「異世界もの」一色の『小説家になろう』で『飼い慣らされない「なろう系作家」』と『小説芸人』を貫く
作者:一条えりん@UNLIMITED EDITION
(重要)(作者からのお知らせ)
本作品は、近日中に削除を予定しておりますので、以降の感想欄への書き込みはご遠慮ください。
『小説家になろう』サイトは、偏りがあり、特に「異世界転生/転移もの」が多すぎる。
似たような作品(チート、ハーレムなど)ばかりで、つまらん。
そういった意見が、『なろう』サイトそのものを、賑わせている。
もはや、「エッセイ(その他)」ジャンルの、定番に近くなりつつある。
また、巨大掲示板での似たような批判も多く、『なろう』サイトそのものの、アンチスレまで賑わっているようだ。
僕自身の意見としては、「それが作者の『作品を書く衝動』にぴったりと沿い、書いてて楽しくて楽しくて仕方ないんなら、『異世界もの』を好きなだけ書けば?受けるかどうかは、わかりませんけど。」というのが、素直な思いだろうか。
僕は、中学、高校と、ほとんど学校に行っていないのだが、小説を書いては全国コンクールを受賞し、最初のうちは、有名な評論家先生にペコペコし、有名な編集者と連絡先を交換し、「文壇バー」ならぬ「文壇喫茶」(主に、作家と編集が打ち合わせをする場所で、異様なほど客全員が顔見知りである)に呼び出されては罵倒され、罵倒され、ひたすら罵倒され、「太宰治の短編小説を、万年筆で筆写してこい」という意味不明な課題を与えられ、「書いてきました」と恐る恐る差し出すと、その場でビリビリに破かれたりしていた。「編集」と「芥川賞作家」と「何でメシを食ってるのかよくわからねえフリーライターっぽいおっさん」は、この「原稿ビリビリ破き」のプロである。
しかし、当時、高校生の僕は思った。
それで俺が傷つくとか、ショックを受けるとか思ってんの?
俺、先週も、見知らぬライターのおっさんに「ビリビリ破き」、食らってるぜ?
ナニ、それ、「かくし芸大会」でマチャアキ(注:堺正章)が恒例でやる「テーブルクロス一気引き抜き」系のギャグですか?こう、初めて会った僕への挨拶、的な。
僕は、自分自身の、文学周辺の関係者に対する反抗的な態度については、ある種の「馴れ合い」ぐらいにとらえていた。
当時、「伝説の編集者」で鳴らしていた、K出版社のKさんですら、「ライトノベルっつーの?アレは一瞬だけ流行って、消えるね!作品読んでも、ひどいもんなぁ!」(暗に、「お前はそっちに行くなよ」という圧力)とか言っていた、ラノベ草創期である。
僕自身の意見としては、「ラノベは確実に伸び、バブルが来るだろう」と考えていた。
そして、ご高齢の方たちが集う「純文学の同人サークル」。
たまたま入ってきた若い女性が、若干、ハーレクイン的な作品を書いてしまい、批判の嵐となる。
僕は、さっと挙手した。
「あのー、『読者のウケ狙い』とかですねぇ、『大衆小説(※死語)』に過ぎない、とか、『軽くサクサクと読んで面白いだけの作品。面白さしか取り柄がなく、純文学としての深みがない』と、おっしゃいま・す・が、
『おもろいなぁ!』と読んで思う作品を書いたら、なんであかんのですか?『おもろい』いうのは、心を動かす、つまり感動させた、ってことですよね?文学がおもろくて何が悪いねん、と、私は思うのですが。」
「一条君、それじゃあさ、漫画でも文学でもどっちでも同じ、ってことになっちゃうじゃん。
俺は『風の谷のナウシカ』を全巻、読んだよ?でも、全く感動しなかったし、あの作品が何であんなに評価されるのか、俺にはわからない。一条君こそ、説明しろよ!オウ!できんだろォ!コラ!」
別の女性が、口をはさむ。
「川端康成の作品を見てごらんなさい。小鳥を飼い、盆栽を愛でる。静かで穏やかだが、芸術的なセンスに溢れた文章…素晴らしいじゃありませんか。ああいうものこそ文学ですよ。」
「あの、川端ですよね?『眠れる美女』は、身元不明の少女を睡眠薬で眠らせて、2人を両側にはべらせて、いい年のおっさんが布団で寝る、っていうだけの話なんですが、あの作品の『文学性』って、どこにあるんですかね?
