岩手県の方で痛ましい「イジメの自殺」がありましたね。
このコラムは少なくない人の気持ちをとても嫌な気分にさせるかもしれないですが、私が何度もいじめ問題のリポートをしてきたときに、必ず同じことを申し上げてきているので、もう一度、同じことを言います。それは今の日本に、この認識がとても大切なことだと私自身は信じているからです。
日本のいじめ問題は、かなり一方的な報じられ方をすることが少なくありません。私は日本のいじめ問題は「3点の論点」をしっかりと見つめ直すべきだと考えています。
一つ目に、「本当にいじめか?」という点です。
「からかい」「集団無視」など、現在は「いじめだ」と認識されているものは多々あります。それらは価値観によりますが、私はその程度のものを「イジメ」だとは認識しません。中には「イジメられた側がイジメだと言えば全部イジメです」というもはや何を言ってるのか分からない範囲の暴言も見受けられるのですが
A君という人間がいたとして
そのA君は話しかけてもネガティブなことしか言わない
イジワルな反応しかしない
やる気もない
思いやりもない
会話は自分の興味ある話しかしない
みんなの会話の流れも全部止めてしまう
そんなA君といったい誰が積極的に話をしようとするでしょうか?しかし、もともとネガティブなA君。A君は担任に言うでしょう。「先生、みんなが俺を無視するんだよ。イジメを俺は受けているんだよ!」
断じて違います。それはA君自身の問題なのです。みんなは積極的にイジメようと思ってなんかいません。はっきり言って会話に混ぜたら迷惑だから会話しないようにしているんです。それを「イジメ」というのは暴論以外何ものでもありません。「正常な反応」というのです。
もちろん、中には人をイジメることによって何らかの利益を得るタイプの人間が存在します。それらは否定されなければいけません。例えば、B子さんが好きな男性がいたとして、その男性がC子さんを好きだったとします。おそらくB子さんはC子さんに精神的な苦痛を与えようとみんなで協力してC子さんを無視しようとすることでしょう。これはイジメなのでしょう。それを否定するつもりはありません。
なので、本当に「イジメなのかどうか」は実はかなり慎重に精査しなければいけないものです。間違っても「イジメられた側が『イジメだ』と言えば全部イジメ」などということはありません。それは完全に間違った価値観です。
二つ目に「それはイジメの範疇なのか?」ということです。
詳しく書きます。これは日本で一番問題な点です。
いじめは存在します。それは日本全国、いや世界中で存在します。もちろん悪いことです。しかし、今の日本の学校では、「イジメでないもの」が「イジメ」と同様に報道される時があります。完全にメディアの勉強不足です。
例えば、盛岡のケースを見てみましょう。何も考えなしにメディアが馬鹿の一つ覚えのように
「見逃されたイジメのサイン!」
「またもイジメで自殺!」
と報じていますね?なんであんなにも低レベルで思考力の無いニュースコメントが出来るのか、私は逆に心配になります。ニュースの劣化もここまで来ると絶望的な範囲です。
あれは「刑事事件」です。
皆さんもよく覚えておいてください。「暴行」「恐喝」「金銭の強奪」などは、「イジメ」ではありません。完全な刑事事件であり、そんなものは「教師」や「学校」の範疇ではありません。即時、警察に連絡をして、担当の警察や検事に引き渡さなければいけないものなのです。
もう一度言います。「暴行」はただの「犯罪」なのです。
岩手の事件では、みんなの見ている前で集団による「暴行」が行われたという証言があります。暴行を加えた生徒たちは「警察に逮捕させるべき」なのであり、そうでなければ警察の存在意義がないのです。
また、忘れてはいけないのは「暴行を周囲で見ていた」人間たち。これらは「暴行罪の補助」に該当する可能性があります。全員、逮捕・起訴したうえで、少年院に送致すべき事案です。その為に「刑法」という法律が存在するのです。なのに、これらを日本の学校関係者は、
警察に通報もせずに「自分たち」で処理しようとするのです。明確な「犯罪の隠蔽」行為です。
「イジメ」と「刑事事件」は違います。「刑事事件」は「警察の担当」です。教師ごとき、なんの資格もない人間がどうこうしていい話ではないのです。ここを日本の教師たちは完全に勘違いしているのです。お願いですから、刑法を勉強していただきたい。餅は餅屋です。「イジメ」と「刑事事件」の線引きを勉強したうえでしっかりとすべきです。
三つめはイジメられたからだと言って、自殺した人間を考えなしにフォローすべきではありません。
自殺した生徒は苦しかったでしょう。辛かったのでしょう。でも、私は自殺を認めません。絶対に認める気はありません。自殺は「殺人」です。自分の大切な命を殺す行為です。殺人は認めません。
日本では、考えなしに「死んだ人間はみんなで褒めちぎろう」という文化があります。間違った文化です。
自殺した人間も、非難されるべきです。本音では同情していてもいいです。でも、表面に出すべきではない。イジメで自殺?イジメられている人間も、絶望している人間も、世の中にはいくらでもいます。だからと言って、自分を愛する多くの人を傷つける…自殺という行為を認めるかのようなフォローをすべきではありません。
その自殺によって、いったい何人が苦しむでしょうか?一体どれほどの傷を周囲に与えるでしょうか?それらを考えたら、自殺は選択してはいけない行為なのです。少なくとも、私はそう考えています。
岩手の事件に関しては、かなり浅いコメントがテレビやメディアで相次いでいますが、皆さんはどうかあまり流されずに、報じられているだけではない深い部分も見ていただきたいと、そう考えています。
このコラムは少なくない人の気持ちをとても嫌な気分にさせるかもしれないですが、私が何度もいじめ問題のリポートをしてきたときに、必ず同じことを申し上げてきているので、もう一度、同じことを言います。それは今の日本に、この認識がとても大切なことだと私自身は信じているからです。
日本のいじめ問題は、かなり一方的な報じられ方をすることが少なくありません。私は日本のいじめ問題は「3点の論点」をしっかりと見つめ直すべきだと考えています。
一つ目に、「本当にいじめか?」という点です。
「からかい」「集団無視」など、現在は「いじめだ」と認識されているものは多々あります。それらは価値観によりますが、私はその程度のものを「イジメ」だとは認識しません。中には「イジメられた側がイジメだと言えば全部イジメです」というもはや何を言ってるのか分からない範囲の暴言も見受けられるのですが
A君という人間がいたとして
そのA君は話しかけてもネガティブなことしか言わない
イジワルな反応しかしない
やる気もない
思いやりもない
会話は自分の興味ある話しかしない
みんなの会話の流れも全部止めてしまう
そんなA君といったい誰が積極的に話をしようとするでしょうか?しかし、もともとネガティブなA君。A君は担任に言うでしょう。「先生、みんなが俺を無視するんだよ。イジメを俺は受けているんだよ!」
断じて違います。それはA君自身の問題なのです。みんなは積極的にイジメようと思ってなんかいません。はっきり言って会話に混ぜたら迷惑だから会話しないようにしているんです。それを「イジメ」というのは暴論以外何ものでもありません。「正常な反応」というのです。
もちろん、中には人をイジメることによって何らかの利益を得るタイプの人間が存在します。それらは否定されなければいけません。例えば、B子さんが好きな男性がいたとして、その男性がC子さんを好きだったとします。おそらくB子さんはC子さんに精神的な苦痛を与えようとみんなで協力してC子さんを無視しようとすることでしょう。これはイジメなのでしょう。それを否定するつもりはありません。
なので、本当に「イジメなのかどうか」は実はかなり慎重に精査しなければいけないものです。間違っても「イジメられた側が『イジメだ』と言えば全部イジメ」などということはありません。それは完全に間違った価値観です。
二つ目に「それはイジメの範疇なのか?」ということです。
詳しく書きます。これは日本で一番問題な点です。
いじめは存在します。それは日本全国、いや世界中で存在します。もちろん悪いことです。しかし、今の日本の学校では、「イジメでないもの」が「イジメ」と同様に報道される時があります。完全にメディアの勉強不足です。
