スポンサーリンク
トランジットガールズの、拙作「Return to…」の続きです。小百合視点。公式以上の描写はないけど、オトナな描写ありです。
「ごめんね。小百合ちゃんにゆいの手伝い任せちゃって。」
「いえ、私がゆいのお手伝いしたいから。大丈夫です。」
「さすがに年末は仕事が休めないし、圭吾さんもおせちの予約で忙しいし、両親揃って頼りなくてごめん。」
まどかさんが申し訳なさそうに頭を下げるから、私は慌てて手を振った。
「そんなことないです!まどかさんは課長さんだから忙しいって、ゆいから聞いてますし、パパが忙しいのは昔からだから。むしろ、パパの仕事の手伝いしなくていいから気が楽なくらいです。」
私たちのことで身を引くように出て行ったゆいが、一か月ちょっとぶりに、ここに戻ってきた。もう一度家族を始めようと4人で決めて、ゆいは一人で暮らしていたアパートを引き払うことにした。マンスリーのアパートだから家具はレンタルだし、普通の引っ越しよりは楽みたいだけど、入居よりも退居の方がやる事が多く、ゆいは働いてるから、一足先に冬休みに入った私がお手伝いを買って出たのだ。
「そう?そう言ってくれると気が楽。小百合ちゃんは優しいね。ゆいが好きになるの、ちょっと分かる気がする。」
「…!」
顔が熱い。何てことを言うんだろう。ゆいの、可愛い笑顔でさらっと人を驚かせるところは、絶対まどかさん譲りだと思った。
「あら!もう行かなきゃ!小百合ちゃん、お皿とかそのまんまでごめん!じゃあ行ってきます!」
そんな私の動揺を知ってか知らずか、まどかさんは慌ただしく出て行った。
ま、でも、認めてくれてるってこと…だよね…?でなきゃ、いくら私しか人手がないとはいえ、ゆいのアパートに二人きり、まして泊まりなんて許してはもらえない。だって、あんなチェキを見られたんだもん。私たちがどこまで進んでるかは分かってると思うし…。
…ああ、考えれば考えるほど、だんだん恥ずかしくなってきた。
気を取り直して朝ごはんの後片付けをしていたら、リビングのドアが開いた。
「小百合。私も出るね。」
「そっか、アパートに寄って着替えてから出勤だっけ。」
「うん。」
ゆいを見つけてそのまま連れ戻してしまったから、服や身の回りのもののほとんどは、今暮らしているアパートにある。だから、昨日もお風呂に入ってから着替えるものがなくて、おパンツはかろうじて私のを貸せたけど(それはそれで悲しい話だけど…)パジャマはまどかさんのでも小さくて、結局パパのを借りていた。
「さすがに、クリスマスの朝に昨日と同じ服装は良くないよね(笑)」
「そうだね。佐伯さん泣いちゃうかもね(笑)」
あははと笑い合う。
昨日と同じ姿のゆい。
だけど一つだけ違うところがある。
胸元のリターントゥティファニー・ダブルハート。
お互いの胸に揺れるそれは、寄り添って生きていく誓いで、そして、私たちが胸を張って好きだと言っていい、証。
「じゃあ、6時に、みなとみらいでね。」
「うん、着いたらLINEするね。」
玄関で靴を履いたゆいが、脇に抱えていた濃紺のコートを羽織った。ふわっと漂った柔らかい香りを密かに胸に吸い込む。
「…小百合。」
少し屈んだゆいが、私と目線を合わせると、そっと唇を突き出した。
淡々としているゆいが、私にだけ見せてくれる仕草、出してくれる感情、その全てが嬉しくて、愛しくてたまらない。
「行ってらっしゃい。」
そう言って、子どもっぽく突き出された唇に軽くチューする。
「行ってきます。」
私が大好きなくしゃくしゃの笑顔を残して、ゆいは出かけていった。
✳︎✳︎✳︎
「みなとみらい線をご利用くださいましてありがとうございます。…次はみなとみらいに止まります。」
車内アナウンスが目的地を告げ、電車に揺られること数分。ドアが開き、たくさんの人々が吐き出されていく。
