読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

せめて個人ブログらしく

あくまでも個人のブログです

「君の名は。」を批判した江川達也さんの件で感じたこと

私は「君の名は。」を見ていないので何とも言えないんですけど、ちょっと感じたことがあったので書いておきます。

まず、消費者はモノの質を理解することが出来ません。そしてモノの質が理解できないので、必ずしも質の高いものが売れるわけではありません。

君の名は。」はかなり売れているようなのですが、売れているからと言って作品としての質が高いかどうかは判断できません。作品の質が高いかどうかは実際に見てみないと分からないのですが、私は見ていないので「君の名は。」の質が高いかはここでは書きません。

江川達也さんは「プロから見ると全然面白くない」「作家性が薄くて、売れる要素ばっかりブチこんでいる、ちょっと軽い作品」とおっしゃられたようなのですが、これは商売においてはよくある話です。

なぜなら売らないといけないからです。お客さんに来てもらわないと商売になりませんから。映画でなくても何でもそうなんですけど、質の高いものっていうのはすごい難解になりがちです。

難解ってことは理解できる人が限られてくるわけですから、売れないんですよね。だから売ろうと思えば必然的に大衆迎合を図らざるを得ない面が少なからずあるのです。だから江川達也さんの発言はすごく当たり前のことを言っています。「なんのプロなの?」とかそういう話ではなくてですね。

せっかくなので質の話をしましょう。

質が良ければ売れると感じる人は多いのですが(特に日本人はそうですね)、全くそんなことはありません。先ほども書きましたが、質が高いものは理解されにくいからです。

例えば、例としては不適切かもしれませんが私が個人的に好きなので着物を例にしますけれども、着物というとスゴイ質の高いものだと思われます。実際高いですし、職人さんの技術がふんだんに使われています。

(ここから着物の話が延々と続きますので飛ばしてもいいですよ)

でも着物と一言で言っても質は全く違います。色々な種類があるんですけど、特に人気が高く、女性の憧れの着物とされているものに大島紬というものがあります。また単に大島紬といっても位があって、それはマルキという単位であらわされます。使用されている糸の数の単位をマルキというのですが、これが上がるとより高級になります。

とは言ってもですが、作り手や売る人など、それに多くの時間触れてる人にとってはぱっと見で「すごい綺麗だな、いい着物だな」と感じるのですが、素人にはマルキが低かろうが高かろうが全く区別がつきません。慣れていないと分からないのです。

大島紬とか言うとちょっと専門的なのでより大雑把に着物の質を考えてみましょう。着物の生地には縮緬とか紬とか絽とか紗とか羅とか木綿とか麻とか色々あって、紬の中にも先ほどの大島や結城、牛首、米沢、塩沢・・・っていっぱいあって、大島の中にも白大島とか藍染とか腐るほどあるのですが(素人には全て同じ着物に見えると思います)、すごーく簡単に2つに分けることが出来ます。それが正絹(絹100%)と化繊です。

正絹は肌に吸い付くような感じで、使えば使う程、自分の体に馴染んできます。一方、化繊は手軽に作れるのですが、ゴワゴワした感じで、歩くたびに引っかかるような感じがあります。

言うまでもなく化繊よりも正絹の方が遥かに質は高いです。しかし着物を知らない人にとっては正絹と化繊の違いが全くわかりません。もちろん生産者や問屋の人は触るどころか見てわかる時もあります。触ったら確実に判断できます。判断できて当たり前、そういう類のものです。でも着物を知らない人にとってはわかりません。

それでもっと言うとですね、多くの一般的な人(素人と言うべきか)は着物に質を求めていません(ていうかそもそもわからないので求めようがないのかもしれませんが)。知っている人は多いと思うのですが、京都や金沢では着物を気軽に着ることが出来るレンタルショップが多くあります。着物を着て京都をぶらつくとお得なサービスが受けれたりするので人気なんですよね。

でこのレンタル店で借りられるほとんどの着物が化繊です。ゴワゴワの化繊です。でも多くの人は気にしません。なぜなら着物の気分を味わいたいだけだからです。着物を着て京都をぶらついて、そういう雰囲気に浸りたい、それだけです。着物の質は関係ありません。質がわからない以前に興味がないのです。