例えば、盛岡のケースを見てみましょう。何も考えなしにメディアが馬鹿の一つ覚えのように
「見逃されたイジメのサイン!」
「またもイジメで自殺!」
と報じていますね?なんであんなにも低レベルで思考力の無いニュースコメントが出来るのか、私は逆に心配になります。ニュースの劣化もここまで来ると絶望的な範囲です。
あれは「刑事事件」です。
皆さんもよく覚えておいてください。「暴行」「恐喝」「金銭の強奪」などは、「イジメ」ではありません。完全な刑事事件であり、そんなものは「教師」や「学校」の範疇ではありません。即時、警察に連絡をして、担当の警察や検事に引き渡さなければいけないものなのです。
もう一度言います。「暴行」はただの「犯罪」なのです。
岩手の事件では、みんなの見ている前で集団による「暴行」が行われたという証言があります。暴行を加えた生徒たちは「警察に逮捕させるべき」なのであり、そうでなければ警察の存在意義がないのです。
また、忘れてはいけないのは「暴行を周囲で見ていた」人間たち。これらは「暴行罪の補助」に該当する可能性があります。全員、逮捕・起訴したうえで、少年院に送致すべき事案です。その為に「刑法」という法律が存在するのです。なのに、これらを日本の学校関係者は、
警察に通報もせずに「自分たち」で処理しようとするのです。明確な「犯罪の隠蔽」行為です。
「イジメ」と「刑事事件」は違います。「刑事事件」は「警察の担当」です。教師ごとき、なんの資格もない人間がどうこうしていい話ではないのです。ここを日本の教師たちは完全に勘違いしているのです。お願いですから、刑法を勉強していただきたい。餅は餅屋です。「イジメ」と「刑事事件」の線引きを勉強したうえでしっかりとすべきです。
三つめはイジメられたからだと言って、自殺した人間を考えなしにフォローすべきではありません。
自殺した生徒は苦しかったでしょう。辛かったのでしょう。でも、私は自殺を認めません。絶対に認める気はありません。自殺は「殺人」です。自分の大切な命を殺す行為です。殺人は認めません。
日本では、考えなしに「死んだ人間はみんなで褒めちぎろう」という文化があります。間違った文化です。
自殺した人間も、非難されるべきです。本音では同情していてもいいです。でも、表面に出すべきではない。イジメで自殺?イジメられている人間も、絶望している人間も、世の中にはいくらでもいます。だからと言って、自分を愛する多くの人を傷つける…自殺という行為を認めるかのようなフォローをすべきではありません。
その自殺によって、いったい何人が苦しむでしょうか?一体どれほどの傷を周囲に与えるでしょうか?それらを考えたら、自殺は選択してはいけない行為なのです。少なくとも、私はそう考えています。
岩手の事件に関しては、かなり浅いコメントがテレビやメディアで相次いでいますが、皆さんはどうかあまり流されずに、報じられているだけではない深い部分も見ていただきたいと、そう考えています。
コメント
コメント一覧
いじめと呼ばれるものの多くは被害妄想でありそもそもいじめの実態が無いことが多い。
では何故被害妄想が発生するのか、という点については大抵の場合家庭の不和、家庭問題によっていじめを受ける以前から既に精神的に不調を来していることが多い。
だから大抵の場合いじめられる方の親が悪い。
今だといじめが云々うるさいせいで明らかに落ち度がない、被害妄想によって加害者に仕立てあげられている生徒がとばっちりを食らうというケースが多発している。
その経験をしていれば、この記事の様な浅はかな内容にはならないでしょうから。
パワハラやセクハラと同じく、本人や周囲の人がいじめだと思えば、その時点でいじめなのですよ。
なぜなら、本人がいじめだと認識しているから。
自殺は、うつ状態が酷くなると、死ぬ事しか考えられなくなるのです。
自殺はしてはいけないとか、悪だとか言う人は、自殺願望がある人の本当の気持ちを理解していないのです。
人は、自分が経験しないと本当の気持ちは分からないから、仕方ないのですけどね。
ここから来たけど,書いてあることブログの内容が全然違ってびっくり。
「いじめられる方にも責任も・・・」そんなことここには書かれていない。
あえていうなら「いじめられる方にも原因はある」くらいには読み取れるが,
責任と原因は全く違う。
原因を取り除かなければ本当の解決にはならない。
一般論として論じるのはいったいどちらなのかわかっていない。
そういうことなら、言葉で言ってほしいのですね。
何も言わずに嫌がらせが始まるのです。
まあそれはともかく、これからも臆せずに大胆な発言をお願いします。
分かりやすい意見は、空気をよくします。頑張ってください。
一番共感できたところは自殺した人も非難されるべき というところですね。
確かにうちでも母親などが
いじめで~が自殺した
みたいなニュースを見たとき、いつも
「可哀想に」 と言います。
メディアもいつも被害者を擁護してばかりでおかしいなとは思っていたんです。
なんか気持ち悪いですよね。死んだら褒めちぎられるのは。
自殺する人の思考がわかりません。
よく 自分の状況に我慢できなくなり絶望的になって~ みたいなことを目にしますが、本当の絶望の淵に立たされた人は自殺なんか考えないんじゃないかな、と思います。
長文失礼いたしました。
少なからずいろんなケースが考えられるので真意が伝わらないと思います。
あえて不快感を承知でコメントするとのことでしたのである程度の結果は予測をすでにしていらしゃって投げかけたのでしょう。
僕としては、いじめ問題がいつも起きるたびに
"いじめは、絶対になくならない"ということを前提にそれを最小限にとどめる
活発な議論や教育そして取り組みを実施している例などを前面に出して継続して報道していって欲しいんですよね。本当に継続的に。
そういう価値ある報道で良い方法を世に拡げて欲しいと思う訳ですね。
そうして回りに良い連鎖を派生させて欲しいんです。
いじめたやつが悪い。
いじめられるやつが悪い。
先生が悪い。
親が悪い。
教育委員会が悪い。
とワーワー言ってるだけでは、見聞していてとても残念に思います。
自殺までしてしまうケースは、少ないのでしょうがいじめやいじめもどきは
すべての全世界各国、市区町村、学校、仕事場、コミュ二ティーに存在してますよね。
いじめは、人間性や人間関係の産物です。
人間がコミュニケーションを高度な次元で出来るからいじめや差別が発生するという悪しき産物なんだと思います。
競争社会であり、勉強や運動の能力、収入や出自などで優劣が付きやすい世の中です。
違いを排除するのは群れをなす我々の習性から異端は受け入れられないというDNAに刷り込まれているのかも知れません。優勢に立ちたいつまらない自尊心からくるものも考えられます。
いじめや差別をReduceするにはやはり慈愛の心、許しの心、違い認める心(違いを恐れない)などの人間性教育が大事なんだと思います。
ある時、突然すべての仕事を辞めさせられて、その後、誰からも相手にされなくなったとします。
それでも長谷川さんは「自分に問題があったから仕方がない」って思えますか?
仕事が無く、誰からも相手にされない状態が数年続いても、死にたいと思うことは絶対にないって言い切れますか?
「自殺してはいけない」そんなアタリマエのことは、言われなくても分かっています。
自殺するために生まれてくる人間なんて、いないはずですから。
何らかの理由があって、最終的に死ぬことしか考えられなくなるから、自殺を図るんです。
自分の痛みと同じように、人の痛みにも敏感になることが必要なんだと思います。
私も小学校の時から9年間、今で言うイジメを受けていました。
あの当時は仲間はずれという表現だったと思います。
おそらく、私自身の性格にも問題があったのでしょう。
しかし、私の中に『死』という選択肢はありませんでした。
当時、その行為に気づいた母親が学校に相談した事があります。
結果はイジメが一層ひどくなったような気がします。
しかし、イジメと言うのは必ずイジメをする側にリーダーが存在すると思います。
そんな子は暴力的と言うよりも頭が良いという印象を受けます。
私の場合も、そんなリーダーが転校して高校入学時(小学校から中学校は持ち上がり)に進路がバラバラになった事でイジメは無くなりました。
もし、現在もイジメが存在しているのならば、必ずリーダーなるものが存在しますので、そのリーダーに対しての対処法を間違わなければ解決できるのではないでしょうか?