みんな、それぞれの方向に向かって歩いていく。小柄な私は、その人の波に飲まれ揉まれながら、必死に前を目指す。
…ゆいが、いたらなあ。
前にみなとみらいに来た時は、背の高いゆいが私を守りながら歩いてくれた。…それだけじゃなくて、ゆいの隣を歩くのは、頼もしいとか嬉しいとか居心地いいとか、そんな気持ちを飛び越えて、自然体で楽なのだ。
流れに任せるうちに、待ち合わせ場所であるマークイズみなとみらいに着いた。
スマホを見ると、時間は17:30を少し過ぎた頃。丁度いい時間に着いた。
スマホのミラーアプリを起動させて、人にもみくちゃにされてぐちゃぐちゃになった髪を整える。今日は、いつものキャメルのショートダッフルに、白のニットワンピとブーツを合わせた。明日、お片づけがあるのはわかってるんだけど、どうしても可愛い格好がしたかったのだ。その分、明日の着替えが嵩張ったとしても。
『クリスマスプレゼント?』
『うん。私、小百合に何も用意出来なかったから。何か欲しいものない?』
『うーん、じゃあ、ゆいの使ってるバックパックが欲しい。』
『ああ、あの黒いの?』
『うん。大学受かったらそれで通いたい。』
『そっか。じゃあ、明日お手伝いに来てくれる前に買いに行こう。』
昨日交わしたゆいとの会話を思い出しながら、行き交う人々を見ていた。
腕を組んだカップルや、歳を重ねた夫婦、子どもを抱いた家族。
そういうのを見て、自然に心が温まるのは、私にも待っている人がいるから。
こんなに心躍るクリスマスは、生まれて初めてかも知れない。
17:50
そろそろいいかな。
ゆいにLINEを送った。
すぐに既読が付く。
ちゃんと見てくれてるんだ、それだけで嬉しくなった。
もうすぐ会える。
早く会いたい。
はやる気持ちが抑えられない。
「小百合ー!」
人ごみから呼ばれた気がして顔を上げたら、背の高い人が手を振ってこちらに駆けてくるのが見えた。
「ゆい!」
嬉しくて、私も大きく手を振る。
目の前まで駆けてきたゆいは、肩で息をしたまま私を抱きしめた。
「はあ…はあ…。おまたせ…。」
「ゆい、大丈夫…?」
「…早く会いたかったから、急いだよ。」
荒い息遣いが耳にかかり、激しい心音が密着した身体に響く。
ゆいの襟元から、湿度をもった甘い香りが立ち上る。
胸はどきどきとむずむずで忙しい。
そっと腰に手を回して抱き締め返したら、満足したとばかりに身体を離して、ゆいが笑った。
「小百合、そのワンピース可愛い。」
「…ほんと?」
「うん、小百合は何着ても可愛いけど、白系がよく似合う。」
「大福とか思わなかった?(笑)」
「思わないよ(笑)」
ゆいが走って来てくれた。
会いたかったよ、って言ってくれた。
褒めてもらえた。
嬉しくてたまらない。
それだけのことが、それほどのことに思える。
「小百合?」
「…なんでもないよ。」
「そっか。」
ゆいは、私から着替えが入ったトートバッグを取り、自分の肩にかけた。
「じゃ、行こ?」
そう言って、ゆいが左腕をあけてくれた。今日はお仕事が忙しい日だったのかな。黒のMA-1に、細身のパンツというラフなファッション。王子様みたいなゆいが、こういう格好をしても男子っぽくならないのは、優しくて柔らかい性格だからかな、なんて思ったりして。
とびきりカッコよくて、すごく可愛い。
私の、ゆい。
「ゆーいー!」
ぎゅっと腕に抱きつく。
「なあに?」
向けられる眼差しが、微笑みが優しい。
「大好き!」
そう言ったら、ゆいの顔がくしゃくしゃになった。
「私もだよ。」
こんなふうに笑い合いながら、腕を組んで歩ける日が来るなんて、思いもしなかった。
✳︎✳︎✳︎
「マークイズでも無いかー。」
「ごめんね。ここで買ったと思ったんだけど…。」
