はじまり。
ふくろう試験まであと一月。
試験を目前に控えた五年生たちは、皆目の下に隈を作り、一心不乱に勉強をしている。
この時期の図書館はそのような者達で溢れピリピリとしている。
頭が良いスネイプも、流石に普段よりも根を詰めて勉強しているのだが、宙に向かって何やらブツブツと呟いている者や、突然泣き出す者などで騒がしく、集中を削がれている。
仕方無く席を立ち、もっと静かで落ち着ける場所へと移動しようと、図書館を後にした。
誰も立ち寄らない場所……それでいてそこにいる事を咎められない場所……。
廊下を歩きながらしばらく考えていたが、やがてひとつの場所が思い浮かんだ。
魔法薬学教室である。
最も得意とするその教科の教室での勉強は、捗りそうだ。
危ない物は準備室に仕舞われているので、出入りは自由なはずだ。
薄暗い地下へ脚を向けると、やはりそこには鍵は掛かっていなかった。
ギギッと軋みながら開いた扉の中は、心地良い静寂で満たされていた。
いつもの定位置、前から三列目の壁際に座る。
薬学は好きなので出来るだけ前に座りたいが、目立つのは嫌いなのでこの位置なのだ。
思った通りペンが進み、しばらく熱中していた。
しかしふと背後の扉が開き、それを中断させた。
このような所へ何用だ、まさかスラグホーンかと、ドキリと振り返る。
やましい事はしていないが、少し心臓が速くなった。
「うわっ! 誰かいた!」
しかしそこに居たのは、一人の女生徒だった。
扉からひっそりと半身を覗かせたその顔には、何となく見覚えがある。
しかし名前が出てこないところからすると、スリザリンでは無いだろう。
見つかったと言わんばかりの顔をした彼女は、諦めたと言った様子でこちらに近付いて来た。
「えーっと、スネイプ君……だったっけ?」
「ああ。」
「さっすが。薬学トップなスネイプ君は薬学教室で勉強してるんだ。」
そういう訳ではないが、否定するのも面倒臭いのでまあ良いだろう。
「そう言う君は……?」
「私? 結華よ。グリフィンドールの結華・仁科。あんたと同じく五年生ね。」
よく見れば赤のネクタイをしていた。
その色に、話しかけて損をしたとばかりにスネイプは手元に向き直った。
「あ、無視?」
「……こんな所へ何をしに来た。別に楽しい場所では無いだろう。」
「楽しい場所じゃ無いのにこんな所に居るなんて、スネイプ君も変わり者ね。私は頭が良くなる薬を貰おうと思って。」
そういえば、彼女はテスト前になるとよく叫んでいたような気がする。
その度ジェームズのメガネが破壊されたりしていた。
きっとこいつは馬鹿なのだろう。色々な意味で。
「そんな物は無いし、あったとしても鍵付きの準備室に仕舞われている。」
スネイプは奥に位置する扉を指しながら、呆れたと言った表情をした。
「えーっ! 嘘!」
それに結華はがっくりと肩を落とす。
五年生は皆、藁にも縋る思いなのだ。
「そんな物に頼っても自分の為にはならない。大人しく普通に勉強するんだ。」
簡単な事だろう、と呟くスネイプは、お馬鹿女子のお馬鹿さ加減を知らないからそのような事が言えるのだ。
きっと誰もが、勉強をしなければならない時になれば勉強をするようになり、すればするだけ身に付くとでも思っているのだろう。
そんな彼に結華は、いい事を思いついたとばかりに手を叩いた。
「あ、じゃあスネイプ君が勉強教えてよ! 」
「何故そうなる。」
「勉強オタクのスネイプ君直々に教えてもらえたら、成績もぐんぐん伸びそうじゃない。」
「僕にメリットが無いだろう。」
「こーんな可愛い子と二人っきりでお勉強できるんだから良いじゃない。誰もいない教室、隣り合って座る椅子、ひとつの教科書を覗き込んで触れ合う肩……! これぞ青春ってもんよ!」
この自信はどこから来るのだろうか。
確かによく見れば整った顔立ちをしているが、中身が馬鹿なので台無しだ。