イジメられる側にも責任があるというのは、少し強引な意見ですね。
イジメと自殺とは別の問題と私は捉えています。
ですので、そんな事情も踏まえた上での解決を、周りの大人がしてあげる事をのぞみます。
それと、マスコミの報道については???だらけで、いつも参考までにしか見てませんので評価の対象になりませんね。逆にマインドコントロールを受けるんじゃないかと心配しているくらいです。 (笑)
実際に教師がいじめ相談を受けて相手の生徒を処分するまでには
相当高いハードルをクリアしなければならないはずです
他に目撃者もいない状態で「殴られた」という被害報告だけでは
いじめと認定するわけにいかないわけですよ
仮に警察に行ったとしてもやはりそれだけでは判断できません
いじめられてる子やその親からすれば理不尽な話かもしれませんが
子供の将来にキズがついたり刑事事件となる可能性もあるわけですから
いじめによる処分を下す場合には絶対間違いがあってはならない
その確証を得るために調査したがいじめを認定できないケースも当然出てきます
それを隠蔽だの加害者を庇っているだのと言ったらますます情報が出てこなくなり
いじめを減らすための議論が前に進まなくなります
いくら制度や体制を整えても救えない子が出てくるのは仕方がない
大事なのはそれを教訓として次に活かすことだと思います
初めて見て思わずコメントさせていただいてます。
貴方様の様に真っ向から強い神経の持ち主や
打たれ弱い性格の持ち主…と
世の中にはいろんな性格の人がいます。
しかしながら、貴方様の考え方も良くわかります。虚言癖な子も勿論居ると思います。
ただ、、イジメられる方も悪い とゆぅ所…自殺は殺人だ… 鬱になられた事はありますか?最近では脳の中にある列記な病気です。
私は鬱=自殺 へも陥る病気だと思っています。
なった人にしかんかりません。程度も様々ではありますが、
死にたいくらい 辛かった 先も見えず
私には痛い程 わかります。
時代なのかもしれませんが
子供までもが死ぬ程辛いをしている世の中…勿論あの時本当に死ななくて良かった‼︎と思い生きてる方も沢山いると思います。まとまらない文でお恥ずかしい限りですが、本当に子供を追い詰めてしまう世の中、全大人、社会の問題です。私も人の親です。なんとか、なんとか将来ある子供さんの自死だけは
避けてあげたい一心です。
いじめられたことのない方には響くでしょうが、いじめられたことのある方には響かない正論。
多分、同じ苦しみは、共有できない方。
わかろうとしているでしょうが、わかることのできない方。
頑張って下さい。
今回の記事に直接関係ある訳ではないのですが、最近いじめの話題関連で気になるニュースをネットで目にしました。
栃木県で、ママ友同士でラインでいじめが起きた結果、お二人が自殺しているのでは?というものです。
子供がいる身としては、母親が子を残して自ら命を絶つなんて、そしてお二人も?と、とても信じがたく一体なにがあったのか、とても気になっているのですがなかなかテレビの報道を目にしません。
こう言っては不謹慎なんですが、ワイドショーとかがこぞって報道しそうなのに何故だろうと疑問です。私が目にしてないだけならお恥ずかしい限りですが…。いじめによる自殺って、子供と大人で報道のされ方が違ったりするんでしょうか。そもそもいじめの範疇か?という点で現在捜査中とかお子さんに配慮してとかで報道されないんですかね…。
自殺は絶対にしてはだめだと思います。が、一部の被害者の方が痛ましく報道されるなか報道が少ない事件もあり、加害者と言われる方々の言い分?も良く分からない時(隠蔽説なんてのもあるようですね)ふと長谷川さんになんでですかー?コメントしてみたくなってしまいました。
長谷川さんのブログなどを見るようになって、それまでよりニュースに興味を持つようになりました。関係のない話題でコメントすみません。これからも応援しています
初めは、相手が悪いと思い込み虐めてました。集団で無視、物を隠すなど。
でも、30年が経ち、今思います。どのような性格の方であっても、人に優しくできる人がいるのです。相手に問題があるならば、関係性を見極め、付き合い方を工夫する。発達障害の子どもを支え、療育されている方々が、その代表です。
先生を職業にされている方々…問題があるから苛められて当然?仕方ない?
先生という職業の方々だけは、思っていても、思っていない振りでよいので話を聞いて下さい。
きっと、それだけで救われる子どもがいるのです。
昔の事を棚にあげて、偉そうにすみません。でも、今も夢にあの光景が出てきて、泣きながら謝ります。
成長途中の子どもには、適切な判断なんて難しい…ましてや、今の子ども達は、問題にぶち当たらないように生きてきた子が多いから、経験が少ない中で判断してます。
長谷川様は臨床心理学について触れられた事がありますでしょうか?
刑法、または自殺は絶対いけない!
私も以前はそう考えておりました。
でも、臨床心理を学ぶにつれて、刑法、倫理、道徳では片付けられない事も出てきます。
でも、登校したら誰も口をきいてくれず 避けていくのです。
一度始まると1週間位続きます。
でも、親にも・先生にも言いませんでした。皆さん仰る様に、
心配かけたくない。
では無くて言うのが恥ずかしいから。だったと。そんな自分の
状態を知られたく無かったのです。
寂しいし、辛いし、でも私なりに我慢し、不登校になることも
死にたいと思った事もありません。
4年が過ぎ中学生になって
助かった。
とほっとしたのを覚えています。
今でも同級生に会うのは意識して避けます。辛かった記憶のた
めか どうしようも無い不安感におそわれます。
五十歳過ぎても消えないのです。
とりとめの無い話しですみません。
ちゃんとした人はイジメられません。いじめられる人は気味が悪い人が多いです。
日本人は被害者面が鼻についてすきではありません、どんなことがあっても被害者の
ポジションを取ろうとします。
当方、近畿地方のある大学で教育学を学んでおります。
その観点からしてコメントをいたしたく存じます。
私が拝読する限り、「いじめ」による自殺を減らしたいという思いを感じたのですが、
この議論だと「いじめ」の自殺は減らせないし、止められないと思います。
「いじめ」に遭った子は何を思うのでしょうか。
私はそれほどの「いじめ」を受けた記憶がないので様々な事例を読み解くしかないのですが、
その限りであると、「徹底的な自己否定の念」だと思います。
例えば「自分さえいなければ…」という子、あるいは「いじめ」をした人に謝る子が
それを語っているように感じます。
また、彼らが欲しているのは「公平な判断」ではなく、「味方」ではないでしょうか。
それも事例から読み解くことができます。
長谷川さんの議論は「公平な判断」であったとしても、
少なくとも「いじめられている子」の味方にはなりえない気がします。
つまり、「いじめられている子」に寄り添っていないように感じられます。
最終的に自殺してしまった子は心強い味方を得られなかったように感じられます。
岩手の「いじめ」で自殺してしまった子も、残念ながら心強い味方を
得られなかったのでは、という思いを禁じえません。
したがって、この論は、今まさに「いじめ」を苦に自殺しようとしている子には
残念ながらリアリティをもって聞き入れられないでしょう。
「いじめ」の自殺を減らすには勿論「いじめ」そのものを減らすことも大事ですが、
いじめられている子が味方を得て存在を認められる、その可能性を高めることも大事だと思います。
その取り組みの例がスクールカウンセラーであったり、「いじめ相談電話」です。
以上が私の考えです。ご無礼などありましたら、どうかお許しください。
そのため、片岡氏の言うこともあながち飛躍ではないと思います。
例示において、A君は確かに少々暗い性格と陰険さがあったかもしれません。
しかし、子供の性格や物の見方は親や環境により変わるものです。
長谷川さんの言う通り、いじめ問題は複雑で少しでも平衡な位置にいないとどうしても偏見が入ってしまいます。しかし、A君は少なくともそれをいじめと捉え先生に相談しました。
そこからの結論がA君が悪いでは、直情過ぎるのではないでしょうか。
A君は今までそういう見方や育ち方をしていただけで、何かまずかったのかと思い先生に相談したのかもしれません。
子供のものの見方は親族や環境により変わるといいました。そのため、A君はもしかしたらA君にとっては当たり前の反応をしたのかもしれません。
私の中では小中学生のイメージですが、長谷川さんやこの記事を見る方々にとっては異なるイメージがあるかもしれません。子供であればあるほど、周りを見て判断する能力を身に付けろというのは難しい。
故に、この場合A君が相談した時にどういった表情、口調、トーンだったのかなどをきちんと見てあげる必要があると思います。
もちろん、学級の時間で大事として取り上げたり関係者を呼んで話し合うなどと急にステップを飛ばすのは論外ですが、まずは状況を整理することから始めないともしかしたらA君自身はそこまで悪い子ではないかもしれません。
確かにうまく他とコミュニケーションがとれない子の扱いは難しいと思います。しかし、それを放棄して君の性格を直そうでは子供の性格次第では自己嫌悪や欝におちいってもおかしくありません。余計に殻に閉じこもり、本当のいじめに発展する可能性も否めないわけです。
天の邪鬼な先生がNHKが期待している答えをわざと裏切ろうとした言葉だと思いますが、先生以外の人がそう答えたなら顰蹙ですが、片腕を戦争でなくし、漫画が書ける右腕があるから不便と感じたことがないという先生が言うと説得力があります。
先生も勉強と朝が苦手で幼少時いじめられたと本に書いてありました。
先生のような大人が周りにいたら、岩手の子供も救われたかも知れません。
私は異変にきづかなかったご両親にも責任があると思います。
ニコニコ動画に「いじめられる側に問題がある動画」という新人声優をひたすら無視して叱られるべきでもないことをひたすらいびりいじめだと批判され冗談なのに声優がいじめられているかのような態度をとったことに責任があるので降板させたという放送の一部始終があがっています
抽象論ではなく具体的な事例でこれはいじめでこれはいじめではないとはっきりさせればわかりやすいのではないでしょうか
http://www.nicovideo.jp/watch/sm26659865
いじめは、どこの学校にも起こっていることだと思う。
教師、保護者の知らないところで。
どんなに、事件にしても圧力がかかって、うやむやにされることもある。
芸能人の子供、教師の子供、ほかにも偉い人の子供がいじめをしても、うやむやにされることが多い。
自己中心の子供が存在するが、だからといって自殺に追い込むほどの行動は、どうかと思う。
いじめた方は「いじめじゃない、からかっただけ、自殺するとは思わなかった」などと言ったりするが、限度を知らないにもほどがある。
子供社会に「ちくり」と言う言葉があるが、「ちくり」をした子供がどうゆう事になるか知っているのだろうか。
子供が親に相談ー親が教師に相談ー教師が当事者達に聞くー教師が当事者達に注意
当事者達が本当に反省していたら、いじめが終わる。
当事者達が反省したふりをしたら、人がいないところで「いじめ」が酷くなることわかっているのか疑問。
私もいじめられてましたが私にも悪い部分があったと今なら思えます。
自分のことは自分で守るべきだとも思います。
でも自分の行動に問題があるX君が「いじめられた」と言えばイジメなのです。絶対に間違っていると私も思います。でも、世の中それが正しいのです。
逆に、正当な理由がなく、または本人に責任がなく、あるいは本人に不可避な理由で、本当にイジメられているY君が「いじめられた」と誰にも言わず、自殺や問題を起こさなければ、イジメではありません。絶対に間違っていると思います。でも、世の中それが正しいのです。
世の中ではそれが正しいですが、そんな世の中が間違っていると思います。
会社でも同じような問題が起こります。管理職になると、色々なセミナーを受講させられます。
メンタルヘルスセミナー、パワハラセミナー、セクハラセミナー、どれも「誰も訴えず、問題行動を起こさなければ、それは(リスクは高いが)結果的には問題ではない」と教わります。
そして、「問題が起こればそれは全て管理職の責任だ」と教わります。たとえプライベート起因でも問題が起これば管理職の責任なのです。
世の中ではそれが正しいのかもしれませんが、そんな世の中が間違っていると思います。
A君が和を乱すので徐々に疎遠に
公園で遊ぶ子どもから社会人まで日常にありふれた駆け引きです。
A君は思うままに発言する権利があり、でも周りのB君、Cちゃんも、怒ったり悲しまされたりすれば、A君と関わらない選択をとる権利がある
ここでA君が寂しく感じれば、
これは言ってはいけないんだ、次からはどう言おう?と考え行動を変えてみる。
皆こうして人との付き合い方を覚えていきます。
また、A君が自分を曲げないなら、
友人関係を広げ、自分と合う他の誰かを探す、
これも、成長過程で身につけるべき能力です。
いじめ自殺報道の、徹底して周囲を責める論調は、こうした自力で他人との距離の築き方を学ぶ機会を失わせていく気がしています。
姉が保育士なのですが、
ぶたれたり転んだ事のない子は、痛みを感覚で分からず、限度を知らなくいきなり重大事故になる、とよく言っており、通じるものを感じます。
そして、自殺は絶対ダメだという理屈が二の次にされていることにも警戒感を抱いています。
まだ確り生死を意識したことのない子ども達が日常的にこのような報道を見ていたら、
自然と「自分で一矢報いられないけど、自殺すれば世間があいつらに制裁を加えてくれる」という感覚が出来てもおかしくはないように思います。
我が子に自ら先立たれ、それでも最後の思いに報いたいと活動されるご両親の思いは、はかり知れないです。
これだけ愛してくれる人が身近にいたのに、一過性の友人関係を理由に人生を投げ出してしまったのは哀しいです。
自分への愛情に気付きその人達を守り悲しませない、自殺は一番いけない方法。
「いじめ、どこまでも駄目」なんて、お題目みたいな見方から離れ、
命を最優先にした実際的な議論に進むことを望みます。
1つめは、周りが何故、指摘してあげられないのでしょうか?
