ずっと強い女になりたいと思いながら,今まで生きてきた.
腕っぷしが強いとか,気が強いとかではなく,きちんと自立していて,問題解決のために理論的に動き,感情の制御ができて,他人に寛容な女になりたかった.
今もそう思っているし,完璧ではないにしても,そうなれるよう出来る限りの事は最大限行っているつもりだ.
何度か好きな人ができたことはあるけれど,自分から好きだと伝えたことはない.
そのことが原因なのは自明であるが,感情の押し付けによる軋轢を防ぎつつ情報伝達を遂行するにはどうすれば良いのかがわからない.
無論,愛されたこともない.
一度,同級生とそういった類の話になった際,「隙がない」と言われてしまった.
意味がよくわからなかったので,詳しく話を聞くと,「優しいのはわかるが,バリアがある」のだそうだ.
自立していたいと考えて生きているが,そのことが原因かと聞いてみると,「おそらくそのせいだと思う,そんな感じがする」と同級生は言った.
同級生は大変恋愛経験が豊富で,私とは全く違う性質の人間であるが,いくつも人として尊敬できるところのある人物だ.
そんな彼が,「女性は貴方よりももう少し笑っていて,とぼけていて隙がある方がいい,男はそういう女性にしか近づけないから」と言った.
なんとも言えない気持ちになった.
笑顔はこれからの人生で必要になるだろうから,きちんと身につけるとして,その他の要素をいかに調達したものかと悩んでいる.
私はとぼけてもおらず,隙のある人間でもないようなので,そういう人間に見せるには,ある種の嘘をつくことになる.俗に言う「養殖」とよばれる技術である.
しかしそれは,恋愛をするためだけに外面を取り繕うようなものであり,恋愛を抜きにしても,人間関係を執行する上で非常に不誠実であるように思われる.
私はそういう人間ではないし,そういう人間を求める人に,自身の欲求をもとに自身をあてがうようなことは大変失礼に思われる.
一方,恋愛を遂行するためにそういった要素が不可欠であり,その要素を取り入れないということが恋愛に対して不誠実であるならば,
嘘をつかない私という存在自体が,恋愛という事象そのものに対して失礼であるということになる.
これらの仮説に対する答えを私は持ち合わせてはいない.
子供が欲しいとか,愛し愛されたいとか,そういった事柄を補填するものはいくつもあるため,あまり重要なことではない.
人間という群れの一個体として,私に恋愛という役割が期待されていないのなら,そういう人生を歩むのも良い.
ただ,死にゆく親を目の前にして,「私は人間として恋愛という役割を期待されていない」とは,とても胸を張って言えないような,そんな気がする.
うーん。 真に笑顔のスキルをマスターできれば、とぼけて隙を作る必要は無いと思うけどなぁ。。 そのくらい笑顔の効果は大きいよ。 それから自立することも大事だけど、助け合っ...