聞き手・諸永裕司
2016年10月9日11時06分
東日本大震災で、宮城県石巻市の大川小学校に通っていた12歳の次女を亡くした。犠牲者は児童74人と教職員10人。学校で起きた悲劇の教訓は何か。第三者による検証委員会でも、別の遺族による裁判でも真相はわからない。中学の国語教師だった佐藤敏郎さんは、語りの不在と可能性について考えるようになったという。
――28年続けた教職を離れ、防災について講演したり、地元ラジオ局でDJをしたり。熊本にも毎月通うなど、「あの日」について語ることが多いですね。
「大学生になった長女の言葉を時折、思い出すんです。あの朝、妹から『お姉ちゃん、おはよう』って言われたけど、機嫌が悪くて返事をしなかった。そしたら、そのまま帰ってこなかった。あんなに後悔したことはないって。いつかやるだろう、誰かやるだろうって、いろんなことを後回しにしてきた。それを突きつけられたのが震災だったはず。だからもう、後回しや人任せはやめよう。そう思って動いています」
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