セレクトショップ内に併設されたカフェは、ちょっと気後れしそうなほどオシャレな雰囲気で。その雰囲気に負けていないゆいが、ソファ席のクッションを抱えて小さくなっている。
「ゆいのせいじゃないよ。」
隅から隅までお店を巡ったけど、ゆいが背負ってるのと同じバックパックは見つけられなかった。似たようなのはあったけど、スタッズがずらっと付いていたり、やたらスポーティーだったりして、私の欲しいものとは少し違っていた。
しょんぼりしたゆいも可愛くて、しばらく見ていたくなるけど、さすがに可哀想になってきた。
「じゃあ、もし見つからなかったら、お揃いで新しいの買おうよ。」
「うん。そうだね。そうしよう。」
折り合いがついた途端、ゆいの雰囲気が明るいものに変わる。
ゆいって、こんなにまっすぐ感情を出すんだ。知らなかった。
「お待たせしました。ごゆっくりどうぞ。」
注文してたパスタとハンバーガープレートがそれぞれの前に置かれる。
いただきます、と手を合わせて、ハンバーガーにかぶり…つこうかと思ったけど、ゆいがいつも上品にごはんを食べているのを思い出して、フォークとナイフを取る。どう切ろう?と悩んでいたら、ゆいがくすくす笑いながら教えてくれた。
「上からちょっと押しつぶして、押さえた手の隙間からナイフを入れるの。…そうそう、そしたらキレイに切れるよ。」
「…ホントだ。キレイに切れた。ゆいって、お作法なんでも知ってるんだね。」
「そんなことないよ。食べるのが好きだからだよ。」
「そうなの?そんなに細いのに?」
「カメラマンって体力勝負なところがあるからかなあ。でも、小百合がごはん作ってくれたら、幸せ太りするね、きっと。」
赤面するようなことをさらりと言った張本人は、パスタをぱくぱく食べている。やっぱり、絶対にまどかさん遺伝子だ。悔しいから、前からゆいのパスタを少し盗んでやった。そしたら、フライドポテトを奪われて、おかしくなって二人で大笑いした。
「…でもさ、クリスマスに何もナシは寂しいから、他に欲しいものとかある?」
「なんでもいいの?」
「いいよ。」
少し考えるふりをしながら、ハーブの香りがするお水を口に含む。ゆいは、パスタを巻く手を止めて私をじっと見つめている。
「ゆいの、普段使ってるものが欲しい。」
「え?」
「なんでもいいんだ。ペンでもなんでも。ゆいがいつも使ってるものが欲しい。…受験のお守りにしたいから。」
今度はゆいが考え始めた。
とうとう、巻かれたままのパスタごとお皿にフォークが置かれた。
「ペンは愛用してるの別にないし、ピアス…は小百合あけてないよね。服はサイズが違うし、時計はお母さんから貰ったのだからあげられないし、マフラーは冬しか使えないし…うーん、何がお守りっぽいかな…。あ!これはどう?」
そう言ってゆいは、右手に嵌めていた指輪を抜く。
そう言えば、たまに関節や指にいくつかの指輪を嵌めているときがある。ファランジリングって言うんだよね。オシャレだなと思ってたんだっけ。
大きな手の平に、それぞれサイズと仕上げが違う細身の指輪が3つ並んだ。
「どれか一つでも合うといいんだけど…。」
試してみて、と視線を送られ、順番に嵌めてみたら、第一関節に嵌められていたものが、私の小指にぴったり嵌まった。
「ゆい、これがぴったり!」
「ホントだ。良かった。」
手のひらを突き出してゆいに見せたら、その手を取られ、すっと指輪が抜かれる。
「?…ゆい?」
「右手、出して?」
よくわからないまま右手を差し出す。
暖かい手が私の手を取り、つまんだ指輪を右手の小指に嵌めた。ゆいのぬくもりが移った金属の輪は、元々から私の指にあったみたいに、しっくり馴染む。
「あのね、ピンキーリングはね。左は願いを叶えるって意味があるんだけど、恋人募集中って意味もあるみたいなんだ。だから、右にしてもらえたら嬉しいんだけど…」
