おはようございます。以下の記事が話題になっております。
個人的にはシールズやしばき隊の集団の中では、「右に勝った!」と喧伝しているのは見たことはありますが、リベラルがネット上の争いで勝ったところは見たことがないのが現状です。
なぜリベラルが負け続けるのか、理由を言うのは簡単なのですが、リベラルの定義そのものが人によって違うと言うこともありそうな気がします。
リベラルとは具体的にどこを指すのか
正直、私自身もリベラルという言葉を政治的な左派の別の言い方としか使っておりませんでした。ですが、最近感じているのはリベラルという言葉の多様性です。具体的にいいうと、「リベラル」という言葉を様々な人や団体に当てはめていることが多すぎるのが現状ではないでしょうか。
ここで「リベラル」とはどこを指すのか少し整理したいと思います。
一つ目が「民主党や共産党」などの野党を指す「リベラル」です。野党が「リベラル」という人たちはまず民主党や共産党の経済政策を批判します。そして民主党が政権を担っていた時に、円高を放置していたことを批判し、そしてアベノミクスを比較的評価する人たちです。
二つ目が「山口二郎や内田樹」などの左派言論人指す「リベラル」です。左派言論人の代表例としてあげた上記の二人は、そもそも現実に即した議論をする人たちではありません。その意味で「リベラル」を使う人は現実感の無さを批判します。
3つ目が「しばき隊やシールズ」などの運動団体を指す「リベラル」です。これらの運動団体を批判する人たちは、運動団体がいかに人々から支持されていないかを批判します。もっと国民が同調できるような運動をするべきと批判するようです。
リベラルという言葉をみんな好き勝手に使いすぎじゃないのか。
正直、私が思いついただけで、リベラルという言葉が非常に多く使われている現状では、批判者によってリベラルが都合よく定義づけされるだけで、勝てないのは「言葉の問題」のような気がしてならないのです。
日本ではそもそもリベラルとは「中道」なのか「左派」なのか「経済的右派」なのか定義づけもされておりません。ですので、まずリベラルを再定義するところから初めて方が良いかと考えます。