最初にタイトルを思いついたのですが、タイトルだけで書きたいことが全て表現できてしまったので、本文はおまけです。銅のエンゼルを50枚集めても何ももらえませんが、ぐわぐわ団は全てがおまけですのでエンゼルは不要です。
自殺はいけないことです。命を大切にするのは理屈ではありません。人間の尊厳に関わる重要なことです。自殺をなくすためにはどうすればよいのか、いろいろな方が答えを出そうと頑張っておられますが、「どうして自殺しちゃいけないの?」という質問にどう答えるかではなく、「どうして自殺しちゃいけないの?」という質問そのものが出ない世の中を作る必要があるのではないでしょうか。
他殺もいけないことです。自殺ももちろんいけませんが、他殺もいけません。「どうして人を殺してはいけないの?」と聞いてくる人は、愛が不足しているのです。自分を愛する心だけでなく、他人を愛する心。全てが足りないからこそ「どうして人を殺してはいけないの?」という、本来であれば存在しない質問が生まれてくるのです。
自殺もダメ、他殺もダメ、じゃあどうすればいいの?ということですが、生かさず殺さずという中庸、もっとフランクに言うと、てきとうがよいのです。自殺も他殺も極端な事象です。自殺の先には何も存在せず、他殺の先にも何も存在しない、いわば終着駅。一方、自殺と他殺の間にはさまざまな駅が存在しますが、自殺と他殺の間にある駅は、どの駅も程度の差はあれ、生かさず殺さずなのです。
社会というのは人と人とのつながりであり、自分だけが生きることはできません。一方で、自分だけが死ぬ必要もありません。他人に対しても同じことで、一人だけが生きるわけにもいかず、かといって一人だけが死ぬこともない。生かさず、殺さず、風の吹くまま、てきとうに。
極端な話であればあるほど注目され、喝采を浴びるのがこの世の常。てきとうに、間を取るという姿勢が「ブレる」だとか、「主体性がない」だとか、批判の目に晒されたりすることもしばしばですが、極論だけで生きることはできません。結果的には微妙なところで落ち着いて、なるようになるのです。それぐらいに思っておかないと大変ですし、生きにくくなります。てきとうなのは良いことだし、世の中はてきとうに決まっているという事実を受け止めることが、生きる力となりましょう。
まさか、おまけだからと思って、軽いタッチのお笑いネタを想像されていたのではないでしょうか?重いおまけもあるのです。ひひひ。合掌。