私も、ネガティブな事ばかり言う友達がいます。
時には、疲れる事もありますが、言い続けてます。
そこまでいっても、なおことと言う事であれば、少し理解出来ます。
3つめは、半分位ですかね。
自殺する人も、自分を思ってくれる人、恐らく状況的に親位ですかね、を傷つけたいとは、思っていないでしょう。
それ以上に、死んで楽になりたい、仕返ししてやりたいと言う思いが強いからだと思いますよ。
自殺って、普通の人には、相当勇気がいる行為です。
うつ病を、気合いが足りないというのと、同じ匂いがします。
他の記事にも同じような文章が多く、少し隔たりがあるのかなと思いました。
色々な方がいて、色々な考え方がありますので、「マスコミの主張も一意見」、「このブログも一意見」です。
マスコミは社会的影響力が強いですから、隔たりが大きいとちょっと困りますね。
推察や、憶測で安っぽい活字や公共の電波で流されるコトバの多さ。
「あたかも、それが真意であるかのような薄っぺらな報道」がなくなりますように。
発言する方はもっと慎重であり、誤解のない報道をしてもらいたいと感じました。
「断じて違います。それはA君自身の問題なのです。みんなは積極的にイジメようと思ってなんかいません。」と言いますが・・・
私が小中学生時代に本気で死のうと思った時期があります。
その当時の私は他の誰とも変わらず、どちらかというと明るく気さくで誰とも仲良くし、リーダーシップを発揮してたと思います。
それでも誰が見ても理不尽なイジメに合いました。
その当時も自分で思い悩んでましたが、学年で一番の小柄なために運動能力は普通以下だったし、いじめやすかったのかもしれません。
(イジメ=ネクラだとか思われると心外なので言いますが、私は後に高校野球強豪に進学しました。が、そこでは縦社会の理不尽なイジメが存在しましたね・・・)
イジメル側に理由なんてありません。自分より弱者を作り、自分が優位な立場に立ちたい輩がイジメを行うのです。この事をお忘れだと思います。
そして・・・
「自分の大切な命を殺す行為です。殺人は認めません。」
私もそう思います。然しながら、私自身の経験では、死のうと追い詰められた時に、死ぬ勇気がなくためらいました。
自殺する時の肉体的な痛みを想像すると死ぬことができなかったわけです。
そういう事を考えた時点で、本気で死ぬ気はなかったのかも知れませんが、自殺した人は本当に追い詰められて自殺してしまったと考えて欲しいです。
勿論、私も自殺は肯定はしません。
ただ、誰が見ても理不尽なイジメは存在します。
「みんなは積極的にイジメようと思ってなんかいません。」という事には誤りがあります。
イジメようと思ってないのなら、イジメなんて存在しないはずです。
相手への思いやりが欠けた時にイジメが発生するのだと思います。
ちょっと違和感を覚えましたので、体験を踏まえコメさせていただきました。
自殺について「肯定はできないが全面的な否定もできない」みたいなことを書いたのですが、これは、
「真の意味で自殺以外の選択肢が完全に無い状況」
を前提としての話です。
もっと言えば、そういう状況が現実に存在すると仮定した場合の話でもあります。
私自身、自殺したいなんて思ったことが無いので、そういう状況があるかどうかについての見解は持ち合わせていません。
が、もしそういう状況があり得るならば、それは一種の「助からない病気」のようなものかな、という思いがあるわけです。
先ほどは自己破産に例えたのですが、もうちょっと深刻な例え方をするならば「終末医療」とか「安楽死」みたいなキーワードと絡んでくるのかもしれません。
まぁ、そんなわけで「ほかにいくらでも選択肢があるのに安易に自殺を選ぶ」ことは、長谷川さん同様私も全面的に否定する立場です。
当然、マラソンなどの時期には、
良いな。うらやましい。
など、今考えると(いじめ)では無いのでは 程度の言葉に傷つき
引け目を感じ 辛かったのです。
(いじめ)とは、よほど酷いのは別にして 本人が感じるかどうか。
ではと思います。
ですから、子ども達に
親より先に死ぬのが最大の親不孝。バカでも良いから生きろ。
と、今回の様な事件の度に言って育てました。
どう対応するのが正しいのか。私の育て方は良かったのか?
