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大石寺の奉安堂の体育館に飾られている、通称本門戒壇の大本尊は日法によ
って彫刻されたと言っているが、日法彫刻説の依文は「富士門家中見聞下」の、
或る時日法御影を造り奉らんと欲す七面大明神に祈念し給ふ感応の至りか浮木
出来せり、此の木を以って戒壇院の本尊を造立し次に大聖の御影を造ること已
上三躰なり、其の一躰は纏に三寸なり上行所伝抄の意なり、大聖戒壇院の本尊
を書し日法之を彫刻す今の板本尊是れなり
(富要五-二四四頁)
という文だけである。
日因は「有師物語聴聞抄佳跡上」において、日因私に云く日法の伝精師家中抄
下巻にあり……蓮祖御存生の弘安二年に板本尊を彫し奉る本門戒壇の御本尊
是なり、又一体三寸の御影を刻り奉る
(富要一-二五〇~二五一頁)
と述べ、日法彫刻説の文証を「松野殿御書」に求めているが、「松野殿御書」
に記されている内容は日法の讃美と日法が宗祖御影を三体造立したということ
であって、日法が本門戒壇の大御本尊を彫刻したということは何処にも記され
ていない、日因も「有師物語聴聞抄佳跡上」において、七面の池之有り此池水
に浮ひ出たる楠木なり、此板御本尊倶に三尊と遊されたるか、亦板御本尊の事
をは略し遊されたるか測り難き者なり
(富要一-二五二頁)
と述べている。ところで、日因「板御本尊の事をは略し遊されたるか測り難
き」としているが、「松野殿御書」には、七面の明神に祈念せし故か、又天道
道の至りか浮木出来せり、此の木を以て一躰ならず三尊まで造る
(富要一-二五一~二五二頁)
として、七面信仰が混入している。
堀日亨上人は、七面は後世の勧請にして祖師の在世に之なし何ぞ日法之を祈る
理あるぺけんや
(富要七-四四頁)
と述べ、七面大明神の勧請は後代のことであるとしている。
したがって、七面信仰が混入している「松野殿御書」も後代の偽作となる。
興師は日蓮聖人の真筆曼荼羅に「本門寺安置」と記るされていることはすでに
ご承知のとおりであり、
数百年後、南条家の持仏堂に安置する板本尊(通称 本門戒壇の大御本尊)
を日蓮聖人が顕されたと言っても、誰も信用はしないでしょう。
しかし文献学的には「偽書」「偽書に近い未決」となっているものでも、その日蓮正宗内、
寺院内で信徒、会員の信仰増進に益するところがあれば、その「宗派内、寺院内という
一つの世界の中では、ウソでも信仰上は日蓮のもの」とされても結構なわけです。
いい加減であってもこれは学問ではなく、信仰上の話です。
また「後世の人が日蓮を求めて、読経・唱題中に胸中で対話をし、信の一字を
もって書かれた書」という位置付けも、例えそれがニセモノであっても、
その宗派内、寺院内で納得されていることならばOKなのです。
日蓮聖人は鎌倉時代に生きた実在の人物である。
この日蓮を“報身”であるというのが日蓮本仏論です。
上代には宗祖本仏思想は存在せず、大石寺門流において宗祖本仏思想が成立した
のは、時師以降である。
お月さん真跡にて、上代大石寺資料の中に「日蓮本仏論」 なる文証を提示しなさい。
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