受験の時は左にしていいから、それ以外は、お願い…、と、ぼそぼそ呟く。
ああ、なんでこんなにこの人は可愛いんだろう。急に、ぎゅっと心臓を掴まれたみたいに、胸が苦しくなる。
「私、ゆいと、その…つ、付き合ってるから、ね…。」
「…そうだよ。だから、誰かに取られたら大変。」
真剣な瞳でじっと見つめられる。
こんな視線を向けられたら、つい目を逸らしてしまうけど、相手がゆいだと全然イヤじゃない。
もっと見たい。もっと見ていて欲しい。
まるでこの席だけ隔離されてるみたいに、世界から音が遠ざかっていく。
ゆいの唇が動き出すまで、私の時は止まっていた。
「これ、買った時期は違うけど、同じブランドのなんだ。だから、ちょっとお揃い。これからはずっとつけとくね。」
そう言いながら、柔らかい微笑みを浮かべて、ゆいは右手に指輪を戻した。
「ありがとう、ゆい。…なんだろ、一番嬉しいかも。」
ゆいの人差し指と薬指に、私の小指に、金色の輪が照明の光を浴びてきらきらと輝いている。別々の指で輝いているのに、繋がってる。まるで星座みたいだ…って、ちょっとロマンチックな事を考えてしまったのは、ゆいの影響かな。
「どういたしまして。改めて、メリークリスマス。」
「メリークリスマス…。あ!私、ゆいにクリスマスプレゼント準備してない!」
「小百合からはもう貰ったよ。」
「え?あげてないよ?」
「…貰ったよ。いま履いてるもん。」
小声で、ゆいが言った。
…え!?もしかして!
「それは貸したの!」
ニヤニヤと、いたずらっぽい笑顔。
うう、完全にからかってる。
「もう!知らない!」
恥ずかしくなって、残っていたハンバーガーにかぶりついた。
黙々と食べる私を見て、ゆいが笑った。
「ごめん、あんまり可愛いから、からかっちゃった。…いまからは真面目な話。昨日聞きそびれたんだけど、進路は決まったんだっけ?」
パスタを口に運んでいたゆいが、またフォークを置いた。私も、口に入ってるものを飲み込んでから、言った。
「…一応、文学部と、家政学部と、経済学部に願書を出した。」
「そっか。」
「したいことではないけど、どれも将来を見据えたものなんだ。その中で縁があったものが自分に必要なものだと思うことにした。」
すごろくみたいだけどね。って言ったら、それでいいんじゃないかな。って、ゆいが笑った。
「…私は写真がやりたくて大学に入ったけど、中退した。夢を持っていても、そんなもんだよ。一本道だけが正しい道じゃない。迷子になることも、獣道を歩くことも、必要な時がある。」
ゆいが手を伸ばして、私の手を取った。
「…私は、道標にはなれないけど、小百合と手を繋いでどこまでも歩くよ。」
ふと、ゆいが呟いた「私は変わらない。」って言葉が頭の中に響いた。
ゆいはいつだって変わらない。
私を見つけてくれる。
一緒に居てくれる。
今までも、これからも、きっと。
「…うん!」
ゆいが側にいれば、私は迷うことはあっても、道を間違うことはないだろう。
根拠なんて何もないけど、すんなりそう思えた。
✳︎✳︎✳︎
「さ、どうぞ。」
「お邪魔しまーす。」
ゆいの住む街の最寄り駅から15分くらい歩いたら、オレンジ色の壁が可愛いアパートが見えてきた。ゆいを訪ねてドアの前まで来たことがあったけど、中に入るのは初めてだ。どんな部屋なんだろう。ちょっとドキドキした。
こじんまりしたワンルームの玄関は掃除が行き届いていて、靴が綺麗に並べられている。あまり家財道具のないシンプルな室内だけど、ゆいが丁寧に暮らしていることが分かった。
「ちょっと待っててね。あ、そこにハンガーあるから、コートかけとくといいよ。」
「うん。ゆいのもかけとくから、貸して?」
「じゃあ、お願い。」
