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カルマがランドに赴いた影響7
二日後、草原族を二分しての戦いが始まろうとしていた。
数はお互いに三万。
布陣した場所は広い平原で、オウランの後方にはなだらかな丘がある。
兵数、装備、共に互角の戦いであった。
まずはお互いの長による宣戦布告が成され、そして戦いが始まる。
通常獣人同士の戦いは弓を射かけながら近づき、そのまま馬同士をぶつけて戦う激しい潰し合いとなる。
馬も人も区別なく空を舞う熾烈な戦だ。
しかし、この時は違った。
ジャムハの軍は通常通り突撃したが、オウランはそれを待ち受け受け止めたのだ。
当然勢いのあるジャムハ軍が押し込み、オウラン側は押されて陣形がへこみ上から見れば半円となっていく。
現在オウラン軍が不利なのは明らかであった。
しかし、そのオウラン達を壁にして隠れながら、丘の高所からジャムハの位置を確認したアイラの部隊が戦場を迂回して馬を駆らせているのにジャムハ軍は気付けなかった。
駆け続け、ジャムハ軍の側面後方に出たアイラは全体を一瞬見渡し、ジャムハの位置を確認すると最善の場所に向けて突撃を開始する。
ジャムハを守る兵もジャムハ自身も優勢な自軍の状態に酔いしれており、アイラの軍がすぐ近くに来るまで気づけず、弓を撃つ暇も無くアイラ達の突撃を許してしまった。
これは偶然では無かった。
アイラは戦の時に誰もが何かに集中し過ぎて、周囲の確認を怠るのを知っていた。
そして最も兵達の注意が散漫になっている場所を見つけて、そこに突撃したのだ。
言葉にすれば簡単だが、実現させるのは並大抵では無い。
飛び交う矢、自分が乗る馬への指示、数多の人々、刻々と変わる戦況と気になる人間の生死。
全てが焦りを増やし、判断力を削っていく。
多くの者は彼女が持つ戦場での強さを、圧倒的身体能力による武にあると考えていた
しかし真実は、アイラは戦場でどのような状態にあろうとも、周囲を把握し続けており、冷静さを失う時も又無いからこそであった。
ジャムハの近衛に突撃したアイラの部隊は敵を殺すのに執着せず、只管ジャムハに近づく為だけに馬を走らせる。
そして自身の決めた距離までジャムハに近寄ったアイラは、手に持った方天画戟を大きく振って周りの敵を弾き飛ばすと、ずっと傍を走らせていた部下から巨大な弓を受け取り、馬の上に立って矢を引き絞った。
アイラの周囲に居る誰一人として聞いた記憶の無い異常な音が、引き絞られている弓の弦から鳴り響く。
アイラに近いジャムハ近衛部隊の指示役達は、それを見て自分が狙われると思い、必死に盾を構えた。
彼らは誰一人ジャムハが狙われているとは考えていない。
何故なら、豪傑と言われる者で弓の射程は六十歩である。
しかし、アイラからジャムハまでは優に百歩以上あるのだ。
その上今も自分達を盾にして距離を取ろうとしている。
ならば狙われているのが自分達なのは明らかであった。
だが、アイラの弓は百歩以上先に居るジャムハを射程に収めていた。
アイラが放った矢は両軍の誰も聞いた事の無い音を纏って風を貫き、重力を無視したような軌跡を目に残して飛ぶ。
そして距離を取ろうとアイラに背中を見せていたジャムハに突き刺さる。いや、貫通したと言った方が正しい。
ジャムハは馬から落ち、突然の事態に避けきれなかった後続の近衛が乗る馬に踏み潰されて死んだ。
すぐさまアイラとその配下は叫び声を上げて、ジャムカの死を戦場全体に報せる。
これにより草原族の覇権を決める戦いは、オウランの勝利となり僅か一時間で終わった。
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戦勝の宴が始まった。
オウランは祝いを述べる氏族長達の相手を鷹揚に対応していた。
しかし、ジョルグの眼には何かを悩んでいる風に見て取れた。
この勝利で草原族は完全にオウラン様の支配下になる。
それなのに、大きな悩みを持たれているように見える。
心配だ……。
ジョルグは周囲の注意をひかないよう、静かにオウランへ声を掛けた。
「オウラン様、何かお悩みですか? 今日程目出度い日を自分は知りません。それなのに……何か心配があるのならお話しください」
「師範……。そうですね。話し相手になってください。……まず付かぬ事を聞きますが、師範は過去に十年で草原族を統一した者の話をご存じですか?」
「いえ。全く聞いた記憶がありませぬ。大体統一という大業自体が、殆ど聞かぬ英雄譚と言えますれば」
「……師範、わたしは三年前と比べて成長したと思いませんか? 人の上に立つのにもだいぶ慣れました。諍いがあれば公平に裁いてますし、殆どの氏族長達がわたしに心服しているのも間違いありません」
確かにここ三年のオウランには目を見張るものがあった。
以前から氏族の長として仰ぐに足る物を持っているとは思っていたが、そこから更に成長しただけではなく、これだけ多くの人間を支配下に置いて尚変わらず謙虚なのは傑出している。
そうジョルグは三年の間感じ続けていた。
「ええ。オウラン様は草原族全体を治めるに相応しい方と成られました。ずっとお傍に居た自分が驚く程の成長をされています」
「わたしは四年も掛けず、十八歳で草原族を統一しました。このままならば史上最高の氏族長、いえ、族長であると子孫たちは言い、伝説として語り継ぐでしょう。しかし、幾ら成長したとはいえ、今のわたしはそれ程の者ではありません」
