執政(註、徳川幕府の老中)に導かれ 梅の間に入り 一度着座した後また退室 次に国書を奉じて 入り四拝し 私礼単(註、非公式の贈与品目録)を差し出し また拝礼 関白(註、ここでは将軍を指している)の宴に望んでまた礼 退出する際にまた礼をし 前後合わせて四度も四拝する 堂々たる千乗国の国使が 礼冠礼服に身を整え 頭髪を剃った醜い輩に 四拝するとは何たることか(日東壮遊歌1764年2月27日の条の一節)
朝鮮通信使従事官の書記であった日東壮遊歌の著者金仁謙が当時の李氏朝鮮のことを「千乗国」−有事の際に千乗の兵車を出せるという意味で大国−と称したことは誠に滑稽で、現代の韓国人に通ずるものがある。例えば金は大坂の賑わいについて次のように記している。
人家が塀や軒をつらね その賑わいの程は 我が国の鍾路(註、ソウルの繁華街)の万倍も上である(1764年1月20日の条)。
北京を見たという訳官が 一向に加わっているが かの中原(註、中国)の壮麗さも この地には及ばないという
この良き世界も 海の向こうより渡ってきた穢れた愚かな血を持つ 獣のような人間が周の平王のときにこの地に入り 今日まで二千年の間 世の興亡と関わりなく ひとつの姓を伝えきて 人民も次第に増え このように富み栄えているが 知らぬは天ばかり 嘆くべし恨むべし(1764年1月22日の条)
また京都について次のような感想を述べている。
倭王の居所というから その贅沢ははかり難いところである 山の姿は雄壮 河は野をめぐって流れ 沃野千里を成しているが 惜しんで余りあることは この豊かな金城湯池が 倭人の所有するところとなり 帝や皇だと称し 子々孫々に伝えられていることである
この犬にも等しい(註、逐字訳では犬の陰茎のような)輩を 皆ことごとく掃討し 四百里六十州を 朝鮮の国土とし 朝鮮王の徳をもって 礼節の国にしたいものだ 三代(註、夏 殷 周)に倣い 世襲の法を定めている 賢愚を問わず 長子が跡を継ぐという 次子三子となれば たとえ英雄豪傑であっても 凡俗と同じで 官位にはつけないから 僧になる者が最も多く 次は医者であるという 多少でも優れた者は 皆、僧や医者になるらしい 倭王は奇異なことに 何ひとつ知ることなく 兵農形政のすべてを 関白に委ね 自らは関与せず 宮殿の草花などを愛でながら 月の半分は斎戒し あとの半分は酒色に耽るとか 男子女子を問わず 長子が跡を継ぐという 現在位にある倭王は 女王(註、第117代後桜町天皇)であるとのこと 使者が入京する際には 見物に出てくるというが大勢の中では 見分けがつかず残念である(1764年1月28日の条)
金仁謙のいう「犬のチンポのような輩」とは我が国の皇室を指していたことは、前後の文脈から見て明らかであろう。皇室と日本国に対するこの凄まじい侮蔑感情こそ、朱子派儒教が朝鮮民族に扶植した小中華思想(華夷秩序思想)であり、これが原因となって我が国の征韓論が浮上したのである。
すなわち明治維新直後の1868年1月、我が国の新政府は対馬藩主の宗義達を通じ李氏朝鮮に対し、維新による王政復古を告げ、第十二次朝鮮通信使の来日(1811年、対馬どまり)以後絶えていた朝鮮との修交回復を希望した。
しかし朝鮮は宗氏の書簡に「皇室」「奉勅」「朝廷」の文字があったことを理由に、我が国の修交提議を拒否した。金仁謙のごとく、或いは今日の韓国人が日本の天皇を「日王」と呼ぶごとく、李氏朝鮮は、東夷の蛮族であるはずの日本の君主が「皇」の字を使用することを許せず、またそのことを日本が朝鮮を臣隷とする野望を示すものと誤解したのである。
我が国は朝鮮の誤解を解くための反駁書を送り、また宗氏を介さず直接的に朝鮮に送った国書から「皇室」「奉勅」「朝廷」の文字を削除して修交回復を求めたにもかかわらず、朝鮮は我が国の申し出を拒絶し、釜山にあった我が国の外交事務所(草梁和館)への薪炭食料の供給を拒絶し、門前に侮日告示を掲示するなど、我が国への敵対意識を露骨に示してきたからこそ、我が国の誠意に応えず却って驕慢と侮辱の態度を示した李氏朝鮮を非難する征韓論が浮上したのであった。
戦後の日本人の多くは戦後民主主義洗脳狂育によって錯覚させられているが、明治維新以後の我が国が朝鮮人を侮蔑し始めたから征韓論から紆余曲折を経て日韓併合に至ったのではない、明治維新以前から朝鮮の方が小中華思想という侮日思想を抱いていたのである。そして小中華思想は今日の朝鮮人に色濃く受け継がれており、それは殆ど抜き難く、また度し難い。そうである以上、我が国において嫌韓あるいは反韓の感情が高まってくるのは当然のことである。
従って日本と朝鮮が軋轢を生じさせることなく地球上で平和的に共存共栄していく最良の選択肢は、朝鮮人は朝鮮半島に住んで朝鮮文化を育て、日本人は日本列島に住んで日本文化を育てることである。日本民族と朝鮮民族は互いに成るべく交わらないように努力すべきなのに、我が国の反日左翼勢力は朝鮮人と結託し、日本国内における多文化共生社会の実現と称して、日本人に朝鮮文化を強制し、在日朝鮮人の特権を認めさせようとする。
我が国の左翼勢力は、反皇室、反日、そして息を吐くように平然と嘘をつく点において、朝鮮人と恐ろしく親和的である。社会党の主力を相続した民主党が韓国と結託して在日外国人地方参政権付与法の実現を執拗に画策しする。
自民党内部でも韓国に媚び諂う勢力は、日本国の名誉を踏み躙り、また移民受け入れ政策や、億兆の先人が育んできた我が国の自生的秩序であり時効の憲法たる皇室伝統(悠仁天皇と皇室典範)−皇位の父系相続−の断絶を画策する。両党の反日政策には帰化人の浸透が関与しているのだろうが、いずれの現象も決して偶然ではなく、むしろ歴史的な必然とさえ言えるのである。
我が国はペリー来航の数年後には蒸気船の試作に成功し(薩摩藩と伊予藩)、西洋式軍艦の建造に乗り出した。当時の日本には、黒船の構造を理解する知力と、それをコピーするだけの技術と情熱があったのである。
しかし日東壮遊歌1764年1月27日の条が記すように、朝鮮通信使の書記は日本の水車の巧妙さに感心し、「見習って造りたいくらいだ」といったが、朝鮮は水車を造れなかった。第一次朝鮮通信使が来日した1607年から朝鮮人は日本の水車を見聞し、水車の絵を朝鮮に伝えたのに、李氏朝鮮は1881年に至るも水車を製造できなかった。
【江戸時代の日本の技術】
・江戸時代最も多く使用された日本を代表する千石船
・江戸開府400年記念江戸時代の最先端技術を復元−大江戸からくり弓曳童子
・日本の技術者−江戸・明治時代
それなのに韓国人は日本技術の発展を猿真似といってバカにし、日本民族を蔑視する。朝鮮の小中華思想は本当に始末に終えないのである。
過去を直視し、日韓友好は本当に可能か、それが日本の国益に貢献するか、真摯に検討する日本人の必読書がこの日東壮遊歌−ハングルでつづる朝鮮通信使の記録である。
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