成人式のような時は親が正絹を着せる時もよくあるのですが、それでも多くの場合は化繊を使っています。だいたいこんなもんです。

これがひどくなって着物業界がすごいピンチなんですよね。というのは業界としては良い着物を出せば売れると考えていたのですが、売れないんですよね。もちろん高いとか着にくいとか難しそうとか色々ハードルはあると思うんですけど。

それで業界が何をしたかというと大衆迎合したんですね。洗える着物とか簡単に着れる着物とか、そういうのをバンバン出しました。結果的に市場全体の着物の質が低下したという・・・。

(着物ここまで)

着物についてグダグダ書いたので何を言いたいのかよくわからなくなってきちゃったんですが、とにかく消費者は質を理解できないということです。

映画も同じで、映画の制作に多くの時間を費やしている人にとっては、秒単位でこだわりがあるわけですよ。それに映画にも様々な理論がありますから、そういうのを使ってよりレベルの高い、質の高い作品を作りたいんですよね。

ただそうすると、見る側はわからないんですよ。別にそんな映画に興味あるわけでもないですし、制作側みたいに24時間365日映画漬けみたいな生活なんか送ってません。映画なんかせいぜい1か月に1本見るか見ないかくらいですし、興味のある人でもさすがに映画理論とかをしっかりと理解している人は少ないです。

そんな中で質の高い難解な作品出してみる人いますか、いないですよね。力入れれば入れるほど制作費用かかるのに分かる人がいないから売れないという・・・。

だから売れる物を作るなら分かりやすいように作る必要があるわけで、そうなると高度な映画理論から離れた分かりやすい映画になっちゃいますし、そうなると軽い作品にはなりますよね。

なので江川達也さんが言っていることも分からなくもないです。ただ制作側がそれ言ったらいかんだろ、と。

確かにですね、語弊のある言い方なんですけど、消費者って馬鹿なんですよ。もちろん消費者と言っても、映画では質が分かる人でも着物の場合は質が分からない、ということにもなるので、同一人物であっても分野ごとに消費者としての質が変わるんですけど。

消費者が馬鹿だと何が起こるかというと、着物みたいに市場の質がどんどん下がっていくんですよね。消費者からしたら、市場は売る側が支配してるみたいに錯覚してしまうんですが、実際に市場を支配しているのは消費者なんですね。買ってもらわないと生き残れませんから。

質とはちょっと性質が異なるんですけど、例としてね。

少し前までマイ箸って流行ったじゃないですか。やっていた人としてはエコのつもりだったんでしょうけど、結果的には森林にダメージが与えられました。実は森林を維持するためには間伐といって、邪魔な木を切らないといけません。

以前は切った木を割りばしとて販売して、売れた分を間伐の費用に充てるというサイクルがあったのですが、割りばしが売れなくなって間伐できなくなったんですよね。もちろん割りばしだけが原因ではないのですが(ちなみに東日本大震災以降エコ商法は消えました)。

あと身近なところではスマホのカメラやデジカメ。画素数が高ければ高い程写真は綺麗になると一般的には考えられているのですが、実は画素数が上がれば上がるほど写真は暗くなる傾向があります。駅に張られているようなポスター並の大きさのを印刷するなら1000万画素とかでもいいのですが、一般的な写真の大きさには100万画素あれば十分です。

素数が上がれば点が小さくなるので、1つ辺りの受光量が減って全体的に暗くなるんです。でも実際は綺麗なのですが、なぜ綺麗になるのかというと、その暗くなるのを明るくするためのエンジンを搭載させて、相殺させるんですね。

それだったら画素数小さくして、エンジンを搭載させる代わりに別のエンジンを搭載すえばより綺麗な写真が作れそうなんですけど、実際画素数を落とすわけにはいきません。なぜならみんな高画素カメラが綺麗だと思っているからです。

もっと言ったらですよ、画素数は印刷に関係するんですね。デバイス上では画素数は全く関係なくて、画面の解像度の問題なんですよ。最近の人は(特にスマホの写真)なんか印刷しないじゃないですか。画素数なんか全く意味ないんですよね。

低画素カメラの方が綺麗に撮れるとPRしても絶対買いませんよ、消費者は。だから無駄と分かっていてもメーカーはそうせざるを得ないわけです。消費者がもっと賢くなればなぁ、とメーカーは思っていることでしょう。知らんけど。

というわけでこのように質には色々な事情があるのです。「君の名は。」は見ていませんが、売れるということはそういうことも考えられますね。

広告を非表示にする