「僕は女子、それも君のような馬鹿には興味は無い。」
「……この教室に大勢で押しかけちゃうわよ。」
お色気? で釣ってきたと思えば、今度は脅しである。
ドスの効いた声で凄まれると、安息の地を奪われる光景が脳裏に浮かんだ。
せっかく手に入れた静かな場所を手放すのは惜しいので、渋々了承する事にした。
「……僕は大抵ここに居るから、勝手にしろ。」
できるだけ不機嫌そうに眉間に皺を寄せて言う。
しかしその態度から何も伝わっていないのか、結華は大はしゃぎで隣に腰を下ろした。
「やったー! ありがとう、これからしばらくの間宜しくね!」
そう、ふくろうが終わるまでの我慢である。
スネイプは、近くに寄った彼女からふわりと漂う香りにほんの少しだけ顔を赤くさせながら、無言で手元に目線を落とした。
*
「結華、さっきまでこの世の終わりだー! とか叫んでた癖に、なんだか余裕そうじゃないか。」
夕食後のグリフィンドール談話室。
結華の友人であるジェームズが声をかけてきた。
「うふふ、最強の講師を手に入れたのよ。これで学年首席は間違い無しね!」
「それはどうかな? だって僕がいるんだからね!」
どうだか、と軽口を叩き合いながら、結華は思った。
明日からのスネイプとの勉強会が楽しみである、と。
あれからというもの、毎日二人は薬学教室で勉強をしている。
てっきり三日坊主だと思っていたので、スネイプは意外である。
女子と、それもグリフィンドールと並んでいる所を見られでもしたらたまらないので、誰も立ち入らない薬学教室は好都合な場所だ。
彼女の集中力が持つのは良くて三十分だけで、あとはぐだぐだと休憩を挟む。
息抜きは必要かと少しは許可するのだが、またすぐに休みたがる為、スネイプはそんな彼女の右手を羽ペンに縛り付けたりと工夫を凝らしながら、勉強を叩き込んだ。
この調子では勉強を教える以前の問題であるが、一応彼女も悪いと思っているのか、一服用に手作りのお菓子を持参してくれる。
「セブ、今日はクッキーを焼いたの。これなら片手でつまんで食べられるでしょ。」
食べて食べてと、それを摘んで口元へ運んでくる結華の白く細い指。
それに唇が触れてしまわないよう細心の注意を払いながら咥える。
我ながら流されてしまっている。
数日前から、結華は自然と彼を名前呼びにする。
面識のある同級生は大抵名前で呼ぶので無意識にであろう。
スネイプは未だ彼女を名字呼びにしているので、その図々しいまでの溶けこみ具合を少し羨ましく思う。
スネイプは結華の顔と指を交互に見ながら無言で咀嚼を繰り返した。
すると結華は、自身の指についたクッキーの粉を、自分の口へ運び舐めとったではないか。
「……!」
白い指に、赤く濡れた小さな舌が絡み付く。
スネイプの口へ運んだ指を、舐めている。
その少々刺激的な光景に、スネイプは硬直してしまった。
目線を逸らすこともできず、魅入ってしまう。
「……どうかした? もっと欲しいの? あ、ポテトチップスとか食べる時は、お箸を使う派だったりする?」
「……僕の教科書に屑を落とすなよ。」
少し厭らしい事を考えてしまった事を隠すかのように、不思議げに首を傾げる結華に、スネイプはぶっきらぼうに返すのだった。
このようにして、結華にとって苦痛な筈の勉強も、比較的楽しくこなせた。
やはりスネイプは頭が良いのだと思わせられる場面も多く、そんな彼に一対一で教えられているのだから、過去問の正解率も着実に上がってきている。
試験当日。
結華は緊張で体が震えてしまっている。
相当なプレッシャーだ。
「おい、震えてるぞ。」
「む、む、む武者震いよ。」
「そうか。」
そう言うスネイプも震えている。
彼は本当に武者震いなのだろう。
頭の中に叩き込んだ知識をアウトプットしたくてたまらないのだ。
そんな彼は、もはや結華にとって勉強神として輝いて見える。
ここは一発活を入れてもらってゲンを担ごう。
