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北方領土問題でも明らかになった民進党「周回遅れ」の皮膚感覚
米国に気を使え...ってそれでいいのか

なぜあの時、手を打てなかったのか

北方領土は返ってくるのだろうか。プーチン大統領の12月訪日を前に、期待感が盛り上がっている。私も交渉が進展する可能性は十分にある、とみる。日本とロシアを取り巻く国際関係が有利に展開しているからだ。

あらためて書くと驚く読者もいるかもしれないが、北方領土の返還は1956年の日ソ共同宣言でいったん決まっていた。宣言には「日ソ平和条約の締結後にソ連は歯舞群島、色丹島を日本に引き渡す」と書かれている(http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1957/s32-shiryou-001.htm)。

その後、日本は「国後、択捉を含めた4島の返還がなければ平和条約を結ばない」という姿勢で条約締結交渉に臨み、ソ連はこれに応じなかった。結果的に今日まで平和条約を結べず、日ソ共同宣言で決まった歯舞、色丹を含めて4島返還は実現していない。

日本はなぜ、2島返還で手を打てなかったのか。

「4島が日本の領土」というそもそも論を含めて理由はいろいろあるが、このコラムで強調したいのは「米国が反対したから」だ。当時のダレス米国務長官が「ソ連に4島返還を要求しないなら沖縄は返さない」と日本の重光葵外相を脅した(いわゆる「ダレスの恫喝」。関係者の回想録などで明らかになっている)とされる。

背景には当時、米国とソ連が冷戦の真っ最中だったという事情がある。米国にとっては、日本とソ連が喧嘩を続けていてくれたほうが都合がいい。同盟国の日本とソ連が和解したら大打撃になる。だから米国は領土交渉がまとまらないように動いた、という理解である。

これには「米国に言われるまでもなく、日本自身が4島返還論で固まっていたのだ」という反論もある。当時の世界情勢を眺めれば、私はどういう形であれ、日本が米国の意向を無視してソ連と合意するのは不可能だった、と思う。

 

釧路の人々の肉声を聞いて

では、いまも日本全体が4島返還、それも即時返還で完全にまとまっているかといえば、そうとはいえない。「まずは2島、その後、残りの2島を返してくれればいい」という考え方もある。

私は地元の経済団体に招かれて10月4日、北方領土に近い北海道の釧路を訪れた。夜、食事を共にしながら懇談したら、彼らは異口同音に「大きな声では言えないが、私たちはまず歯舞、色丹を返してくれと思っている」と私に言った。「私は島の出身だ」という人もそうだった。

私が「1万円を貸している相手に『5000円返すよ』と言われたら、まず受け取って『残りも後で返せよ』と言うでしょうね」と言ったら「その通りだ」という声が返ってきた。「1万円全額でなければ受け取らない」という人は少ないのではないか。

彼らの多くは水産業に関わっている。魚が取れなくなる中、まずは漁場の確保が先決でもある。島は周辺の海を含めて島なのだ。「小学生の時に歯舞、色丹が戻ってくると聞いて、みんな提灯行列で祝ったのを覚えている」と1人がしみじみ言った。56年合意の時だ。

時代はそれから変わった。いま、街のあちこちにロシア語の交通標識が立っている。ロシアとの関係も深い。北方領土をめぐる「米国ファクター」も変わった。それは図らずも、10月3日の衆院予算委員会で明らかになった。

民進党の前原誠司衆院議員は「米国は11月に大統領選挙がある。私は米国の政権移行期に物事を進めるべきではない、という皮膚感覚を持っている」と述べ、12月のプーチン訪日で勝負に出ようとしている安倍晋三政権にブレーキをかけた。

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安倍首相は「私はプーチン来日についてオバマ大統領にもバイデン副大統領にも私の考え方を説明し、当然、了解されていると考えている」「米国の状況に合わせてしか交渉できないとなれば、ロシアは日本より米国と交渉するという話にもなる」と反論した。

ここは重要なやりとりだ。

前原議員が日米同盟を重視して「米国が政権交代し落ち着いてから物事を進めるべきだ」と考えているのに対して、安倍首相はあくまで日本の主体性を重視した。どちらが正しいのか。