時代の正体〈404〉24条の危機(4)守るべき理由
- 神奈川新聞|
- 公開:2016/10/07 15:39 更新:2016/10/08 22:04
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24条と新自由主義
【室蘭工業大准教授 清末愛砂さん】 24条そのものの意義と、新自由主義についてごく簡単に話をさせていただきます。天皇主権であった大日本帝国の土台を構築するために導入されてきた、大変抑圧的な「家制度」というものが帝国時代にあった。24条は、その廃止をもたらした根拠となる条文です。
さらに、24条は個人の尊重を規定する13条、また法の下の平等を規定する14条とともに、帝国主義と植民地主義に基づく、大日本帝国におけるジェンダー(社会的、文化的につくられる性差)差別の仕組み、とりわけ、差別や暴力の温床となってきた家族という私的な領域における差別を明確に否定したことに意義があります。
第二に、1980年代以降に、女性の憲法学者である若尾典子さんらによって24条を再評価する研究が行われました。家庭内のジェンダーに基づく差別や暴力といったものを、否定、克服しようとする、解放の法理論を導く根拠条文として意味があると位置づけています。
個人の尊厳と当事者主義をベースにしながら、公的な家族観とは異なる、多様な家族観のあり方と認める解放の法理論の根拠条文でもあると考えております。
新自由主義と家族主義
もう一つ、24条の解釈についてです。大日本帝国時代の戦時体制、監視体制と密接な関係を家制度は持っていた。24条はこれを否定した。同時に、戦争や戦時体制をも否定したと私は解釈しています。
言い換えれば、日本国憲法の三大原則の一つである平和主義を実現するための一つの条文が憲法24条である。これは日本のみならず、全世界の平和的生存権をうたう憲法前文、ならびに戦力の不保持、交戦権の否認を規定している9条の文脈から、24条というのは理解、評価される条文であろうと考えています。
前文、9条と24条は明らかに一連のものとして捉えることが重要であるということです。
日本国憲法の特徴の一つは「非暴力性」にあります。それを確固たるものにするためには前文、9条、13条、14条、24条、そして生存権を規定する25条の一体化論というものが必要なのではないか。
さて、改憲勢力が24条の改悪を目指し始めたのは最近のことではありません。極めて計画的かつ組織的にその動きを進めてきたわけです。おそらく現在、ついにその最大のチャンスが到来したと気持ちを高揚させていることでしょう。
とりわけ1930年以降の大日本帝国時代の軍国主義に基づく体制と、非常に似た体制を構築することを求めてきた憲法改悪論者にとってみれば、個人の尊重や尊厳を否定すると同時に、憲法の中に家族の助け合いというものを入れて促進することは、強固な政治国家、監視国家を再度確立する上で、欠かせない要素であると考えているはずです。
緊急事態条項の創設によっても社会全体を統制する。同時に助け合いの名の下に家族の構成員の間で互いに監視させる体制をつくる。さらに、そこにナショナリズムをあおり立てていけば、統制は見事なまでに効果を発揮し、改憲論者が望む理想的なまでの強権的な国家を作り上げることができるでしょう。
そのために必要とされる他の要素、例えば特定秘密保護法や、安全保障関連法は、既に制定され準備されている。これらは連動していると考えていい。
経済政策と24条
ナショナリズムと日本経済の復興という観点から家族主義を見てみましょう。家族主義の導入によって24条を変えようとしている背景には見えにくいものがある。
それは、新自由主義における経済政策、すなわちアベノミクスとの関係です。家族の助け合いは、同時に推進される。その中で何が起きるのか。家族の助け合い、家族主義、アベノミクス。これらに共通するキーワードは「介入」です。もう少し言葉を足せば「介入をやめる」ということ。
新自由主義的経済は、政府による市場への介入をやめるということが大きなポイントです。
経済活動への規制をやめることによって暴利を生むことを目指す経済のやり方です。これが家族主義とどうつながるのか。
社会保障の観点から見ると、政府が担わなければいけない社会保障といった公的なサービスを家族に肩代わりさせるということです。
本来は政府が手を入れなければいけないはずのところ、手を引くことで福祉を切り捨てるという手段です。その手段として家族主義が用いられつつある。
日本の場合、世界的に見ても少子高齢化が進んでいる国家ですが、それに伴い、介護関連ビジネスが乱立し、劣悪な労働現場がある。
それを放置して、家族主義なるものが推進されればされるほど、実のところ、家族の間で介護や育児を抱え込まざるを得なくなる。
ところが抱え込み続けることは非常に難しい。そうなると、さまざまなレベルで民間の介護ビジネスに頼らざるを得なくなる。
(政府が社会保障を削りつつ、同時に)家族主義が進めば、介護ビジネスは利益を手にすることができる。新自由主義と家族主義の結びつきの一つがここにあり、注意が必要だと思っています。
24条と家族、そして地域
【NPO法人しんぐるまざあず・ふぉーらむ 赤石千衣子さん】 私はシングルマザーの支援をしています。社会福祉の分野でいま何が起きているか。例えば、2000年に動きだした介護保険。1990年代にできて、そのときには「介護を社会化する」という話でした。ところが、どんどん家族頼みになってきている。要支援のところはほとんど公的な介護は介入できなくなっている。特別養護老人ホームに入れるのは要介護3以上。2割負担になる方も収入制限がどんどん引き下げられています。
これから家族の介護をどうするのか。家族で担わなければならない状況になってきている。女性の運動も声が弱まっている。「地域支援事業」というと、どこか美しい感じがするが、その地域は壊れている。負担してもらうと言われても困る。
一方で「子ども食堂」などといって、地域を活性化しましょうといった動きが美しく取り上げられている。ですがこれは全くいいことではない。地域が機能しなくなっていることを意味しています。
シングルマザーの場合には「家族」というものから既に外れている。勝手に離婚した人になぜ社会保障を出すのか、という論理がいつもつきまとっています。
「非常にかわいそうな人たちがいるんですよ。この子どもたちは悲惨な目にあっている。だから、何とか救ってください」と願い出てようやく2015年に児童扶養手当を2人目でたった5千円をいただくことができた。誰が見ても5千円では意味が無いよね、というところですが、それでも狙いを絞って実現しました。
ですが問題は、この「かわいそう」論でしか社会保障の充実ができない、ということ。
おかしくなっている。他にも例えば、親族と一緒に住んでいると、その人の所得制限で児童扶養手当が受けられないとか、生活保護の扶養義務者の義務を強化するとか。障害のある方の装具の利用料金も家族の収入によって規制されている。
「個人の尊厳」をうたう憲法24条の精神というのものは、憲法24条的なものと、一方で「家族丸抱えでやってください」というものとの、せめぎ合いの中で実現してきました。
その中で自民党憲法改正草案が出ている。24条が改正されなくてもこの動きというのはずっと進み続けるのではないか、というのが私の感覚です。
だが明文改憲されてしまってはどうにもならなくなります。
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