秋ですよね、本当に秋ですね。
秋深し、隣はブログを書く人よ(意味なし)
秋です。青々しかった山の緑に紅葉がすこしづつ広がってきました。秋本番、紅葉を楽しむにはもうしばらくかかりますが、ほのかに色づき始めた山の色を味わうのもよし、夏の暑さに運動を控えていた人も軽い運動がてら低い山に登ってみたりするのにも今は一番いい季節かもしれません(でもウインドブレーカーなど防寒のために1枚上着は多めに持ってお出かけくださいね)。
この写真は先日自転車でふらりと立ち寄った滋賀県安土城の跡です。後ろに少し見えているのが石垣の跡、ここにほんの500年ほど前に織田信長が、羽柴秀吉が、前田利家が、柴田勝家が走り回っていたかと思うと本当に感慨深いです。
さて、そんな秋が深まる中オススメ秋の歌などを5個選んでみました。口ずさむもよし、情景を思い浮かべるもよし、自分の心に当てはめてみるもよし。行動的な夏に比べ秋は静かで優しく暖かい。そんな秋らしさもぜひ味わってみて下さい。それではどうぞ!
ひとつめ
わが袖に まだき時雨の ふりぬるは 君が心に 秋やきぬらむ
古今集恋五、詠み人知らず。
私の袖に早くも時雨が降った(涙に濡れた)のは、あなたの心に秋(飽き)が来てしまったからなのでしょうか。
全くもって秋っぽい歌じゃない歌じゃないですか。「秋」と「飽き」を重ね合わせて表現しながら「君」へ残る気持ちが秋の物悲しさと同じように映し出されます。夏の終わり、秋というのは山の色づきと同じように心の色も変わりゆく季節なのでしょうか。
ふたつめ
今来むと 言ひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな
百人一首、素性法師
今すぐに行くとあなたがおっしゃったから眠らずに長月(9月)の夜を待っていたのに、夜明けに出てくる有明の月が出てきてしまいました。
「あなたに会いに行きますよ」って彼が彼女に言ったから彼女はひたすら長月の夜を眠らずに待ち続けたのに夜が開けてしまったのですね、要するに振られてしまったんです。
素性法師という名前の通りこの方は男性のお坊さん。当時男性が女性の心になりきって歌を詠むこともあったようです。今でも男性の歌手が女性の気持ちを歌ったりしていますよね、あれと一緒です。
みっつめ
こすもすよ 強く立てよと云ひに行く 女の子かな秋雨の中
晶子新集、与謝野晶子
明治から昭和にかけて活躍した与謝野晶子の歌なら歌のイメージは伝わりやすいですよね。歌の意味を書かなくてもいいくらいです。秋の雨で揺れるコスモスにしっかりと立てよと励ましている女の子はコスモスを励ましているのか自分を励ましているのか。
恋の要素はあまり見えませんけど、僕は恋の思いを打ち明けようと自分を励ましているかのようなイメージを持ちました。誰かを励まそうとして自分を励ましているかのような。
よっつめ
きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む
新古今集(百人一首)後京極摂政前太政大臣
キリギリスが鳴き霜がおりるような寒い夜、貧しいむしろに自分の衣の片方の袖を敷き、私は寝るのだろうか、という人恋しい秋の歌。
平安時代の男女は衣の袖をそれぞれ相手の頭の下に敷いて寝るという風習があったのだとか。腕枕をお互いにして寝るような感じでしょうか。それが出来ずに質素なむしろの上で自分の袖を枕に一人寝なくてはならない、という寂しさを表現して・・・
ではなく、実はこの方がこの歌を読んだときというのは愛する奥様を亡くされたあとだったそうで。愛する妻に先立たれ、寂しく夜を過ごす男性の気持ちを歌ったのだとか。
いつつめ
唐衣 うつ声きけば 月きよみ まだ寝ぬ人を そらに知るかな
新勅撰和歌集、紀貫之
月が清らかに輝いている中を衣服を叩く音が聞こえてくる。秋の夜長をまだ寝ずに起きている人がいるのが感じられるなぁ。
衣服を叩く擣衣(とうい)というのは布をしなやかにしたり艶を出すために布を砧(石や木の台)の上で叩くこと。秋の夜空にこの音が聞こえてきて、物寂しい秋の夜に人のぬくもりを感じられたのでしょう。
この歌はおそらく恋の歌じゃないんですよね。物寂しい秋の夜に人のいることを感じられたのが少しうれしくて「ああ、まだ誰か起きてるんだな」という気持ちが伝わります。なんでこの歌を入れたのかは後ろに書いてます。
最後に
僕も昼間は仕事をしているのでブログを書いたりメールやLINEの返事をするのがすっかり夜中になったりすることもあるのですが、夜の2時過ぎにふと返事をしたものにスッと既読がついて返事をもらえたり、「お疲れ様」ってメールの返事が来たりすると、仕事で疲れた体にちょっと元気が戻ってくるということがあります。
ああ、まだあの人起きてるんだあ、ってちょっとうれしくなる。実は真夜中の3時頃についてるブコメとか大好きです(笑)ちょっと眠くて日本語としてよくわからない言葉になっていたりするのもまた素敵。
秋の歌はどこか夏の終わりで寒く厳しい冬の始まりということもあり、恋の歌もなにか終わりを予感させたり振られてしまって悲しい気分を映し出すものが多いような気がします。その逆が春の歌で、厳しい冬を越えて木々の芽が出てくるように人の心も新しい何かを予感させるような歌が多いような気がします。
追伸
歌ってそっちの歌かよ!と思いながらも最後まで読んでいただいた皆様、本当にありがとうございました。ちょっと狙ってタイトル書いたのは私です。