100年余り前に西洋の軍艦が漢江沿いで艦砲を撃つと、驚いた王族は宮廷の裏庭に釜を埋めたという。シャーマンの指示通りにしたのだった。昔だけではない。さまざまな選挙期日が法律で定められる前まで、韓国の大統領選、総選挙の期日は占い師が決めていた。当時は大統領に有利で野党総裁には不吉な日取りを選んだ。実務責任者から直接聞いた話だ。韓国社会と韓国人の意識の根底には今も科学と理性ではなく、迷信と感情が存在するのだと思う。非科学、非理性が支配する国がノーベル賞を切望していることになる。
韓国の科学者は韓国のノーベル賞受賞も遠くないと言う。有力な候補がいるのだという。そう望みたいものだ。しかし、韓国の社会風土が科学と懸け離れているという問題はノーベル賞を数回受賞したとしても変わりない。狂牛病(BSE)や電磁波に関するデマは科学と理性が支配する社会では決して生まれないが、韓国では社会全体を覆った。科学と理性で立証されていても、「米国産牛肉などお前が食え」「THAADが安全ならば、お前の家に置け」などと主張する。デマにだまされてもまた新しいデマに振り回される。
韓国が過去に唯一受賞したノーベル賞が政治賞(平和賞)であることは決して偶然ではない。善かれあしかれそれは受賞に値すると思う。これからも受賞者が出るかもしれない。ノーベル文学賞も受賞できるだろう。しかし、科学分野のノーベル賞はそうはいかないだろう。韓国人への科学分野のノーベル賞もいつかは生まれるだろうが、傑出した個人の成果であるはずだ。社会風土が米国、英国、日本などとは異なるためだ。ノーベル賞よりも科学と理性が支配する社会風土の方が重要だ。変人かのような科学への執念もそうした風土から生まれ花咲くものだ。