2016-10-09

自殺願望者が自分人生肯定できるようになった話

この記事に感化されたので書く。

http://anond.hatelabo.jp/20161009130305

手段手段なので叩かれるの覚悟で。

  

中学生くらいの頃からずっと死にたい死にたいと思って生きていて、ただずっとその原因が分から悶々としていた。

  

母親は、いわゆる毒親だったのかなと思う。

何をするにも自分承認しないと気が済まないし、ちょっとでも自分の意にそぐわないことがあると自分の意にそぐうまで延々と指摘し続けた。

親の口癖は「言われるようなことをするあなたが悪いのよ、言われるようなことをしなければ私は何も言わない」だった。

おかげで、自分自己肯定感はズタボロになった。

毎日死にたいと思っていたし、自分価値のない人間だと思うようになった。

将来に希望もやりたいことも無いし、早く死ぬ日が来るのを待ち続けていた。

まりに生きるのがつらかったので、毎晩酒を飲まないと潰れてしまいそうだった。

吐く寸前まで飲んで、意識を失うように寝て朝を迎えるの繰り返しだった。

ただ、親は大学生になっても食事毎日作ってくれたり学費などで金銭的に困ることはなかった(金の使い道に親の干渉は入ったが)りと有り難い面もあったし、上記のような内容を他人に言ったら「良い親じゃん」「自分が不甲斐いからじゃないの?」と言われたので、本当のところ毒親だったのかどうかは分からない。

  

大学生の時、この希死念慮鬱病ではないかと疑って精神科に行ったこともあった。

結果としては、医師に「君は正常だ」「君よりずっと酷い患者もいる」と言われた。

それを受けて、そうか自分では死にたい死にたいとずっと思っているのだが、病気と認められるためにはもっと酷い状態ではならなくて、俺が正常ならこの感情はただの甘えでこの感情を抱いたままもっと頑張らなければならないのかな、と思った。

  

自殺未遂も何度かした。

と言っても救急車で運ばれるような重大なものではなく、自分で行動を起こして結局一線を超える勇気が出ず諦めるようなチキンハートものだったけど。

首吊りをしようとして首に縄をかけて、頭に血が溜まって顔がパンパンになって、意識がボーッとしてあと十数kg体重をかければ意識を失えるというところで、結局その一歩を踏み出す勇気が出なくて止めてしまった。

ああ、死ぬ勇気がないなら死にたいと思いながら生きていくしかないんだな、と更に絶望した。

  

会社に勤めるようになって一人暮らしを始めて、どうも自分発達障害なのでは?と疑うようになった。

指摘されるとなんでこのミスに気付けなかったんだろうと思うような単純なミスを多発させるし、他人気持ちが分からずそぐわない発言もするし、空気が読めないと指摘されるし。

あと俺の母親にも、部屋の片付けが出来ない、時間を守れない、空気が読めないとADHDのような傾向が見られた。

  

あいにく今の会社は忙しく、希望の日に有給を取ることが現実的に非常に厳しいため精神科受診できないので悩んでいたところ、医薬品個人輸入があることを知った。

まあちょっと試すだけなら安価だし影響も少ないだろうし、と思ってストラテラ(のジェネリックアクセプタ)を試しに買って飲んでみた。

効果は絶大だった。

今までは1つのことに集中しようとしても途中で気が散って集中できなかったり、マルチタスクをしようとすると「あの仕事もやらなきゃこの仕事もやらなきゃ」で思考が散漫になってかなり非効率的だった。

それが、思考クリアになって1つのことに集中できるようになったし、複数仕事を抱えてパニックになることも少なくなった。

本当に、自分にとって世界が一変するような変化だった。

同時に、他の人は薬を飲まなくても世界がこのように見えてるのかと思うと、少し愕然とした。

  

ロディオラも試した。

結果、今まで悩まされていた自己肯定感の低さが一気に改善された。

今まで何をしても「これで大丈夫なのだろうか」「もっといい方法があるのではないか」と不安だったのが、「これだけ頑張ったのならひとまずは大丈夫だろう」「失敗するかもしれないけど、失敗したらしたでその後に改善すればいい」と思えるようになった。

これも、世界が一変するような変化だった。

今も長年の自己肯定感が低い時の考え方が染み付いてしまっているため、時々やけに不安になることもあるし、他人と比べると自己肯定感は低い方なんじゃないかと思うが、それでも一時期の何をしても不安で頭が一杯になっている状態からはだいぶ改善されたように思う。

  

結局、自分にとっての生きづらさの原因は、脳内ノルアドレナリンセロトニンの欠如だったのだ。

  

自分は、医薬品個人輸入を推奨したいわけではない。

というかこんなもんに頼らないで正常に生きていけるならそれに越したことはない。

しかし、仕事が忙しい自分にとって、また生きづらさを根本的に取り除いてくれるような医療関係者との出会いも無かったため、これに頼るしか方法が無かったように思う。

今の仕事転職して医療機関にかかる余裕が出来たなら、ちゃんと精神科受診して自分発達障害であるか否かの診断を受けたい。

WAISで自分IQがどのように出るかにも興味がある。

また、発達障害の診断が出たら薬も正規手段を経たものを、医師指導に従った上で飲むようにしたい。

  

あと、自分瞑想運動野菜350gを否定したいわけでもない。

というか、健康に生きるために瞑想運動野菜350gは間違いなく重要な一因だと思う。

しかし、世の中には元々脳内物質が欠如している俺のような欠陥人間もいるわけで、そのような人が精神的に健康で生きるためには瞑想運動野菜350gでは足りないのではないかと思う。

20年近く俺を苦しめていた生きづらさを取り除く要因として、薬物療法というのは本当に救いになった。

  

今は本当に生きるのが楽しい

趣味漫画や酒やアニメ音楽は今まで生きづらさを紛らわすためのものだったのが、今は心から楽しめているような気がする。

仕事は忙しいし今の会社に不満なところもたくさんあるのだが、それでも生きやすさは以前と比べると雲泥の差であると思う。

  

元増田アドバイスとか言える立場じゃないことは分かっているし、理解できると言うのも傲慢だと思う。

だけど、1つ自分が思ったことは、何かのきっかけで考え方がガラッと変わるかもしれないし、人生肯定出来るようになるかもしれないということだった。

たぶん、昔の人生絶望していた頃の自分に言っても信じないだろうし、こんな考えになれるとも思ってなかったけど。

  

元増田にも、どうか生きててよかったと思えるような日が来ますように。

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