障害者のまったくいなくなった社会はどう思いますか。素晴らしいと思いますか

AMEjyoubudehoiku_TP_V

本稿は読者投稿コーナーに応募してくれた方からの原稿です。


「障害者のまったくいなくなった社会はどう思いますかか。素晴らしいと思いますか」

という問いかけを学生たちにした先生がいたらしい。そしてその半数は「素晴らしい」と答えたのだそうだ。

はっきり言わせてもらう。寒気がした。
まず浮かんだのは「安直すぎやしないか」という感想だ。
ではなぜわたしがこの感想を抱いたのか障害者の視点から書いていけたらなと思っている。

まず、障害者という言葉を辞書で引いてみた。
辞書にはこう書いてある。

「何らかの原因によって長期にわたり日常生活または社会生活に相当な制限を受けざるを得ない人のこと」(Wikipediaより)

ふむ。なるほど。と思う。
だけど障害にもいろんな障害がある。
身体の障害、発達の障害、精神の障害……。

たぶんこのコンテンツを見ている人の多くは、発達の障害もしくは精神の障害を持っている人が多いと思う。ちなみに、これを書いているわたし自身は、発達障害と診断されている。このわたしも診断された発達障害、実は結構厄介な障害で、見た目や話した感じはごくごく普通であり、とても障害かどうか見分けがつかない、医師であっても診断の難しい障害である。障害として認知されたのも最近の出来事で、それまでは発達障害という定義すらなかったと言われている。つまり、発達障害という障害は、医学が発達した現代の世界が作った障害とも言えるとわたしは思う。

医学は日々進歩し続けている。もしかしたら、50年後、わたしたちが歳をとってしまったころには、今治らない病気でさえも治るようになっているかもしれない。それは単純に素晴らしいことだと思う。多分最初に載せていただいた問いかけの学生たちもそういうことを踏まえた上で、「素晴らしい」と答えたのではないだろうか。誰だって病気にも障害にもなりたくはない。それは健常者だって障害者だって同じだ。

だけど、わたしが思うのは、「それって安直すぎる考えなんじゃない?」ということだ。何に対してそう思うのかは未だに自分でも定かではない。ただ、何故か自分の心の中で危険信号が鳴っている。

先ほどの問いかけを見た時、最初にわたしが思い出したのは、伊藤計劃という作家の「ハーモニー」の世界である。

読んだことのない方に簡単に説明すると、舞台である近未来の世界では、病気という概念が存在しない。人々は皆、watch meという端末で国に健康を管理され、心身共に健康である。この世界では、太ることも自殺することも許されない……。という世界観だ。

話が少し逸れてしまったが、わたしにはまるで先ほどの問いかけが「ハーモニー」の世界そのものな気がしたのだ。確かに障害者が存在せず、皆が健康な世界は素晴らしいとわたしも思う。だけど、その「障害者が存在しないことが素晴らしい」という思考に至ることがわたしには怖い。いや、これはあくまでも「障害者がまったくいなくなった社会」という仮定の話であって、その障害者がまったくいなくなるまでの過程はあくまでも視野に入れないということはわかってはいるのだけれど、その考えそのものが、わたしにはとても怖い。

最初に述べた通り、わたしは発達障害者だ。そしてこのメンヘラ.jpには、発達障害や精神障害を抱えている人達がライターとして日々記事を書き編集し更新している。わたしは最初に診断されてもう五年以上も立つけれど、自分の発達障害のことをまだ受け入れられずにいる。だけど、この先もおそらく寛解するまでか死ぬまでこの障害と付き合っていくことになる。それだけは確かだ。それはどの身体であれ、精神であれどの障害者だって同じだ。これから医学がどんどん進歩して、新たな薬や治療法だって出てくるかもしれない。それはとても素晴らしいことだと思う。だけど、わたしには「障害者がまったくいなくなった社会」というものが全くもって想像できない。より正確に言えば、「障害というものがまったくなくなった社会」というものを想像できない。

わたしは障害というものは、医学が進歩すればするほど増えていくものではないかと思う。最初の発達障害の話に戻るけれど、つい最近になるまで、発達障害という障害は存在しなかった。医学が進歩したからこそ発達障害は障害と認められ、少しずつではあるが認知されつつある。わたしはそれは別に構わないと思う。きっと障害を持つ当事者たちはずっと他の人とは違う違和感に苦しんできたと思うから、「障害」と何かしらの名前がつくことで安心した人もいるのかもしれない。逆に「障害」と名前がつくことでレッテルを貼られているような気持ちになる方もいるのかもしれないけれど……。それは人それぞれなのでわたしからは何とも言えない。ただ、わたしがひとつ言いたいのはこれだ。

「障害がまったくなくなることはほぼありえないし、障害者がまったくいなくなることもほぼありえない」

きっとこれからも医学の進歩と共に発達のような障害は次々と見つかるだろうし、いつ新型ウイルスや伝染病が流行るかもわからない。不慮の事故だって起きるだろう。もしかしたらこれからの情報化社会に疲れて精神的に病気になってしまう人だっているのかもしれない。だから、あくまでも個人的な意見だけどこの問題についてはいつまで経っても答えが出ないのではないかとわたしは思う。

むしろそれよりも、わたしが健常者のみなさんに問いかけたいのは、「もし自分が障害者だったらどうするのか」ということだ。そしてわたしと同じく障害を持っているみなさんにも「もし自分が健常者だったらどうするのか」ということだ。自分ではない相手の気持ちを考えるのは、簡単なことに見えて案外難しい。だけど、

まずは考えてみることからはじめてみてはどうだろうか。……いやあ偉そうに長々書いてはみたものの、これ、需要があるのだろうか(汗)ここまで読んでくださった読者のみなさん、もうちょっとだけお付き合いいただきたい。

ということで今回の記事で伝えたいことをざっくりとまとめるとこうなります。

・医学の進歩、発達とともに発達障害や精神障害など見えない障害が増えている

・いつ不慮の事故や新型ウイルスに感染するかもわからない

・健康な社会になってもそれが住みやすい社会とは決して限らない

・障害がまったくなくなることもありえないし、障害者がまったくいなくなることもありえない

・健常者は障害者の、障害者は健常者の気持ちを一度考えてみてはどうか

の五つです。もしよろしければみなさんも考えてくだされば嬉しいです。そしてあわよくばこのメンヘラ.jpやはてなブックマークやTwitterで意見をどんどん発信してくれたらな、と思います。

……まあ散々長々と偉そうに書いたけれど、わたしはただの通りすがりのメンヘラ.jpの読者投稿マンなので間違っている点は多々あると思います。そこはちゃんと指摘してくださると嬉しいです。読者のみなさん、いつも読んでくだってありがとうございます。そして編集さん、今回もこんな記事を書かせていただいてありがとうございます。以上、もう読者のみなさんと編集部のみなさんとメンへライターのみなさんにはには頭が上がらない花坂 埖でした。また記事が掲載されることがあったらよろしくお願いします。

あ、そして最後にもう一度だけ、みなさんにお聞きしたいことがあります。

「障害者のまったくいなくなった社会はどう思いますかか。素晴らしいと思いますか」


【投稿者】
花坂 埖(はなさか ごみ) さん

【プロフィール】
片田舎に住む実家暮らしの20歳。中学生の時に南条あやと出会い、広汎性発達障害と診断されたことにより、メンヘラをこじらせ現在に至る。只今絶賛自宅療養中。

twitter : https://twitter.com/hanasakagomi
amazon欲しいものリスト : 欲しいもの




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です