ゆいが脱いだMA-1とマフラーを私に渡すと、小ぶりな冷蔵庫をあけてコンビニで買った飲み物をしまい始めた。ゆいのぬくもりが残るジャケットから、今朝感じたのと同じ柔らかい香りがする。ゆいの匂い。そのままハンガーにかけてしまうのは勿体なくて、思わず抱きしめる。
「小百合?」
「え?…ああ!ごめん!」
あたふたとゆいのジャケットとマフラーを、自分のコートと並べて壁にかける。
うう、なんだかヘンタイみたいだ…と自己嫌悪に陥りかけたけど、ゆいは特に気にした様子もなくローテーブルに置かれたリモコンを取って、部屋の角に向けた。ピ、と機械音がして、エアコンが動き出した。リモコンを置いたゆいの手が、私を強く引き寄せる。
「…ゆ、ゆい?」
「…エアコン、効くまで寒いから。」
微笑みながらそう言って、抱き締めてくれた。ゆいは、その大きな身体でいつも私を守ってくれる。電車でも、人混みでも、どんなときでも。…ゆいは、いつも守る側だ。
「じゃあ、ゆいはずっと寒かったね…。」
「えっ?」
「私は、今みたいにゆいがあっためてくれるけど、ゆいはここで暮らしてる時は一人だったでしょ?寒かったよね…。」
ゆいを守れるほど私は大きくないけど、それでも、ゆいのことを守れる唯一の存在でいたい。そう思いながら、ゆいの背中に手を回した。
「…小百合は優しいね。私、そんなこと考えもしなかった。…でも、そうだね。だから、いっぱい忙しくしてた。寒さに、寂しさに気付かないように。」
ゆいの腕が、息苦しくなるくらい強く私を抱きしめる。
「小百合が、恋しかったよ。」
「うん…。」
「小百合を抱きしめたかった。」
「うん…。」
「小百合にいっぱいキスしたかった。」
「うん…。」
「小百合…、したい…。」
掠れた声で、ゆいが言った。
うん、と答える代わりに、力一杯ゆいを抱き締めた。
✳︎✳︎✳︎
肌に馴染まない布団にくるまって、ゆいを待つ。
狭いユニットバスだから、一緒に入るのが難しくて、先に私がシャワーを借り、今はゆいがシャワーを浴びている。心臓がドキドキして落ち着かない。相手を待って…っていうシチュエーションがいままでになかったから緊張するのかな。…初めての時だってこんなに緊張しなかったのに。
ガチャリ。
ドアが開き、薄暗い部屋が一瞬照らされたけど、またすぐに薄暗くなった。あまり足音が気にならないゆいの歩みが、今日は一歩一歩ハッキリと聞こえる。冷蔵庫を開ける音がしてすぐに足音が近づいてきた。
「お待たせ。」
バスタオルを巻いただけのゆいが、ベッドに腰掛けた。そのままベッドサイドに手を伸ばす。わずかな音とともにアロマ加湿器が動き出した。仄かな明かりが灯り、嗅ぎ慣れた香りがするミストが吹き出す。
「喉渇かない?」
そう言って、買ってきた水を差し出してくれた。
「ありがとう。」
身を起こしてボトルを受け取る。
一口飲むと、レモンの香りと、ほんのりとつけられた甘さが美味しくて、こくこくと飲んでしまう。緊張のせいか、喉が渇いていたみたい。
「私も飲みたい。」
「あ、ごめん。お先。」
ゆいに残りを渡す。
ペットボトルを傾けるゆいの整った横顔。
喉が動くたび、肌に残る水の粒がきらめきながら滑り落ちていく。
ふっくらした唇を拭う、長い指。
綺麗。
とても綺麗で、目が離せなくなる。
「…小百合。」
ペットボトルを置いたゆいはバスタオルに手をかけ、ぱさりとベッドの下に落とした。
仄明かりに照らされて、引き締まった筋肉がうっすら影を作る。スレンダーな身体に意外なほど豊かな胸。思わず、ごくりと喉を鳴らしてしまう。同時に、自分の子供っぽい身体が恥ずかしくなって、身体を包む掛け布団をぎゅうっと抱きしめた。
「…怖い?」
切なそうに眉を寄せて、ゆいが訊ねた。唇は微笑んでいるけど、それは私を気遣ってのことだって分かる。
