社会人1年目で過労死する理由
社会人1年目で過労死してしまった事件は私が知る限り「ワタミ」「電通」の2件ある。どちらも社会人1年目だった。
なぜだろうか・・・
死と隣り合わせになった場合、単純なワーカホリックだという問題ではない。
組織の問題など色々あると思うが、もっとパーソナルな部分に目を向けて考えてみたい。
人は「快楽」と「苦痛」の感覚で生きているらしい
赤ちゃんがようやく歩けるようになった頃、何度転んでもまた同じように転んでしまったりするのは「痛み」に対する「苦痛」や「恐怖心」がないからだそうです。
社会人1年目というのも「働くこと」に関してこれに似たような状態がある。
働きすぎると精神的におかしくなったり、死にたくなることもあるということがわからない。経験したことがないので、限界がわからずに頑張り過ぎてしまう。
気がついた時は完全に手遅れの段階。
仕事で快楽だと感じる要素
- 無理をしてでも仕事をすること
- 仕事で評価されること
- 頑張っている姿を見せること
仕事で苦痛に感じる要素
- 失敗すること
- 同僚や上司に迷惑をかけること
- 納期などが遅れること
- 怒られること
1年目だし頑張らなきゃ・・・
体力に自身があるから大丈夫・・・
「 苦痛から逃れる」ために「仕事を頑張りすぎる」という構造ができる。
そこには「過労」になると「死ぬかもしれない」という危機感や恐怖はない。
「仕事の苦痛」から逃れるために「死」を選ぶ
「死ぬ」と「楽」なんではないか?
こういう思考に陥るのではないだろうか?
過労で自分の脳にダマされるというか、正常な判断ができなくなるというか。
「仕事で感じる苦痛」から逃れるために「快楽」である「死」を選ぶのは、間違った思考であり、脳が正常な判断ができない状態である。
実のところ私自身、死にたいと思うことは日常茶飯事である。
しかし「死」は「味わったことのない苦痛である」だろうと想像するので、死ぬことはない。これは何度も転んで「痛み」を知った赤ちゃんと同じ状態。
実際は現実逃避したいというだけのことだ。
「死にたい」と口に出す人ほど、実は死に対する苦痛や恐怖を知っているので実際に死ぬことはない。ギリギリのところで踏みとどまっている。
これはこれで良いのだと思う。
真面目な人ほど陥りやすいこと
- 失敗することを恥ずかしいと思う
- 失敗した時の自己否定が深い
- 責任感があるため自分でなんでもやってしまおうとする
- 人に助けを求めることができない
私は以前、デザイン系の事業で未就職者の指導担当をしていたことがある。
未就職者って学校は卒業したけど正社員になったことがない人たちのこと。
やっぱり仕事のやり方が上手じゃなかったり、何か問題があった。
私は長年フリーランスで一人で仕事をしていたので、チームで働くということを勉強している段階だった。
その中で大きなトラブルにつながりそうなこととして、上記の項目が共通して見うけられた。そして、
- 人に負けたくない
- いい仕事をしたい
- 評価されたい
こういうことが裏目に出てしまう。
私は頑張りすぎる人に対してこういう助言を心がけていた。
ひとりで頑張るならフリーでやればいい。
就職したいならチームで動くことを学んで、自分ひとりで無理をするな。
結果的にみんなに迷惑がかかる。
人を頼るのも仕事だよ。
逆に責任感がない人には
君が担当した仕事は、君がやらなければ誰がやるんだ?
もっと責任を持て
どうしてもできない場合は早めに相談してくれ
人によってアドバイスを全く変えていたが、
「仕事をうまくこなす」という意味では同じ。
社会人1年目で過労死しないために心得ておきたいこと
- 社会人1年目なので失敗するのは当たり前
- 企業で働くということはチームで働くことだ
- 自分ひとりで頑張る必要はない
- ツラすぎたら弱音を吐く
- かっこつけない
- 自分と他人を比べない
- 辛すぎたら仕事を休職するか辞める
真面目な若い子が死んでいくって、悲しいじゃん。
会社の仕事は所詮会社の仕事だ。
会社はひとりで頑張るところではない。
仕事を責任を持ってやる必要はあるが死ぬ必要はない。
適当に手を抜かなきゃダメよ。
(といいつつ手が抜けないから私はウツになったんだが・・・死ぬよりましさ)
寂しくて悲しくて辛いことばかりならば
あきらめて構わない 大事なことはそんなんじゃない
(引用:あの娘ぼくがロングシュートを決めたらどんな顔するだろう / 岡村靖幸)
思い返せば私はいつもこの歌詞に助けられていた。
今の時代にも届くことを願う。
今の若い世代はどんな歌で心を支えているんだろうか?
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