「セブ、ちょっと背中に一発入れてよ。」
くるりと背中を向けた結華は、ほれほれと背中を押し付ける。
「は?」
「ゲン担ぎよ。活を入れて頂戴。あ、もしかして透けブラしてる?」
「馬鹿を言え!」
スネイプは勢いに任せて背中を勢い良く叩いた。
「痛ったぁぁぁ! そこまで強くとは言ってないわよ。グリフィンドールの皆ぁ! SMにハマったスリザリンのスネイプ君が、欲望に身を任せて私を叩くのぉ! 」
敵寮の陣地で助けを求める女子の声に、グリフィンドールの男共は、最後の悪足掻きの暗記も放り出して、騒ぎ出す。
「スニベルスの野郎! 俺達の結華に何しやがる!」
「試験前だから泣き寝入りするとでも思ったんだろう! センター試験朝の電車で女子高生に痴漢するおっさんか!」
痴漢事情に妙に詳しい詳しいジェームズに不名誉なレッテルを張られてしまったスネイプは、面倒臭そうな表情をした。
ちょっとした乱闘でも始まりそうなその雰囲気に、結華はスネイプの耳元に小声で囁くようにして謝った。
「……なんかごめんね、思ってた以上に騒がれちゃった。」
「別にいい。ほれ、あっちへ行け。もう時間だ。」
スネイプはしっし、と追い払うような動作をしながらも、その手で結華の肩を掴みくるりと回転させ、彼女の背中をぴしゃりと叩いて送り出した。
なんやかんやで文句ひとつ言わずに言う通りにしてくれた彼のぶっきらぼうな励ましに、結華は満面の笑みを浮かべた。
そんな少し優しい彼の後押しに、彼女の羽ペンはスラスラと進んだ。
そしていよいよ成績発表の日である。
「セブ! セブセブ! 見て見て! 通ってる! ひとつも落第なし!」
結華は全身で喜びを表しながら、成績表を顔面に押し付けてきた。
スネイプにとって、落第無しなど当然の事であるが、以前の結華の成績からすると奇跡に近い。
スネイプは結華もなんやかんやで頑張っていたからなと、彼女を少し見直した。
「そんなに近づけたら見えないだろう……君の成績なんか興味は無いがな。」
「だってー。お世話になったセブにはよく見て欲しいんだもん。」
「礼はいらんから、今後もこの成績を保て。」
全く素直ではないスネイプの態度に、結華は呆れつつも、やはり感謝でいっぱいである。
しかしそれと同時に、この関係の終わりが見えてしまい悲しくなる。
「……今までありがとうね。」
そうである。
無事ふくろうを終えた今後は、スネイプと結華がここに集まる理由は無くなったのである。
スネイプは、この奇妙な勉強会と言う名の結華がいい教えてもらう個人指導は、何となく今後も続くと思っていた。
そうでないと気づいた時、彼は謎の寂しさを感じた。
「……試験は今後もある。君さえ良かったから、今後も勉強に付き合おう。」
思わず嫌々の体を取りながらも、引き止めてしまう彼だった。
「本当? やった! ちょっとしおらしく言ってみたら、そう言ってくれると思ってたのよね!」
ハメられた!
彼女の思惑通りに動いてしまった事に悔しさを覚える。
しかし、この時間が今後も続くのだと思うと、とても安心した。
その心の動きに、スネイプは今気づいた。
彼は結華の事が好きなのである。
彼女が自分の名前を呼ぶ度、肩が触れる度、馬鹿を言う度真剣な横顔を眺める度に、自然と惹かれていってしまったのだ。
あまりに王道すぎるこの展開に、色恋沙汰に疎い自分でも理解できた。
まさか自分がこのような思いを女子に抱くとは思わなかった。
この僕が、この女に恋……。
スネイプは、そんな気持ちを隠す為、わざと憎まれ口を叩くのである。
「そのかわり、ひとつでも赤点を取ったりしたら、許さないからな。」
ふんと鼻を鳴らし腕を組む。
しかしそれを聞いた結華は、何故か嬉しげに笑った。
「これからも、宜しくね!」
2016/07/14
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