分かりませんが 死なないで欲しい。
ほぼ仰る通りだと思います。
何となく日本では「未成年が未成年に対して行う犯罪的行為」を押しなべて「いじめ」と規定している観が無くもないと前から思っていました。
少年法を「未成年だったら刑法の適用を受けずに済む」的な理解をしている人を時々見かけますが、根っ子は同じ発想のように思います。
ただ1点、自殺に関する捉え方だけ、長谷川さんと私で若干違うと思ったのでコメントしました。
私も自殺は良くないことだという認識なのですが、どちらかと言えば「自己破産」の一種のような捉え方をしています。
やられると大変周囲に迷惑が掛かったりするわけですが、しかしいよいよせっぱ詰ってどうしようも無くなった時の究極の選択肢、という意味で似たところがある、という整理です。
# もちろん、全く同じと捉えているわけではないですが、似たような概念…という程度の意味で。
例えば、何等かの手段で自殺を物理的に禁ずることが出来たとします。
しかし、自殺したくなるようなシチュエーションに追い込まれる人間が絶えるわけもなく、そういう人間が自殺もできなくなるとどうなるか。
多分、精神が崩壊すると思うのですね。
…精神が崩壊したから自殺を選ぶ、というケースもあるのかもしれないですが。
これは究極の選択なのかもですが、精神が崩壊し、自己のアイデンティティが喪われるくらいなら、己を保てる間に死を選ぶ、というのは、肯定はできないにしても全面的な否定もしづらい、というのが私の意見でした。
僕のオヤジは高校生の時に鬱病で自殺しました。
なので、リアリティを持って記事を読み考える事が出来ました。
話が逸れましたが、自殺を擁護する事は絶対にいけない。
そして、自殺をした理由は社会的な枠組みで言えば自己責任です。
悔しいけど。
オヤジ以上の境遇の方もいるわけで、絶対的な自殺理由など存在しないと思うんです。
大事な事はこのように自殺にたいして否定する作業が必要なのに、自殺をした瞬間に無条件で擁護や肯定するような風潮が自殺が減らない理由の一つだと思います。
何しろ、自殺した人を否定したりする事はタブーになってるわけです。
否定したとしても、【命の大切さ】みたいな抽象的な言葉に終始してしまいがちで、身内に自殺した方がいるのであればもっと論理的に分析しなければいけないと思います。
僕の家族はやっぱりなんとなくタブーになっており、擁護する空気になっています。
これでは結局、悲しい事や辛い事があったらあの世に逝っちゃおー!って思っても良いんだって思ってしまう人は増えてしまうと思うんです。
親が自殺をした人間として思っている事が、自殺は良く無いキャンペーンをするより、自殺をしようと考えないような思考を身につけれる事が何より大事だと思います。
生まれた時から自殺したい人なんていないし、腕を切ったら血が出るみたいな絶対的な事でもないわけです。自殺って。
デリケートな問題なだけに結論は難しいですが、久しぶりに考えさせられるきっかけを作ってもらいありがとうございました。
でも、自殺という選択をしてしまうとき。
人は正常な判断を見失うほど追い詰められているのです。
そんな人を「非難されるべき。」と論じるのは、私は乱暴の意見だと思います。
というか、非難はされるべきでは無いと思います。
そこまで人を追い詰めない社会を築き上げること、誰かがそんな被害者の心に寄り添ってあげられる愛のある社会を築き上げるにはどうすべきかを考えるべきだと思います。
親の事を大切に思っているのなら尚更。実際私がそうでしたから。
一番大切な親を悲しませたくない。その一心です。
同い年の、同等であるはずの人間から下に見られている。今まで生きてきたすべてを否定される。
そんな屈辱的な事を、自分の事を大切に育ててくれた親にどうやったら言えるのでしょう。
自殺は、確かにいけないことだと思います。ですが、それは結果論でしかない。自分の存在すべてを否定されてしまったら、その年の子どもにとっては、 それが最良の選択としか思えなくなるのも理解に難しい話ではないと考えます。
大切に育ててくれた親には申し訳ないと思っているはず。でも、自殺を選択するほどに苦しんでいた。中学生には、今ある人間関係がこれからの自分の人生のすべてだと誤認識してしまう傾向にある。
私はそう捉えます。
3つの論点ですが1番目と3番めは岩手のイジメ自殺やその報道となんにも関係のない話をしていますね。関連があるなら具体的に引用等していただかないと、この考察が事実に基づくものなのかさっぱり分かりません。
2番めについては同意する部分もありますが、全体的には「岩手」をタイトルに含めるべき必然性が全くありません。あたかも関係するかのような、いわば便乗商法は即刻修正したほうがよいのでは。
ヤフーからこちらに飛ばなければ、誤解したままになっていたと思います。
学校は特殊な空間です。先生が介入できないところがあります。気に食わなければ上辺だけで対処すればいいのに、それができない子がいます。思春期だからか、その子の性質なのか、わかりません。あとで振り返れば客観的に見れることも、渦中にいるときはできません。別の視点を持つことができれば防げることも、行動範囲の小さい子どもほど困難で、悪い方へ悪い方へ思い詰めてしまいます。
うまく要点をまとめられず、すみません。長谷川さんの意見にほとんど賛成なのですが、最後の自殺に関するところだけ、ひっかかりました。
確かに長谷川さんの意見も頷けます。ただ、本気で自殺しようと思う異常な精神状態の人が、周囲を心配できると思えません。
今回の岩手の件に限らず、自殺を回避する方法はいくらでもあると思いますが、それは周囲の人間が気づかせてあげなければいけないことです。
もし今回亡くなった生徒が先生にでなく、親に自殺をほのめかしていたなら、結果は大きく変わっていたでしょう。殴ってでも止められていたでしょう。
どうして自殺なんてしたんだと責められるべきでしょう。ですが、正常な判断を下せないところにいた、彼を責めるのは酷です。ひとりでは限界で、勇気を出し助けを求めても状況は変わらず、それでも身内に心配かけまいと必死に生きていたんだと思います。
自殺は容認すべきでないと考えますが、この岩手の件に関しては非難できません。
私はこの記事を読んでまず、この事件の周囲にいた人たちを救うためだろうか、と思いました。
この事件の周囲にいた人たち、先生方、同級生たちは今、すごく厳しい状況なんじゃないでしょうか。特に同級生たちの中には「私、無視してた。あの子が死んだのは私のせいかも」と自分を責めている子もいると思うのです。そんな子に向かって「あなたは悪くないよ。普通の反応だよ。」とメッセージを送ったのでしょうか。世間にも「周りの人たちが悪かったわけじゃないよ」と理解を求めたのでしょうか。
あと、ノートに「助けてほしい」とSOSが書かれていたことを持って「担任が無視した」と断じる人が多いのですが、私はアレを見て「この子はオオカミ少年になっていたのかな」と思いました。
あのノートはすごくインパクトがあるので反応する人が多いのも仕方がないかと思いますが、あんな断片で「担任が悪い」みたいな論調になるのは集団ヒステリーを見ているようでウンザリします。
自殺した子がいるんだから、誰かが何かが悪かったに違いない、といった短絡的な論調が多く、私はかなり怖いことだなと思っています。
僕は過保護だと思いますけどね〜。
全員で無視した。でもいじめのつもりはなかった。というのは加害者側からの
一方的な言い訳です。自分たちを正当化するためになんとでも言えるのです。
僕らはそんなつもりではなかったと。
暴行は刑事事件との意見は賛成です。学校は警察沙汰にすると自分たちの学校の評価が下がると思っているようですが、それを隠避すれば大変な責任を負わざるをえないでしょう。
ただ今回のケースを含め多くのいじめは被害者にも原因があると言えるものではない。
死の前、彼は明らかに担任に助けを求めていますよね。
助けて欲しいと、言葉は違えど、はっきりノートに書かれています。
いくら刑事事件だと言えど、中学生のそれも、学校、クラスと言うごく小さなムラ社会中で、事件として摘発できるほど子供達は強くない。
それができるなら、そもそもいじめの対象にならないでしょう。
担任に助けて欲しいと訴えているのを(今回のケースでは)無視されているんですよ。
多分、と言っても想像の範疇にしかありませんが、学校側がいじめに対して本気で対応していなかったのでしょう。
校長は教育委員会に対し「ゼロ報告」さえしておけば、なにもかも安泰と考えていたのではと思えて仕方ありません?
問題にするのなら、自殺した子をとやかく言うより、余程その方が重要でしょう。
担任も「体調不良」を理由に出てこない。
校長の会見も、TVで拝見いたしましたが、どこか他人事のように見えました。
情報が共有されなかった...などと、ただの言い訳でしかありません。
校長が本気でいじめを無くそうと考えているなら、教員の意識だって違ったはずです。
まず親に相談なんて意見も見かけますが、その方たちは一日に何時間、子供たちと真剣に向かい合っているのでしょうか。
小さな時から毎日会話を重ね、わが子の心情を把握し、的確な判断をする努力を重ねなければ、特に思春期になった時、子供達から急に胸襟を開いて...なんて都合の良い事が起きる訳はありません。
私を含めですが、他人様のことはとやかく言えます。
皆さん、わが子には、同じ立場に立ったときに如何対応できるのでしょうか?
ネガティブなAくんにいて、無視されるのは、A君のコミュニケーションスキルの無さが原因で、無視されても仕方ないとおっしゃっているように感じましたが、私は必ずしもそうとは思いません。 ADHDなどの発達障害が原因で本心とは関係なく、そのようなコミュニケーションをとってしまい、それが原因で、いじめにあい、苦しんでいる人が沢山います。A君の例えは、 むしろ、そのような潜伏的障害が、原因の事で起こっている事のように思います。
ですから、例えの話ではありますが、そのようなA君やケースを、いじめではないと、断言してしまうのは、間違いだと思います。
社会にでたあと他人にされたら訴える案件ですよね。
子供のときから徹底的に「暴行」「恐喝」「金銭の強奪」は犯罪だということが
周知されて実際に補導されれば、自殺するような暴行事件はおのずと減る気がします。
自殺はよくないというのはその通りなんですが、日々人身事故で電車が止まっている
ような昨今、大人にできないことを子供に望むのも酷だと思います。中学生の世界は
学校と家庭と塾・習い事ぐらいしかないですから。都市部出身の子供は私立の学校が何校もあるので転校したり、課外活動に新しい場を見いだしたりと選択肢が豊富ですが、地方では家の近くの公立中学に通うのが一般的で逃げ場がありません。
子供に自殺してほしくないとは思いますが、暴力を振るわれていじめた相手にいなくなってほしいけど、自分は暴力はふるえないし、ふるいたくない、相手がやったことがどんなにひどいことだったか反省してほしいという抗議の意味もあると思うので、そのような哀しいことにならないように、スクールカウンセラーに話しやすい体制を作って
その学校に通えなかったら転校できるなり、自宅学習ができるような環境を整えて
欲しいと思います。
そうすれば、問題が単純化する。
1つ目の件なんて全く考える必要がないし、
2つ目の件は、被害を被ったら証拠を持って警察に届ければ、警官は間違いなく動くだろう。
3つ目の件は、自殺は「殺人」であるという考えには同調しますが、
その他の文言は”?”のところもありましたので、意見を述べさせて下さい。
日本は世界の中でも裕福な国であるにも関わらず、色んな理由で苦しんでいる人が
たくさんいます。病気で苦しんでいる人、両親が亡くなってしまった人、
今回のようにイジメに苦しんでいる人もいる。その他にもいろいろ苦しんでいる人が
いるでしょう。
避けようのない苦しみから逃れるために自殺する。それについては私としては良くない
とは思うが、苦しみ抜いて「自殺」という選択肢を選んだ当事者を責めるつもりは全くない。
あなたが「自殺」する人を責めるのであれば、身近で「避けようのない苦しみ」を
持っている人に、それが「避けようのある苦しみ」であること教え、自殺を考えている人を
救ってあげて下さい。
もしそれができなければ、「自殺」を責める資格はないと考えますが、いかがでしょうか?
