会話形式でやっていきます。
見た感想を喋る前に
男子力の高い女の子:あざ子「え〜〜!?あんなに嫌がってたのに、見に行ったん!?」
女子力が足りない男子:アオニー「しょうがないじゃないか!(えなりかずき)日本で宮崎駿作品と同等に見られてるってことはそれを見ないとこの先の映画を語る上で差し支えがある可能性が出てくるじゃん?だから、見に行かないとなぁ〜(使命感)、と。」
あざ子「東浩紀みたいなこと言うてはるけどさ…その使命感、誰に伝わるん?」
アオニー「いや、自分の見た映画の位置づけもきちっとできてない人と一緒にしないでしょ!!マスターベーションなのは否定しないけど。」
あざ子「あ、それ言うんや…(女と思われてへんのかな?)」
アオニー「それしか言うことないよ!(シンゴジラを前座扱いして、ポスト宮崎の名前まで持って行かれるという庵野秀明ファンにとって、不愉快極まりない)君の名は。の映画も、ヒットしたこと自体も面白くない俺にとって唯一面白かったのは、東浩紀の一人相撲なんだから。…アレも不愉快だけど。」
あざ子「あ、そっち?(女子の前で下ネタ言うのはOKなんや…)」
アオニー「そっちってどっち?まさかオ…」
あざ子「ああ〜なんでもないなんでもない!!(前言撤回!コイツ確信犯だ。女の子に下ネタ言ってリアクション楽しむタイプの変態だ)…はやく、感想きかせて。」
補足事項:東浩紀の一人相撲
きっと東浩紀クラスの天才にはたいそうなことを言ってるのかもしれないのですが、私には気が小さいオタクがネチネチネチネチ考えすぎて深みにハマっていってるだけにしか見えないのです。
セカイ系と美少女ゲームの想像力がリア充キャラを主人公に据えることで奇妙にも国民的評価を得てしまった、という渡邉くんの分析はまったくそのとおり。ただぼくは、この「あと」になにが来るかという点では楽観的ではない。君の名は。は、一つの時代の始まりというより終わりを告げる作品に見えた。
— 東浩紀 (@hazuma) 2016年9月8日
シン・ゴジラと君の名は。を見て思ったのは、ひとことで言えば、オタクの時代は終わったんだなということですね。第一世代のガイナックス系オタクと第二世代のセカイ系オタクの想像力が、同時に社会派になりリア充化し、オタク特有のぐずぐずしたどうしようもない部分がすっぱり消えた。
— 東浩紀 (@hazuma) 2016年9月8日
↓1ヶ月後の東浩紀
ひと月ほど考え続けた結果、ぼくは、「君の名は。」はたいへんな傑作であり、ぼくがいままで擁護してきた価値観を見事に体現した作品でもあるが、いまのぼくとしては絶対肯定できない作品だという結論に達した。言い換えれば、この作品に行き着いたセカイ系の想像力を肯定できないという結論に達した。
— 東浩紀 (@hazuma) 2016年10月5日
連動して呟けば、ぼくはいままで村上春樹を高く評価してきたし、それ自体はまちがいでもないと思うが、かつて1990年代、「ノルウェイの森」の後の春樹をなぜ柄谷行人ら『批評空間』派が批判しなければならなかったのか、その理由がようやく理解できた気がした。あれはぼくらから何かを奪うのだ。
— 東浩紀 (@hazuma) 2016年10月5日
…僕はバカだからたまたまだと思うけど、予告見た瞬間から「君の名は。は仮に好きになったとしても擁護しちゃいけないし、そもそも擁護できない作品」だと思ってたし、劇場版見てなおさらそう思った。
その上で
「アレを擁護してるオタクは(オタクであるという)過去を捨ててるか、わかってないバカかのどっちかでしょ?」
とまで、公言した所、なんかクソリプが来た。
@tm2501 ちゃーす、君の名は。が好きな自称オタクでぇす。あなたは私をすりおろしりんごにしてしまうのでしょうか。すりおろされちゃいまーす
— p_shirokuma(熊代亨) (@twit_shirokuma) 2016年10月8日
ツイッター怖いよ〜><
怖くて、ぼくちびっちゃう><
シンゴジラは文脈の結晶、君の名は。は文脈の否定
あざ子「見出し読んでわかるのオタクだけやで?」
アオニー「え?ネットでもコンテクストとか言うよ(屁理屈)」
あざ子「ネットもオタクやろうが!さっさと説明せいや!」
アオニー「そのまんまですよ。典型的な庵野秀明作品であるシンゴジラはエヴァンゲリオンの中でオタクにウケが良かったネタを山のように引用してる作品。それが、庵野秀明の得意分野というか、好きな分野である特撮の世界でやりたい放題。…ここまでおk?」