小鳥とか一瞬も出てきませんし、睡眠薬を飲みすぎて少女が死ぬんですけど、本当に大丈夫ですか?」
女性が、言葉に詰まる。『眠れる美女』はマイナー作品、そう、読んだことがないんである。
「一条君さ、あとで談話室に来てくれるかな?」
「長」である芥川賞作家、T先生が言う。
僕が談話室に足を踏み入れた瞬間、T先生はドアをガッシャーン!と閉め、鍵をかけて、
「一条、てんめぇふざけんなよコラ!オラ!やんのかてめえ!オラ!やんのかって俺が聞いてんだよ、オウ!」
「ご高齢なのにとってもお元気」、これも文学関係者に相通ずる特徴である。
僕は傘でぶん殴られ、傘が折れて使い物にならなくなると、床に転がされて散々、蹴飛ばされた。
「出てけ!!てっめえ、生きて帰れると思うなよコラ!高校生ふぜいが、知ったかでクチ、きくんじゃねぇよオルァ!!」
あの、確認しておきますが、昔の「文学やってる人」って半ばアウトサイダーですんで、これが日常なんです。
あと、僕は当然、やり返しました。気づかれぬよう、こっそりボコっておきました。
で、「同人サークル」で、お寿司を食べに行く。僕とT先生だけがなぜかボロボロであり、その理由は誰も知らない。
懇親会では、必ず僕のところに話が回ってくる。
「『あの・伝説の編集者Kさんに直接、指導を受けている一条君』、すごいわねえぇ〜。羨ましいわあぁ〜。どんな作家がお好きなの?」
僕が好きな作家は、サド、バタイユ、三島由紀夫、ワイルド、筒井康隆、石川淳、南条あや、等々であるが、青二才だった僕は、上記した「Kさん」の枕詞が出るだけで、
「は。最近はですね、武内直子の『美少女戦士セーラームーン』に感銘を受けました。」
そして、向かいの席のT先生が、
「一条、っざっけんなよコノヤロオオオー!!やんのかてめぇ!ああ?」
徳利が飛んできて、僕は全身ずぶ濡れになり、額からつーっと血が流れ落ちる。
T先生、70代後半。「いきいきシルバーライフ」的なものに、ぜひ、その「武勇伝」を書いていただきたかった(もちろん、オリラジ風に)。
『夕刊フジ』に連載していた頃の筒井康隆も凄まじく、「締切ギリギリなので、今、リタリンをがりがりかじりながら、おれ頑張ってまぁーす。キャハッ☆」並みのおちゃっぴいぶりを毎回のように見せつけ、『夕刊フジ』内の、「いい感じの萌えキャラ」的存在になっていた。
また、イラスト担当の山藤章二もバリバリの時期であり、主人公が一言、「オ××コ!」と絶叫して終わるだけの四コマ漫画、という、筒井のエッセイの内容とどこが被っているのかさっぱりわからないイラストや漫画を次々と描き、「これで、お金もらえるんやったら、イラストレーターって、ええ仕事やねんなぁ」と束の間、僕に思わせた。
僕がなぜ、文学関係者や編集とわざと距離を置き、あえて反抗的な態度をとったか。それは、時代がそういう時代だったからだ。筒井さんの当時のエッセイは、「文学者というものは、アウトサイダーで当然であり、キ××イと呼ばれても仕方がないんであり、要するにそういうものなのだ。『偉い文学者』とか『ダメな文学者』とかいうものはなく、等しく社会的評価はアウトサイダーであり、社会から逸脱しており、社会の『病巣』にいち早く反応する『炭鉱のカナリヤ』なのだ」といった論調であった。
僕は思う。
僕の目から見ると、「異世界」「異世界」と頑張っている書き手は、要するに『異世界』という名の『赤本』を解いているのだ。
そして、ポイントやブクマで『偏差値』を競っている。
他の人気ジャンルでも同じだ。
「他の作家が絶対に書かないことが書きたい、人と違うことがやりたい」なら、その人は素人ではあるが、作家的気質を持っている。
しかし、「うん、チート、ハーレム、覚えたぞ。あとはテストを解く=書くだけだぁ」と思っている書き手の人は、僕はやっぱり、「人気ジャンル」から出題される『定期試験』を解いているように見えてしまう。
『なろう』には、一種の「ぬくもり」がある。おとなしい、勉強を頑張る優等生が集まり、時に社交界として交流するサイト。
僕は、その「ぬくもり」は素敵なことだし、続いて行って欲しいと思っている。
だが、僕自身は、反抗に次ぐ反抗を重ね、御大レベルの老作家の前でも、あえて傲慢な態度を改めようとしなかった。
僕は、『合格』も『偏差値』も要らない。
僕は、いくつになっても『飼い慣らされない「なろう作家」』であり、まるでトニー谷のように、ゲスばった笑みを浮かべ、派手な衣装に身を包み、放送禁止用語を連発し、「あぁんたっのお名前、なんてぇ〜のおぉ〜!!!???」とアホのように叫びながら、踊り狂い、ソロバンをチャッチャカチャッチャカ、鳴らすのである。もちろん読者には媚びに媚びる。それが『小説芸人』の本懐である。
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