ネガティブなA君がいたとして、集団無視したらイジメではないでしょうか?A君はネガティブだから積極的に話したくないのは分かります。その時、各個人が「自分から話さない」「近づかない」「話しかけられてもそっけない返事しかしない」という行動をとるのは分かりますが、集団になって無視をしているのは行き過ぎなきがします。話しかけられても返事をしない時点で(無視)ではたから見て不自然なうえ、それを集団で示しを合わせて行っているとしたら、A君に嫌な思いをさせてやろうという悪意を感じます。
イジメかどうかの線引きは難しいと思いますが、ここらへんはいじめの範疇だと思いました。
「おかしいヤツを笑って何が悪い」という意見は、学校の先生でも言う人はいます。
それはその人が基本的に「日陰者」になったことがないタイプだからだと思います。
学校時代友人が多く、勉強もスポーツも問題なくこなし、教員試験にも合格。
そもそも先生になった動機も「学校が楽しかったから」だったりする先生。
こういうタイプの先生は、今回の長谷川さんの記事のように
根暗なタイプの子や上手く取り回れない子を「自業自得」と捉えて放置するか
ひどい場合はいじめっこ側を擁護します。(子供時代、実際に目にしました)
長谷川さんも大学を卒業し男性アナウンサー、という
「日陰者」とは無縁の人種でしょうから、上述のような
いじめっ子の肩を持ち、黙殺したりヘタすると一緒にいじめる類の方なのかなと、残念に思いました。
イジメを受けてきた者です。
「私はどちらの味方でもない」と言いたいのでしょうが、正直気分悪いです。
今からでも「かなり浅いコメント」を覚える事をオススメします。
長谷川氏は少年時代、加害者か無関係かで、イジメが起こるたびウンザリしていたのでしょう。
1の様な事を喰らって気分悪かったと言う事ですね・・ひょっとして自殺でもさせましたか?
納得できました、よいサンプルです。
「かなり浅いコメント」をする番組は以下のように考え、作られたのでしょう。
・「能書き」を伝えたら被害者がキレた。
・だから同情面して被害者寄りにした。=「かなり浅いコメント」
・被害者に怯えただけ、被害者の理解する気はない。
ココで言う「能書き」は今回の長谷川氏の記事内容です。
別に変ではないですよ。理解する必要も義理も無いですし。
1で言われている事、いい線行ってます。
敵意の有る無しは置いといて、半端物だからハジかれるのですよ。常識通りなら何も起こりません。
常識に手足を着けたような、長谷川氏、「かなり浅いコメント」をする人、共に今後イジメを受けないでしょう。
あるのは被害者からの復讐、八つ当たりの危険性だけ。
「かなり浅いコメント」で同情面して被害者寄りであれば、身を守れます。
この程度の事情、察して黙ってあげたらどうですか?同類なんですから。
実際イジメの度合いがどの程度かは分かりませんが、まだ中学生の子供が自殺を実行するまでに追い込んだ周りの人間にまったく非が無いとはとても思えません。
長谷川さんの意見ははどこか他人事のような気がします。あなたの子供がイジメを受けて自殺した時に同じ意見が言えますか?
私も中学生の頃に、先生が読むノートにSOSのようなことを書きました。しかし、先生はスタンプを他の生徒に押させただけで、読んでくれませんでした。あの時の悲しみは今も忘れません。だからこそ、自殺した子の気持ちはとても分かります。
反応が返ってきただけ、マシだとも思います。
ただ、私は自殺しませんでした。
もちろん、親が悲しむのが分かっていたからというのもありますし、当時は絶対に叶えたい夢があったからです。
あれから干支も1周以上して、いろんな経験をして、当時の夢も叶いました。
今回の件、なんだかモヤモヤが止まらないままです。
ないかと思いました。
いじめられた子供が
誰にも相談できず逃げ場がない状況というのは
本人しかわからないことであり
誰にも100%理解してあげるは不可能だと思いますが、
一番近くにいる教師が責任をもって生徒に
接してあげているかでその後の生徒の判断も
変わってくるのではないかと思います。
まず、一つ目についてはもちろん慎重に調べる必要はあるでしょうが、そんなこと不可能でしょう。
だってA君のような人はもちろん私の周りにもいました。 でもそれは私の主観であって、他の人はそう捉えてないか気にしないのか、友人はいたような気がします。
でも仮に私がクラスの中心人物であったり、ある程度影響がある人物とします。 嫌な感情って言葉に出せば伝染します。
『あの子感じ悪いよね。』 『あの子空気読まないよね。』って言うと、そうかなって、そう言えばそうだ。 なんて事は多々あるんじゃないですか?
それから『あの子の事無視しよ』『話しかけないようにしよ』って事なりますよね。
もちろん正常な反応かもしれませんが、嫌いな人や感じ悪い人に対しても、子ども達には思いやりを持ってほしいというのは大人の欲目なんでしょうか?
2つ目は全く同意です。 ただ傍観者も犯罪者というのはちょっと酷なような気もしますが。
3つ目も反対ですね。 自殺者の本当の被害者は家族ですよね。 それを被害者に対してネガティブな発言をマスコミがするって、いわゆるセカンドレイプと同じことではないでしょうか。
長谷川さんのブログ、いつも拝見させており、大いに考えさせていただいております。
今回の内容について、特に2つ目のご意見、大賛成です。
毎日の報道で感じていた違和感を見事に指摘されていると感じられました。
私見ではありますが・・・
報道で「見逃されたイジメのサイン!」をよく見かけますが、
『本当に教師が見逃したのか・・・?』
と疑問を抱いております。
報道でのスタンスは担任への責任追及を積極的に行っているように感じられますが、
実際自殺する前の
「死ぬ場所ももう決まっているんですけどねw」
中二ですよね。
この文章だけで全て担任にフォローしろといっても、それはあまりに酷だと感じます。
それを周囲に話すと、『以前から暴行の相談が書かれてたじゃないか、担任の怠慢だ!』
と言われます。
ただ報道を見ている限り、担任の返答の文章は先述の文章だけであったと思います。
暴行についての返答は詳細はわからないという、アンフェアな感覚があります。
もちろん『これだけやったから責任はない』という理屈ではありません。
私が思うのは、これ以上の負担を教師個別にかけるのではなく、
学校という『組織』で対策を講じさせ、再発防止を行うように仕向けることが重要であると思うのです。
調布墜落のニュースもあり、大分沈静化してきてはいますが、
報道自体があまりにもショッキングに仕立てようとしているように感じます。
長谷川さんの意図するところと違う所に頭が働いているかもしれませんが(笑)
それが違和感の正体であるのかな、と改めて思いました。
長文大変に失礼いたしました。
なお末尾に、私は教職を志し、学んだこともあり、自殺未遂も、いじめも経験がある人間です。
その体験を土台に、長谷川さんのブログを拝見し、賛成した上で、先ほどの冗長な私見を
述べさせていただいております。
イジメたいという気持ちが先ずあって、例えば、空気読めてない奴を(本当はそれほど腹は立っていないくせに)イジメるとか。
あとで言い訳できますからね。
「あいつ空気読まないんですよ。暗いんですよ。ノリ悪いんですよ。だから誰も相手にしなかったんです。」
もちろん、それで仲間はずれみたいになるのは仕方ないんです。
しかし、仲間はずれしながら、その子に見えるようにニヤニヤ笑ったり、その子に聞こえるように「お〜い。遊びに行こうぜ!」なんて別の子に声かけたり。
こういうのは、『仕方なく仲間はずれにする』のとは違う。ハッキリと相手に伝わる悪意がある。積極的に悪意を伝えようとしてる。
結局、イジメって現場の様子をずっと見てないと判断が難しい。
そもそも、ターゲットにする子を、空気読めない奴に仕立て上げるのは簡単です。予め仲間と示し合わせて、その子が何か言うたびに、シラけた雰囲気をわざと作ればいいんですから。それを続けると、その子は勝手に『暗くてノリ悪いヤツ』になってくれます。
ガチのイジメはそこまで下準備します。イジメのゴールはターゲットの自殺と設定してる異常者もいるかもしれません。
でパーンと割りきれますか?
そんなにいじめにあうの嫌やったら不登校
したらええねん。フリースクールなんかに
行くようにしたらええんよ。
あとさ、自殺した子の親マスコミに出過ぎ。
我の子死んどるのに出てくるか、普通。
コメント求められても断るぜほんとなら。
ここに書かれている部分に関しては大賛成です。
どう考えても暴行であり恐喝である犯罪を学校がかかわってくるといじめというソフトなものに変わってしまうことが、この「いじめ」という問題の根を深くしていると考えます。
それ以外は、まあケースバイケースのところがあるように思えます。
いずれにせよ。長谷川氏が一番問題としている2番目に関しては完全同意です。
当然中学校でもいい扱いは受けないはずです。そこでも先生に告げ口すれば、いじめも止み溜飲も下がります。
ただ大人になったらどうするのか?上司や警察に告げ口することになるのでしょうか?