「……それは、そうです。オウラン様は族長となってまだ四年程、まだ学ぶ必要はお在りなのですから」
オウランの直ぐ近くで言葉を交わし、この時やっとジョルグはオウランが考え込んでいたのではなく、怯えていたのに気づいた。
そして、この場合誰に怯えているのかは彼にとっては考えるまでも無く分かった。
「オウラン様、ダン殿に不安をお持ちなのですか?」
「……はい。ただ一氏族を治めるのに苦労していた小娘に、あの方は食料を買う方法と力を与えました。この戦いを行える程にわたし達が大きくなれたのは、飢えていた他の氏族に食料を与えられたからです。少しだけ必要となった戦いでは、あの道具を使った我等は圧倒的な強さを示しました。そして、たった三年で伝説に残る族長が産まれたのです。
だというのに、彼が求めたのはほんの少しの金銭と数回の護衛でしかありません。
もし、あの方がわたし達を見捨て、他の誰かに力を与えればどうなると思います? わたし達は直ぐに滅んでしまうように思えて仕方がないんです。
今回の戦い、わたしはあの道具を使ってさえもっと多数の損害を考えていました。なのに、あの方はアイラ殿を向かわせて下さり、そしてこの結果です……」
「まるで全てダン殿のお陰であるかのような発言は間違っておりますな。オウラン様の指揮は見事の一言に尽きる物でしたぞ。不利な状態でありながら、冷静に対処し粘り強く動かれていた。オウラン様の指揮あってこその大勝利なのは間違いございません」
「それはそうです。ただ……今回の勝利で中立を保っていた者達も服従します。となればわたしは十万を優に超える兵を持つ事になる。これも想定を超えた数です。わたしはもっと戦いで多くの者が命を落とすと思っていました。我々は元来敵対者は殆ど殺しますし。
しかしわたし達は服従した者を殺していません。こんな余裕があるのも、我等があの道具によって圧倒的に強いからです」
「確かに幾度かあった小さな戦によって、我々の強さは草原族に知れ渡っております。それによって反抗を抑えられましたし、この戦でも勝利した我々に草原族で歯向かう者は居ないでしょう。ただ、それもオウラン様の采配あってですぞ」
いかん、これではさっきと同じ言葉を繰り返してるだけではないか。
しかし……他に何と言う? どういえば主の不安を取り除ける……? 自分自身が同じ考えによって怯えているというのに。
「……一部族全てが纏まった我等に対して、山、雲、恐らくは水も今は氏族間がバラバラの筈。火の状態は分かりませんが……彼ら全てを支配下に置くのが現実的になってきました。凄まじい繁栄が我々の将来にはある。
こんなの四年前には夢想してさえ居ませんでした。彼が与えてくれなければ絶対にありえなかった。そうでしょう? わたしは、彼が何故これ程の物を与えてくれたのか分からないのです。
わたしはあの時ダンさんを疑いました。何か我等に不利な考えがあるのではないかと。……幾度後悔したか分かりません。そのような考え、許される物では無かった。我等に与えられたのは銅ではなく金でした。いえ、それ以上の何かです。なのに、又わたしは疑っている。彼が何時か我等を見捨てるのではないかと。……まさか、自分がこれ程忘恩の輩だったなんて。……それに、以前言ってしまったこの考えをダンさんは今もきっと覚えているでしょう。そう考えると……怖いのです」
実際の所オウランが言った全ての不安がジョルグの心にもあった。
自分たちが勢力を伸ばすその度に、不安が少しずつ増えているのを感じている。
しかし今は、それをこの若い族長に言ってはならん。
ジョルグは自分の持つ不安が伝わないように、細心の注意を払う。
「自分は彼を二度護衛しましたが、その両方で我等を最後の命綱として扱っておられたのです。これは我々を強く信頼している証拠だと思われませんか? 直接話した際にも信頼を感じました。
それに護衛に付けてる者達に貴方様を守ってもおかしくない精鋭を使い、彼がどれ程重要な人間か教えてあります。これからはより一層敬意を払うように指導もしましょう。
オウラン様、少なくとも我々から彼を裏切らない限り問題は起こらないのではないでしょうか? それに我々も彼の行動は見ております。どうかご安心ください。そして不安でしたら直接お聞きになるのが一番でしょう」
「……そうですか。護衛に対してそこまで信頼して下さっていましたか。分かりました。何時かお会い出来た時に直接聞きます。まぁ、まずは遣わして下さったアイラ殿に返礼をしましょう。カルマと良い関係を持ちたいと思っているのを示して欲しいと文に書いてありましたし」
「はい。それが宜しいかと。彼女の働きは一騎当千。いえ、それ以上で御座いましたから」
「その通りですね。帰るまでにいっぱい食べて頂き、帰る際には多くの布を渡します。そうダンさんからもお願いされました」
そういった後、オウランはため息を一つ吐いて気分を切り替えると酒を飲み始め、集まっていた氏族長達との会話に入っていった。
その様子はジョルグが見たところ幾らかから元気も入っていたが、今はこの程度で満足するべきに思えた。
ジョルグの感触では、現在ダンがこちらを頼りにしているのは間違いない。
彼が敵対するような様子は全く無いし、ケイの情報を送ってくれる貴重な人間でもある。
ならば彼を繋ぎ止め、オウランとの仲を取り持つのが自分の仕事なのだ。
しかし、あのダンという人間の持つ考えが、自分達に悪い物でないよう祈らずにいられないのも事実であった。
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