井口尊仁のいいところは、なにが起きても諦めないことだ。

 

 彼はシリアルアントレプレナーとして10年生き残っているのが凄い。しかもその間、一度もプロダクトを成功させたことがない。これはもう、驚異的である。


 ただ、世の中にはちょろっと資金調達して、あとはなにかやってるようでその実なにもやっていない人が大勢いる。


 まあちょっと便利なブラウザーくらいでは、井口ほどの成功(生存?)も望み薄だろう。

 どうせほらを吹くならでっかく吹かないと。


 井口のホラはいつもデカイ。

 だからついつい金を出すやつがいる。チャーミングだからね。人間として。


 けれども起業家としては決して見習ってはいけない人であることも間違いない。

 単に井口尊仁というキャラが面白いというだけだからね。


 井口は資本を一度も回転させることなく、資本を食いつぶすことによってのみ生きている。

 投資家にとっては悪夢のような存在だが、ファイティングポーズを取り続けている限り井口は滅ばぬ。また次の井口が現れるだけだ。


 まあ開発にはしくじってるけど、baby、サービスとしては受ける可能性はあるので頑張っていただきたい

 それに万が一、babyが成功すれば自動的に人工知能の学習用データセットも手に入るしね