あざ子「ええよ!」
アオニー「作品の範囲どころか、監督作品やその元ネタまで把握しておかないと本当の意味では楽しみづらいことから、エヴァなんか見たことない女性からはシンゴジラはどこが『いいと思うけどそんなに面白いか理解できない』と、首を傾げられたわけ。おk?」
あざ子「おっけー」
アオニー「君の名は。はその逆。作品の外どころか、作中の設定すら論理的整合性が取れてない作品だから、雰囲気で楽しむしかないのよね。」
あざ子「矛盾って…つまり、Angel Beats!のドナーカード問題みたいな奴があるの?」
アオニー「簡単にそれを言うけどさ…その問題自体最近の子は知らないから!!」
Angel Beats!のドナーカード問題…アニメのタイトル自体を伏線としたトリックが致命的なぐらい瓦解しているという話。「天使(ちゃん)の鼓動」というタイトルであり、主人公の名前も音無くんという名前に設定して伏線としてある。その伏線は主人公が生前、心臓移植した女の子が天使で、心臓移植したから死後の世界に来た時には心臓がない(から音無と人に呼ばれてる)という形で回収される。
ところが、音無くんが生前にドナーカードにサインしたシチュエーションから逆算していくと、心臓移植なんかできないシチュエーションであることが発覚し、「この設定おかしくね?」となった。(これ以外にも作中全般が矛盾だらけで、鳴り物入りで泣きゲーのカリスマ様が手がけた脚本だということから大炎上したとか…。ちなみに、青二才本人はドナーカードのシチュエーションがどう考えても成り立たないのに、泣ける泣けると言った脚本家のファンに三行半をつけたため、リトバスもCharlotteも絶対に見ないと決めてる。ちなみに、麻枝准は他の作品でも前科があるらしい)
あざ子「麻枝准とどっちが矛盾が酷かったん?」
アオニー「また、炎上しそうなことを。…矛盾はしてるんだけど、新海誠の場合は『わざとやってるんだろうなぁ〜』というのがわかるように作ってるから、アレと一緒にしたら新海誠に失礼。」
あざ子「あんた、新海誠ファンよりめんどくさい人達敵に回しとるで?」
アオニー「だって本当のことだもん!」
あざ子「(#^ω^)…で、その矛盾ってどんなん?」
アオニー「学生の男と女が入れ替わる話なのは、予告見てわかってるよね?」
あざ子「そんぐらいは。」
アオニー「で、女の方が3年前の事故で亡くなった人だったんよ。それが映画の中盤になってやっと分かるわけ。」
あざ子「え?入れ替わったら真っ先に連絡取るんちゃう?普通。」
アオニー「お互い番号を知ってるけど、通じなかったことで片付けられてる。」
あざ子「じゃあ、学校の配布物とか、コンビニのレシートとかで気づかへんの?」
アオニー「それやろ!!実際問題、男の方(入れ替わって都会のイケメン男子になる時は女のほう)はバイトしとるねんからシフトとかタイムカード見て気づくやろ…。」
あざ子「…矛盾っつうか、頭悪いな。」
アオニー「ワン・ハンドレッド・ステップ譲って、『元に戻った時に一部記憶がなくなる』という設定があるから、気づきにくい・気づいても忘れるとしても…それってご都合主義っぽいよね〜」
あざ子「他の矛盾は?」
アオニー「タイムパラドックス問題。中盤からクライマックスにかけて、過去を変える話になっちゃったで、しかもその過去は大きく変わったのよねぇ〜。」
あざ子「タイムパラドックスって…。君の名は。楽しんでる中学生・高校生にタイムパラドックスとか言ってもわからへんやろ…萌え萌えなアニメと萌え萌えなソシャゲーはタイムパラドックスもシュレフィンガーの猫的なものも、パラレルワールド的なものも教えてくれないからわからへんよ。」
アオニー「厳密に言うと、これも【夢】といえば、夢だからタイムパラドックスが生じてるかどうかと言われると…微妙なんだよね。」
あざ子「アレでしょ?AirとかKanonとかあの辺の作品で、【奇跡】って言葉が出てきたら【ご都合主義です、泣き所です。みんな泣いてね】って言うアレでしょ。」
アオニー「敵増やすなよ…。」
あざ子「テヘヘლ(´ڡ`ლ)」
アオニー「そして、それこそ中学生高校生はわかんないから…。」
あざ子「私は〜乙女〜…永遠の〜16歳〜♪」
アオニー「(#^ω^)…話し戻していい?」
あざ子「ええよ〜」
まじめに見たほうが負け??