大人は賢く、精神的にも成熟してますから、嫌いな人間に分かりやすい態度をとってくれるとは限りません。
職場の行事には一応呼ばれるがプライベートの遊びには一切誘われない、モテない、友達が出来ない、などの扱いを受けることになるのでしょうが、
警察に相談したところで逮捕なんて出来ません。上司も叱るわけがない。
いじめた奴を先生や警察の力でやっつけた、それで終わりでこのようになってしまっては、局所戦は勝ちかもしれないが大局では負けです。一度きりの人生が、あまりに惨めな形になってしまう。
自助努力に乏し過ぎると、モグラ叩きだけで青春を終えることになります。
たまたまクラスのガキ大将と好きな人がカブった、などとばっちりのようないじめや、障害を理由にしたものなど、本当に本人が悪くないものもあります。
ただ少しは被害者にも批判的な目を向けたほうがいいんじゃないか、とは思いました。
性格が悪いから、デブだから、ガリ勉だから…など、いじめが起きるのには色々原因はあるはずです。
デブとガリ勉に関しては別に悪くはないと思いますが、性格が悪いのは問題です。
こいつは性格が悪いから殴るんだ、というのは間違いでしょう。
ただいじめのレッテルが貼られたとたん、加害者は極悪人で被害者は聖人君子のように扱われるのは、どうも冷静な考え方には思えない。
その上で思うのは・・・。長谷川さんってイジメっ子の思考なのかなと。
1.私自身褒められた性格ではないですし問題児でした。でもだからといって他人にからかわれたり無視されていいとは思えません。
からかいや集団無視は立派なイジメでしょう。相手の性格に非がある。正常な反応。そんなの関係ないです。そんな反応しかできないことにも非がある。イジメを受けた側がイジメと言えばイジメ。する側に悪意があれば些細な行動でもイジメになると思う。そんなつもりはなかった。なんていうのは加害者の常套句じゃないですか。
2.私は暴露をしてイジメは終わりましたが、たまたま運がよかっただけかもしれない。大人にチクったことでイジメが悪化するケースだって十分にあります。
というかイジメって言い出せない人間を標的にする側面があります。イヤなら警察に訴える。そういったことができないから問題なのです。ただでさえ、子供の世界に大人が口を出すなっていった風潮があるわけですし。
3.自殺は肯定できないですし、自殺して苦しむ人は間違いなくいます。大学の有名が自殺した時はもう・・・。人の死は悲しみと喪失感でいっぱいです。もう会えないのですから。
でも、それでも自殺を選ばざるを得なかったことも考える必要があるがあるのではと感じています。価値観や精神状況は人それぞれなのですから。切り捨てるのはそれからでもいいのではないかと。
どうもイジメっ子、というか加害者の視点ばかりでイジメられっ子、というか被害者に冷たくないですか?
イジメっ子にはイジメられっ子のことはわからない。理解できない。ってことなのでしょうか。
自殺はいけない。まったくその通りだと思います。自分を殺すことで一体どれだけの人に死ぬよりも辛い想いをさせるのだろうか。それを考えるだけで非常にかなしい気持ちになります。
ただ同時に、そのような選択をせざるを得なかった子供が毎年少なからずいるという事実を認識する必要があるのではないでしょうか。
質問ですが、長谷川さんの提示した例の中に、果たして、今回自殺したあの子は当てはまるのでしょうか?あの子は他の子がイラついて話すことを拒むほどコミュニケーションの取れない子供だったのでしょうか。
あるいは、暴行罪として刑事事件に発展するほどの被害を受けた子供だったのでしょうか?
おそらくその狭間にいたのではないかと思っております。子供は時に残酷です。そして、同時に純真です。言葉の暴力でさえ、拳一発ほどの破壊力を持つことがあると思います。
必ずしも「いじめ」だとか「暴行」だとか、明確に区別できない場面で事実子供は苦しんでいるんです。もがいているんです。
だからこそ、学校や教育委員会や、いじめ相談室もどんぴしゃりな判断ができないのでしょう。
いじめは悪い。自殺も悪い。でも、どこまでがいじめが、どこまでが暴行か。そして、どの段階で子供は自殺に追い込まれてしまうのか。これは果たして第三者が決定できる事項なのでしょうか。
自殺するのはいつも「いじめられている」本人です。ならば、本人がいじめと判断したものが「いじめ」と認知されてしかるべきなのではないでしょうか。
長々と失礼しました。
これは非常に根の深い議論でもあり、必ずしも答えがあるとは限りません。しかし、だからこそ、弱者の立場からの視点で自殺を防いでいく必要があるのではないでしょうか。
少なくとも、今もし、同じ様な状況で自殺したい人が報道をみたときに、「こんな奉られるのであれば、死んでもいいかな」と思わせないような空気が必要かと思います。
あと、盛岡はこの件には一切関係ないですよ~。矢巾か岩手でお願いします。
長谷川さんの意見、好きです。
学生生活ほど理不尽な世界はない。
生まれや育ち、容姿や足の速さなど目立つ個性のみが評価され、
勤勉さや誠実さ、正義感の強さはイジメの対象となります。
私も幼少の頃から運動はほとんどダメ、チビでガリガリでよく馬鹿にされました。
小学生の頃そんな境遇に絶望したこともあります。
今は馬鹿にされたと簡単に書きますが当時はいじめられているという認識でした。
幼稚園の頃から仲良くしてた友達はみんなあっち側。本当に一人ぼっちでした。
私の場合、助けてくれたのは父親でした。社会に出れば生まれなんて関係ない。全てはお前の努力次第。自分を磨き続ければ社会はかならずお前を求める。と何度も言われました。
小学生にかける言葉として適切かはわかりませんが笑
そのせいか高校卒業後に職人の世界に入り、厳しい修行にもあいつらを見返してやる!と耐え抜く原動力になった気がします。
でも不思議とこの業界で実力、地位、
高収入を得た現在はあいつらに対してなんの感情もわきません。
高級外車乗り回して地元に豪邸立てて見返すつもりでしたが今ではそんな感情1ミリもでてきません。
現在一緒に仕事をしている仲間に昔いじめられていたと話すと嘘つき呼ばわり…あの苦しかった学生生活は幻だったのかと思うほどです。
学生の世界は理不尽です。社会も理不尽です。でも社会にでれば学生時代に覆せなかった力関係はやり方次第でひっくりかえる。周りが楽しく遊んでいる時に泥水なめる覚悟さえあれば。
文章は苦手なので長谷川さんから見るとツッコミどころ満載でしょうが小学生時代から今の仕事につくため勉強ほったらかしだったので許してくださいね。
フォローするから、哀れむから、自殺願望者を肯定化する。と言うことでしょうか。
自殺をすることで、自分を哀れんで欲しいとか、復讐とか、抗議とか一種の表現にしようとか、そう考える自殺者は確かにその肯定化が影響を与えると思います。そういう意味で一理あるかと思います。
しかし、恐らく、多くの自殺者は自分の事をどう思われようが、何て言われようが知ったこっちゃないでしょうね。自殺が殺人と言われようが、自分の死が誰かを傷つけようが、そんなことはもうどうでもいい。辛い。苦しい。苦しくて辛くて、きつくて、もうとにかく逃げたい。早くこの苦しみ悲しみから解き離れたい。
そんな正常な判断すら出来ない状態に追い込まれた人には、多分そういった主張は耳にすら入らないでしょうね。むしろよけい苦しめるだけであって、社会からも許されないまま、許されない自殺で死んでいく。
三点目だけ、私は半分納得いきませんでした。
それを利用すれば、教師も逮捕権を持っていることになります。
学校内で故意にガラスを割る行為は器物破損ですから、教師がその行為者を私人逮捕して検察に引き渡せばいいのです。
他人に暴力を振るうのは暴行、傷害ですから、教師がその行為者を私人逮捕して検察に引き渡せば良いのです。
もっと私人逮捕について衆知させる必要があると思います。
いじめを普通の暴力事件ととられると、やっぱり少年法「的」なものというか、学校という環境と、中学生小学生とかの特殊性を考えないといけないんじゃない?いや、程度の差だけど、高校とかならさすがに分別もついて、集団暴行とかはまっすぐ刑事事件の範疇なんだろうけども。まずいじめってする側もなんらかの心理的抑圧の下にある、っていう傾向があるそうで、いじめる子供自身DVなど問題のある家庭環境の反動で教室で暴れてしまうとか、規範意識が過剰化して、「空気読めない」子を必要以上に攻撃したりとか。
別に、嫌いな子に距離を置くのはいいのです。それにとどまらず排除してしまうこと、これはいじめる子供の方で異物に対する姿勢が未熟だったり、あるいは規範の内面化に努めすぎていることにあります。そして、これは外面的に判断できることじゃないです。単に大人からみていじめられている側に問題があるとしても、それになぜ過剰にいじめるがわはいらついているのか、それもまたケアすべき問題です。
