撤退の前に日本軍は朝鮮総督府を朝鮮人に渡して独立させようと考えた。
紆余曲折の末、韓国は3年後に総督府の機構を引き継いで独立した。
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引用:http://www.tobunken-archives.jp/DigitalArchives/image/067A619A-ABE8-6101-01AB-D0EEF48044C9.jpg


韓国独立の嘘

韓国の建国記念日は光復節の8月15日で、1945年に日本が降伏したのを根拠にしている。

だが日本人も韓国人も、これの不自然さと非合理さをタブー視して、誰も指摘していない。

1945年8月15日は昭和天皇の終戦の詔書がラジオ放送された日で、日本が連合軍に降伏した事になった。

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終戦の詔書は8月14日に内閣が作成し、同日天皇が裁可し発布され、翌15日正午にNHKでラジオ放送された。

内容はポツダム宣言を受諾する事と、日本軍への停戦命令で、大本営は14日には全軍に積極的な戦闘停止を命令し、米軍側にも翌日の降伏を知らせた。

米軍は15日になっても、おかまいなしに本土空襲を実施し犠牲を出したが、この日を境に戦争は収束に向った。


これが当たり前だと多くの人は考えているが、天皇の命令で戦争が終わるのは、世界的に考えて例外と言っていい。

ドイツは降伏を許されず「本土決戦」のうえ全滅し、イタリアは大混乱の末に政府が転覆して軍が降伏した。

いずれにしろ、降伏する側の元首の都合で「今日で戦争やめる」と言い出したからと言って、勝つのが分かっている戦勝側は同意しない。


ローマとカルタゴの戦争でカルタゴは廃墟にされたし、負ける側の都合など、勝つ側は少しも配慮してくれない。

ポツダム宣言で日本に降伏を勧告していたといっても、勝つ側は約束など守る必要がない。

戦争に負けた側は約束を破ったら罰せられるが、勝った側を罰する者など誰も居ないからです。



朝鮮総督府の最後

何故米軍が天皇の命令で戦争を辞めたのかは、一つには米国内でもソ連の脅威に備えて対日戦は終戦にしたいという意見が存在した。

終戦に積極的だったのは米国務省で、ルーズベルトやトルーマン大統領も、早期に終戦したいと考えていたようです。

米国は戦勝が決まっていたといっても、4年間の戦争でかなりの犠牲を出し、兵士や国民にも終戦への期待が高まっていた。


そしてソ連の脅威は現実になりつつあり、欧州の半分を占領し朝鮮半島や北太平洋にも進出していた。

アメリカ側にも「そろそろ終戦にしたい理由」があったから8月15日で戦争が終わったが、そうでなければ中東戦争のようにずっと続いたでしょう。

日本の外務省は中立国スイスで米側代表と交渉し、日本が提示した降伏条件を概ね受け入れるという言質を得ていた。


8月15日に戦争を終結させると決めた日本帝国は、日本が占領していた領土の保存に取り掛かった。

戦争が終われば日本軍は本土に撤退するが、その前に帝国から独立させて、日本の影響力を残したいと考えた。

まずタイは日本の同盟国だったのだが、日本軍が無理やり戦争に巻き込んだ事にして、急遽独立国にしてしまった。


朝鮮半島の北側はソ連が占領したが、南側は関東軍(日本軍)が守っていたので、これも独立させる事にした。

8月15日に朝鮮総督府は独立準備委員会をつくるよう独立運動家に命令し、タイのように独立させるつもりだった。

8月17日に独立運動家に施政権を名目上引き渡したが、米国側が拒否したので、翌18日に再び朝鮮総督府を復活させた。

アメリカは米軍が到着するまで、日本軍と総督府が統治するのを望み、その後は米国が信託統治するつもりだった。



李承晩は「韓国人」に困り果てた

朝鮮は日中戦争にも第二次大戦にも巻き込まれず、日本軍は朝鮮人を信用しなかったので、徴兵もされず徴用もほとんどなかった。

大戦後半には半島からも労働者を戦時徴用したが、それは「朝鮮人だけ徴用しないのは差別だ」と朝鮮側が希望したのが始まりでした。

日本からの独立運動などはほとんどなく、活動家は中国に逃げ込んで政治活動をしていた。


日本の降伏後に多くの朝鮮人は将来を不安に思い、日本軍が本土に去っていくのを手を振って見送った。

日本軍や日本人への反対運動もあまり無く、かえって上陸してきたアメリカ軍に対して反対運動が活発だった。

某大手パチンコチェーン創業者のように、朝鮮の前途に絶望して引き上げ船に乗り込んで、日本に密行してきた者も多かった。


そして連合軍統治を経て1948年に独立し、李承晩が初代大統領になるが、ここで彼はとても困ってしまうのである。

建国した韓国の国民は日本を懐かしがり、「日本時代は良かった」「あの頃に戻りたい」などと言う人が多かったからだった。

そこで李承晩は激烈な「親日狩り」を開始し、12年間で人口の1割近い人を粛清したと言われている。


教育でも日本人を憎むように、植民地時代は地獄だったというフィクションを子供に教え込んだ。

韓国の独立は日本軍が準備して米軍が与えたものであり、独立は日本軍と米軍のおかげなのだが、これでは困るのだった。

終戦直後の韓国人はだれも「独立派」なんか信用していなかったし、支持者は皆無だった。


李承晩なんか聞いた事もなかったし、突然変なのがやってきて不安に思っていたのが実態だった。

今でも韓国の高齢者の中には「日本時代は良かった」と口走る人が居て、昔はもっと多かった。

だから韓国政府はますます過激に反日教育を行い、親日派を弾圧し、執拗に謝罪を要求してくる。


韓国独立の説明が嘘八百だから、それを隠すためにやっているのです。

本当は日本統治下で独立運動なんか無かったのだが、どうしても独立運動の結果、日本軍が撤退した事にしないといけない。

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