私が怖がるのが、ゆいは不安なんだ。
「…ゆいが綺麗過ぎて。」
「えっ?」
「…ゆいがスタイル抜群過ぎて、恥ずかしいの…。」
ゆいは、ふるふると首を横に振った。私の手を退けて、そっと布団をめくる。
「…私、小百合の全部が好きだよ。」
猫みたいなしなやかさで、私の上に覆いかぶさる。
「目も、ほっぺも、耳も、鼻も…」
暖かい唇が、目、ほっぺた、耳、鼻に順番におりてくる。鼻先にチュッとされた時、レモンのいい匂いがした。
「…唇も。」
両肘で支えた身体を起こして、ゆいが私の唇を親指でなぞると、微笑みながら優しいチューをくれる。いい匂いのする唇を舐めてみたら、甘い味がした。
「小百合、くすぐったいよ。」
ゆいがくすくす笑う。
「なんか甘いんだもん。」
「そう?」
そう言って、ゆいの唇が深く重なる。柔らかい舌が私の舌を捕まえた。優しく探られて、そして吸われる。上顎を舐められると、背筋がぞくぞくした。息が苦しい。だけど辛くはなくて、むしろ気持ちいいって思った。もっとして欲しくて、ゆいの首に手を回すと、チューが激しくなる。角度を変えるたびに漏れる吐息が熱い。唇が生々しい音を立てて離れるとき、二人の間を繋いでいたものが、光って、切れた。
「…ホント。甘くて美味しい。」
ゆいが大人の顔をして微笑む。
濡れた唇を舐める仕草が色っぽくて、目が離せない。
「ね、もっと欲しいよ…。」
「…私も。」
私も欲しい。
その言葉を聞いたゆいの顔が、嬉し泣きみたいな笑顔に変わる。
その顔に手を伸ばして抱き寄せたら、私の胸に頬ずりして、赤ちゃんみたいに頬張った。
大人なのに子供みたい。
何も考えられない頭に唯一残っているのは、ゆいが好きで好きで仕方ないという気持ちだけだった。
✳︎✳︎✳︎
「…大丈夫?」
私を腕枕したゆいが、空いてる方の手で汗ばんだ額を拭ってくれた。
「うん。」
「辛くなかった…?」
「…気持ちよかったよ。」
本当にそう思った。
ゆいと初めてした時、すごく嬉しかったけど、その行為自体がどうかっていうのは、正直よく分からなかった。だけど今は、ゆいを丸ごと感じられるこの時間が大切だし、好きだなって思う。
「ありがとう…。」
優しく、触れるだけのチュー。
それだけなのに。
唇を掠めるほんの僅かな感触さえ、びっくりするほど気持ちがよくて、思わずため息が出てしまう。
「…ん、…ゆいは?」
「すごく、良かったよ…。小百合がしてくれるなんて、夢みたい…。」
うっとりと噛みしめるみたいな表情で言われると、なんだか照れくさい。したっていうほど何も出来なかったけど、私の下でゆいが喘ぐのを見て、それがたまらなく愛おしかった。
「ゆい、かわいかった。」
そう言うと、困ったように眉毛が下がる。ゆいが照れたときの顔だ。
「かわいい。ゆい、かわいすぎる。」
「もう…恥ずかしい…。」
かわいいを連呼する私を、ゆいがもう一度組み敷いて、唇を塞ぐ。長いチューが離れるとき、名残を惜しむように、ゆいの舌先が私の舌先に触れた。
「…こんなに触れたいって思うのは初めてだよ…。私の指や唇が触れてないところがないってくらい、小百合に触れたくて触れたくてたまらない。」
「…ほんと?」
「うん。誰にもそんなこと、思ったことなかった。」
「…佐伯さんにも?」
あっ、と思ったときには、口を衝いて出たあとだった。
佐伯さんの存在が、ずっと心に、小骨みたいに引っかかり続けてる。
「ごめん。変なこと聞いて…。」
「ううん…。大丈夫だよ…。」
「…私ね、ゆいが好き過ぎて、ゆいの過去にまでヤキモチやいてる。今、ゆいは私のことだけ見てくれてるのに、今だけじゃなくて、未来だけじゃなくて、ゆいの過去も欲しいって思ってる。そんなのムリなのにね…。バカだよね…。」
「バカじゃないよ。」
まっすぐ強い視線と、優しい笑みが私を見下ろす。