変な話、いじめられる方も救われないといけないのだけど、実際のケースを見るといじめる側がある種暴力の形でSOSを出していることも多い。(ばかげたこと、なんて言わないでくださいね、実際に教育の現場の方からそういう話を聞いているのですから)
で、感情の表現が未発達で、気が合わないなら距離を置くだけでいいのに暴力に訴えてしまう子どもをいきなり「刑事事件」で引っ張ると、それもそれで彼らも失うものが多すぎるのでは。
「いじめ」は学校での子どもの人間関係の機能不全の一つの表れであって、それは単に暴力が伴うとか伴わないとか、単なるシカトだけかとかにとどまらない。学校という特殊な環境と、きわめて不安定な年齢の子供の情操の問題、これにかかわる視座が必要なのだと思います。
通報するのは現場目撃した生徒か、暴行受けた本人ですね
どちらにしてもハードル高すぎです。※教師は事勿れですし
現時点でそれができる人間が教室にいれば表立ったイジメ(暴行)なんて起きそうにない。
代わりにコソコソした陰湿なイジメ(器物破損)は起きそう。
学校に警察官の1人でも入れればかなりの抑止力にはなりそうですね
そんなんでいいのかは別として
私もそう思う。
でも、学校行かなければ、今の日本ではどんな理由でも、生きて行くのはより大変だと想像できる。
特にイジメられてなら、変な偏見がありそうだし、本人もトラウマで人嫌いになる。
色々普通よりも大変だと思う。
企業での職場の方が、もっと陰湿だ。
私もかつてイジメにあった事があったが、学校も会社も守ってくれなかった。
今イジメにあっている人たちに言いたい。
「学校も会社もあてにするな。
自分の身は、自分で守れ。」
イジメにあった記録は、克明に残しておく事だ。
訴訟を起こした時、有利になる。
弁護士会等外部公的機関に相談せよ。
かつてイジメにあった経験者として、長谷川さんのコラムにある内容で片付けられる問題ではない。
まわりになじめない子を本人の問題というだけで片付けるのはそれこそ暴論です。性格の良い子も悪い子もいます。空気を読めなくて周りに迷惑をかける子もいます。それはひょっとしたら自閉症スペクトラムかもしれない。自閉症スペクトラムの子には生まれつきうまく人の気持ちを汲み取れない子がいる。もちろん周りは悩み振り回される。そこで注意すべきはその子はひょっとしたら障がいがあるんじゃないかととらえる視点です。
障がいがなくてもそうです。人は産まれた時点でそれぞれ全く環境が違う。まわりに理解されずに育った子、虐待を受けて育った子、恵まれすぎたために恵まれない気持ちがわからない子。色々です。そういう多様性を互いに受け入れながらこの社会は成り立っていると思います。
大人や学校のやるべきことは何か。多様性のある社会といかに折り合いをつけてやっていくかをサポートすることではないでしょうか。
自殺は殺人だという意見を持つことは自由ですし、長谷川さんがその意見を持つのもわからなくもありません。ただし、自殺を絶対的に否定することで自殺は減るでしょうか?長谷川さんのやっていることは自殺した人の周りの人の気持ちを少しは楽にはするでしょうがそもそも自殺をさせないという方向ではない。なぜなら自殺する人は苦しくてたえられなくて、この世界から逃げたいという思いがいちばんにあると思います。それを自殺は殺人だと批判したところでその人には非難のニュアンスしか伝わらない。
またいじめ問題が起きた場合には、個人情報に留意しつつも積極的に地域住民に不安を与えるようなことはしてならない事。決して隠ぺいなどはしてはならない事とされている。
この大前提を町や教委はどう考えているか?
保身だけのくずだね。
私は不登校から姪っ子が自殺しました。だからこどもたちには「本当につらいんだったら学校に行かなくてもいい。命さえあれば生きていく道はいくらでもある」折に触れ伝えています。
いじめっ子もいじめられる子もどうしたら守っていかれるのか社会が親が考えるべきで、学校や先生に丸投げしていてはいつまでも同じことが起こり得ます。
自分たち(学校の中)で指導・解決できるという判断でしょうけど。
長谷川さんが球体君を訴えなかったのと同じではないでしょうか。
それも踏まえて、本当にしっかりと現場で指導・解決が出来るのであれば、現場の判断で問題ないと思います。
心理的暴力も物理的暴力と同様に、その行使者は傷害の罪などに問われる場合があるようになってきています。言葉の暴力による体調不良と自殺を労災と認定した判例も出たりしてますよね。
ただ、心理的暴力は目に見えないので、判定が難しい。いじめの場合も、ただいじめと騒ぐのでなく、傷害に相当する心理的暴力にあたるのか、ケース毎に判定が必要だと思います。
自殺は、確かに自分に対する殺人と言えますが、他者を殺した場合でも精神状態によって情状酌量があるように、自殺者が精神的な病気になっていたかどうかも重要なファクターですね。
また、その精神的な病が心理的暴力により発症したと医学的にも法的にも立証されれば、加害者の法的責任は問われてしかるべきと思います。
ただ、立証は非常に難しいので、ある程度は被害者視点で検証を進める必要もあると思います。
いずれにせよ、いじめという括りで処理するのでなく、刑事事件案件として考えることは必要だと思います。
今、中3男子に野球、中2女子にギターを教えたりしてます♪ 知人の子供なんすけど!!
話す中で共通しているのが、先生が弱い、頼りないということを、平然と言うんです。自分はここ、すごい問題だと思ってます。
ただ、何かに夢中になっている子は、イジメや自殺などの環境にいない気がします!
我、最年少の友達ガキどもは、健気なやつらです!!
詳細はWikipedia等をご覧いただくとして、自殺事案において「すべきではない」とされる報道内容は以下のようです。
写真や遺書を公開しない
具体的で詳細な自殺手段を報告しない
単純化した理由付けをしない
自殺を美化したり、扇情的に扱わない
宗教的な固定観念や文化的固定観点を用いない
悪人探しをしない
こちらをご覧いただけば、未成年者の自殺が「メディアが扱うべき範疇のものではない」ことがご理解いただけると思いますし、長谷川さんは当然このことをご存知かと思います。浅いコメントかどうかではなく、ほとんど触れるべきではないのです。この点に触れないのはアンフェアだと思います。
今回の岩手の件でいえば、「教師の手におえる案件ではない」のだから、ますます、この担任が生徒の書いたノートの内容は、他の教師に展開、共有しなければならなかったはずです。
まず、その事実が教師間で共有されていない状態では「はたしてそれは、いじめなのかどうか」の判断もできないのでは。
確かになんでもかんでも「いじめ」にするのは無理がありますが。
その事実を発してる生徒の声すら正視しようとしなかった教師には責任があると考えます。
いじめをなくす教育に無駄に時間を費やすのではなく、いじめに耐えうる精神を鍛える教育が、必要なのではないか。
周りのひとたちが、哀しむのは事実として体験しています。
今回もそうなんですが、やはり大人がしっかりと叱るなり、対処しなければならないと思います
でなければ、子供は止めないと思いますので、
担任、校長、教育委員会が協力しなければ、いけなかったと思います
叱れない
これは大人の責任ではないでしょうか
最近は謝れない大人も多いです
謝ってはいけないことなど、ないのですが…
自己防衛本能なのでしょうか
責任をとれない、責任を果たせない大人がいるのは
新国立競技場問題、歴史問題なんかも同じような気がします
夏はお盆の時期なので、亡くなったひとを思うのは当然だと思いますが、自分たちがしたことを思い出さないのは、どうかと思います
中国のひとが言ってた、日本は被害者意識が強すぎる、自分も最近はそう思います
あまりにも迷惑をかけたひとのことを考えてないような気がします
戦い死んだ事の戦争の悲惨さしか、毎年やってないような
南京等で行われた犯罪はどう思っているのでしょうか日本政府は
ドイツやISの事など言っている場合ではないと思いました
話しが随分、脱線しましたが、長谷川さん以外には話す機会がありませんので、
すいませんでした。
時より長谷川さんのブログ拝見しています。
いじめ自殺。
まだまだ未来のある子供が、簡単に命を捨ててしまう。
どんな事があろうと自殺は罪です。
長谷川さんのおっしゃる通りです。
何より大切な命は、愛する人の為につかうもので、自分にとって最悪の存在の人間の為に、この大事な命を捨てる事など、あまりにも馬鹿馬鹿しい事なんです。そんな者の為に大事な命を自分で無くすことなど…。
メディアでは必ず誰が悪い…。
先生が…。
親が…。
と、非難の嵐ですがそんな事は、なんの解決にも、救いにもならないんです。
命の大切さをやたら教育現場で語られますが、むしろ自殺はなぜ駄目なのかを、問うべきです。
自身も公務員にもかかわらず警察などを国家権力の犬などと言って敵視する者も少なからずいるのも、問題への対応を遅らせてる原因なのかなと思ったりもします。
まず親に相談、警察に相談というのを当たり前にしないとですね。
何も特別なことではないと。