アオニー「つまり、真面目に見ちゃいけない作品なんですよ。真面目に見れば見るほど、矛盾か頭悪いかにしか見えないシーンが気になってしょうがないから。」
あざ子「ええ〜それを言ったら、残るのは映像美とMVよ?」
アオニー「それが新海さんの言う【若い人たちが求めている巨大な需要のような穴】でしょ??」
──興行収入100億円の突破が目前の大ヒットとなっています。今の状況をどう受け止めていますか。
少し困ったことになったな、と思っています。なぜなら、今回の作品がヒットしているのは「たまたまだ」という感覚が強いからです。若い人たちが求めている巨大な需要のような穴があって、そこにこの作品が良いタイミングでうまく入り込んだ。本当に幸運が重なった結果だと思うのです。
いつも同じ形の穴が開いているわけではないし、いつも求められているタイミングで作品を出せるわけでもありません
『君の名は。』大ヒットの理由を新海誠監督が自ら読み解く(上) 新海誠・映画『君の名は。』監督インタビュー|『週刊ダイヤモンド』特別レポート|ダイヤモンド・オンライン
あざ子「いや、アオニーは好きなアニメの第二位にFLCLを挙げてるし、アオニーは椎名林檎ファンだから知ってると思うけど、映画版のさくらん…もっと言えば、百色眼鏡は完全なMVやで??映像が綺麗なMV自体は新しいものじゃないで?押井守だって、MVと言えば、MVやで。お話はいつも同じ所に帰結しつつ、もしそれがチープなアニメだったらとても見るに耐えないモノを映像美や音楽で見せてるわけやし…。」
アオニー「そこが穴なんだよ!!…難しい映画を見やすくするためにMV化・映像ショー化する手法は押井守なり、庵野秀明なり、ガイナックスなりがやってたわけさ。または、椎名林檎とか、ジャニーズとかエグザイルとか…音楽の側面からストーリー性のある、感動できるMVを作るってことはやられてるわけ。」
あざ子「となると、穴の正体は…。」
アオニー「そう、アニメ側から出てきたものでかつ、お話がそのものよりもMVとしての雰囲気の良さ、映像の良さを主体としてる作品。音楽や映像美が芝居がかったモノを補填してる作品ではなく、音楽や映像美がメインで、本編がおまけというか…理解してなくても理解できる作品。」
あざ子「どちらかと言うとミュージカルじゃん!英語わかんない人でも、踊りとか表情で察することができるように作られてたヤツ。」
アオニー「で、そういうアニメってちょうどなかったんだよね。メディアミックスしているモノを図にすると、こういう感じかな…。」
あざ子「オタクっぽい演出がわかるかどうかで感動の度合いが変わってまう庵野・押井作品にはない面白さやな。」
アオニー「それが、この作品のオタク殺したる所以!!実際、新海誠もインタビューでこう言ってる。」
考えていたのは、往年の映画好きの方々に見てもらって満足してもらうような、形の良さや完成度の高さを目指すよりも、10代、20代の若い観客に向かって、フレッシュに見えるものにしたいということでした。
10、20代の人が「こんなアニメーションは初めて見た」とか、「こんなに面白い映画を初めて見た」とか、そう響くものにしたいと。
『君の名は。』大ヒットの理由を新海誠監督が自ら読み解く(下) 新海誠・映画『君の名は。』監督インタビュー|『週刊ダイヤモンド』特別レポート|ダイヤモンド・オンライン
あざ子「実際、成功してるやん。見たことないものがデキとるんやから。」
アオニー「そうそう。好き嫌いはあると思うけど、映画としては成功してる。」
あざ子「でも、オタクにとっては、庵野秀明を前座かつ踏み台かつ、カラーやIGのSTAFFが多数参加してやったことが、それまで彼らが築き上げた【知識を積み上げていく面白さ】への否定だから面白くない…と。」
アオニー「みんながみんなアレを作れるとは思わんけど、流行ってほしくない風潮というか、流行ってしまうとオタクが話や元ネタを考察する面白みが減ってしまう映画が減ってしまうからなんか残念でならない気持ちはあるよね…。
そういう意味では、オタクというポジションを楽しんでる人がこの映画を楽しむのは、自分達の楽しんできたものをゆるやかに放棄してるか、楽しんできた過去に対して卒業しようとする行為だと思う。」
あざ子「でも、一方で新海誠のフェチも濃厚に出てる作品なんやろ?さっきの記事には口噛み酒の話とか出てくるし…」
アオニー「そうそう。新海誠自身のキモオタ感は伝わるから【作品は嫌いだけど、作者は嫌いになれなかった】のよね…。」
あざ子「それむしろ、新海誠を見たほうがいいんじゃない?案外相性いいかもよ。」
アオニー「アニメ映画ランキングとか作る時に見ます。なんか【わからなくはないし、見たことないけど、それでもなお好きじゃない】って落とし所の作品ばっかりになりそうだから、進んで見る気はしない。」
あざ子「それ、日本人がディズニー映画見た時に言うコメントやろ!!」
アオニー「いいからと言って合うとは限らないのだよ。
でも、合わないからといってわかろうとしなくていいわけじゃないし、わかんないことを振りかざして頭ごなしなことを言っていいってわけじゃないんだよ。」
あざ子「最後に、これから見る人に一言。」
アオニー「予告が全てです。MVみたいな予告を好きになれる人は見れるし、予告の節々に頭の悪さを感じる人は映画見終わってもバカな映画だったと思う。それだけです」
設定のもやもやした部分は小説読むと補完できるかもしれないけど…そこまで面倒見るきがないので、誰か他の人やってください。
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