その間を、振り子みたいにダブルハートが揺れている。揺れるチャームは2枚重なって決して離れない。どんなに揺れても、決して…。それが、私に勇気をくれた。
「嬉しい…。」
そう呟いて、身体を浮かせていたゆいが私の上に重なる。どちらともなく、繋いだ手の指を絡めて、強く握り合う。
「…嬉しい、の?」
「うん。」
ゆいの顔が私の真横にあるから、話すたびに吐息が頰っぺたや耳にかかる。
くすぐったくて、暖かい。
「私のむかしも、今も、これからも。私を全部受け入れてくれるって事だから、嬉しい。」
そのまま、私の耳元で、ゆいがぽつぽつ話し始めた。
「…付き合ってるから、こういうことするのは当たり前だって思ってた。でも、今思うと、私から触れたいとか、したいって思ったことなかった…。」
「…うん。」
「私、佐伯さんのこと、好きだと思い込もうとしてたんだ。憧れてた人の特別になれたことに初めは舞い上がっていたけど、私は恋人として佐伯さんの側にいたいんじゃなくて、仕事をする佐伯さんの背中を追いかけたかっただけだった。」
「…。」
「佐伯さんが大事にしてくれるたび、同じものを返せないことが申し訳なかった。そんな自分がどんどん嫌いになって…『付き合うことに何の意味があるんだろう?』って思うようになって。私は人とまともに関われないんじゃないか?とか、人を好きになるってなんなんだろう?とか、別れてからもずっと考えてた…。そしたら、出会ってしまった。あなたに。」
顔を横に向けて、ゆいを見る。
鼻が触れそうな近さで、見つめ合う。
「小百合だけなんだ。…心の鍵を外せたのも、その扉を開けてくれたのも。私、こんなに人を好きになれるなんて、知らなかった。こんなに心も身体も欲しくなるなんて、知らなかったよ。」
少し潤んだ大きな瞳は、水が絶えることのない泉みたいに深くて、綺麗。
その水面に、私が映ってる。
…私だけが、映ってる。
「…ゆい、あのね…。」
「…?」
「…私も、おんなじなんだ。」
私の瞳にも、ゆいしか映らない。
それを伝えたくて、まっすぐ見つめる。
「初めは正直、ウザかった。なのにいつも心の中にゆいがいたんだ。寂しいときには、未来や葵がいた。頼りたいときには、直がいた。だけど、ゆいはいつでも私の心にいた。…初めて出会った日から。一緒のときも、離れてたときも、ずっと。」
「…。」
「ゆいの心が欲しい。身体が欲しい。過去が、今が、未来が欲しい。…私だけの…ゆいでいて欲しい。」
「…小百合。」
空いた手をベッドについて、ゆいが身体を起こす。繋いでいた指をゆっくりほどくと、そのまま右手に嵌められていた指輪を抜いて、私に握らせる。
「…ゆい、何?」
「…小百合だけの私になりたい。小百合のに、して。」
そう言って左手を差し出す。
指輪と、左手。
…言わんとすることは一つしかない。
私も起き上がり、ベッドの上のゆいと向かい合うと、ドキドキしながら差し出された左手を取った。
大好きな、大きな手。
その暖かくて長い指を一本一本撫でて、そっと薬指に金色の輪を通す。
見た感じ、右手の薬指よりもゆとりがあるけど、そこにあるべきものとして、きちんと嵌った。
「ゆい…?」
自分の指をじっと見つめていたゆいが、潤んでいた瞳からぽろぽろと涙を零すと、右手で私を抱き寄せた。
「…ありがとう。」
その声は、少し震えていた。
だけど、それは不安からじゃない。
「さっきからありがとうばっかりだよ。もっと他に言葉あるじゃん…。」
笑いながら言って、指でゆいの涙を拭った。
「そうなんだけど…すごく嬉しいんだ。どう言ったらいいかわからないけど、感謝の気持ちでいっぱい…。」
「じゃあ、私に言わせて。」
「…え?」
「ゆい。愛してる。」
こんな想いは、ゆいにしか持てない。
18年生きてきて、ゆいに出会って、初めて知った気持ち。
「小百合。」
「また、ありがとう?もうそれ禁止ね(笑)」
「違うよ(笑)」
涙の跡を残したまま、ゆいが笑う。
綺麗な笑顔。
ゆいの顔は、泣いてても怒ってても好きだけど、笑顔が一番好きだ。
一緒にいる時は、たくさん笑ってて欲しい。
「…小百合のこと、ずっと愛してもいい?」
その言葉を追いかけるように、唇が近づく。
「…うん。」
ゆいの唇が追いつく。
一瞬止まって、にっこり微笑んで。
「…ねえ、ずっとだよ?」
そして、待っていた私を優しく捕まえて、その声を飲み込んだ。
✳︎✳︎✳︎
暖かい風が前髪をくすぐる。
その感触と、自分を包む柔らかい空気が気持ちいい。夢のようなふわふわした時を楽しんでいたら、大きな音がして、一気に目が覚めた。
「…ん…」
薄暗い部屋の中、まだはっきりとしない視界で辺りを見回す。
見慣れない家具、見慣れない天井。
そうだった、ここはゆいのアパートだ。
ブロロロ…と、音が遠ざかっていく。まだ暗いから、新聞配達のバイクかな…。
ぼんやりと天井を見つめていたら、首の下に回されたゆいの腕が、私を抱きしめる。起こしたかと思い、控えめに名前を呼んでみたけど、返ってきたのは深い呼吸音だけだった。
「疲れさせちゃったもんね…。」
…明日、アパートを引き払う。今日はその準備をするから、お仕事は半日で切り上げるみたいだけど、少しでも長く寝かせてあげたい。
抱きしめられるまま、ゆいの首筋に擦り寄る。
いい匂い。
すごく安心する。
声にならない吐息が額にかかる。
冷えた空気から守るように包む、ゆいの身体が暖かい。
いつもゆいは、私を愛してくれている。
優しく、時には力強く。
「…なんで、不安に思ったんだろうね?」
きっと、人を愛するということは、不安なんだ。
信頼と、条件のない愛を学ぶために、不安がある。
そして、不安は、好きな人とじゃないと一緒に超えられない。
…私は、ゆいを見つけられて良かった。
「ゆい…。」
クールで美しいゆいが、寝ている時はあどけない。
可愛い。
あまり見たことがない寝顔を見ていたら、触れたくてたまらなくなって、いい匂いのする首筋に唇を這わせる。
「ん…なに…?」
ゆいが目を覚ました。
私を抱き寄せた手で、目を擦っている。
「…ごめん。起こしちゃった…。」
「いや、大丈夫だよ…。もう朝?」
「…えっと。まだ暗いよ。時間見ようか?」
「いいよ。」
ぎゅっと抱きしめられる。
裸の胸に柔らかく押しつぶされると、昨日の事がリアルに蘇る。
「あ、あのね…ゆい…。」
「ん?」
「あんまりぎゅっとされると…その…。」
「…したくなっちゃう?」
ニヤニヤと、意地の悪い笑顔。
…ゆいって、こんなちょいワル何とかな顔もするんだ…。
「…だめだよ。ゆい仕事じゃん。」
ちょっと強めに、真面目なことを言ってみた。ゆいに翻弄されるのはイヤじゃないけど、やられっぱなしは面白くないから。
「仕事は仕事。小百合は小百合。仕事は佐伯さんもいるけど、小百合を愛していいのは、私だけじゃない?」
色っぽくて、不敵な笑顔。
ああ、綺麗な顔でそう言われたら絶対逆らえない。…まるで、天使と悪魔だ。
「…ちょっとだけだよ。」
「うん。ほんのちょっと。…夜が明けるまで。」
恋愛なんて面倒くさいと思っていた。
だから、そういう雰囲気になると構えてしまうか、投げやりになってた。
だけど私は出会ってしまった。
構えなくてもいい、投げ出さなくてもいい。
全てさらけ出しても受け止めてくれる、ゆいという存在に。
「ゆい、愛してる。」
愛してるって口にするだけで。
それを聞いたゆいの笑顔を見るだけで。
私は簡単に満たされてしまう。
私はゆいを抱きしめながら、尽きることがない幸せを感じていた。
スポンサーリンク
スポンサーリンク