「ネコ預かることになったから!」
会社から帰ってくるなり、三十六歳女性は興奮ぎみで言った。秋のはじめに汗だくだった。前歯に「号外」と書いてある気がした。
詳細をきいた。ネコの保護活動をしている友人に頼まれたらしい。その友人が生後三ヶ月の子ネコを保護した。飼い主が見つかるまで預かりたいが、すでに飼いネコと預かりネコをあわせて十匹以上が家にいる。さすがに夫から不満も出ている。それで三十六歳女性に話がきたという。
「来週、くるから、よろしく」
三十六歳女性は言った。名前は「天ぷらちゃん」というらしい(なんて名前だ)。われわれは天ぷらちゃんを預かることに決めた。
「飼う」ではなく「預かる」。これは心理的に妙なものだった。飼い主が决まるまでだから、それが数週間なのか、数ヶ月か、一年以上なのかは分からない。飼いネコではないが、しばらく家にいる。別れると知りながら付き合うような感覚になるんだろうか。
われわれは天ぷらちゃんが来てからのことを話し合った。この家のことをちゃんと気に入ってくれるだろうか、うちの他のネコたちとは馴染めるだろうか、乱暴者のセツシも子ネコがくればお兄さんのようになるだろうか、それともいじめてしまうだろうか、嫉妬しいの初音は子ネコにも嫉妬するだろうか……。
「この子ね! 天ぷらちゃん!」
スマホの画像を何枚か見せられた。動画もすこしあった。小さなネコが腹を出してころころ転がっていた。三毛ネコだった。目が大きく、うるうるしていた。
情がうつるんじゃないか?
私は不安になったが、三十六歳女性は大丈夫だと言った。
「あたしはそのへん、ドライだからね」
前歯を光らせていたが、信用ならない。ネコのことでこの女がドライなはずがない。他の物事にはたしかにドライだが、ネコに関してはウェットもいいところ。はじめて飼ったネコが闘病の果てに死んだときなど、それはもうペッソペソに泣いていた。
「そりゃ病気は別だよ! 今回は預かるだけだし!」
堂々と言っていた。あくまでも預かる人間としての心の距離を保ち、無事に飼い主が見つかったときは、さわやかに送り出してやる。預かるだけで情が移るはずがない。割り切るところはドライに割り切る。それがあたしという人間なのだ!
「あんたの想像してる百倍はドライだよ!」
……という話をしていたんだが、本日、先方の都合が変わり、預からないことになった。なんとか夫を説得できたという。それで三十六歳女性は「天ぷらちゃん……」とつぶやいていた。どこがドライだ。まだ来てもいないのに。
ただまあ、私も完全にショックを受けてはいた。それはもう落ち込みはした。色々と想像したのが、どうもまずかったらしい。われわれは顔を見合わせた。
「天ぷらちゃん……」
その声は完全にハモッていた。
嘆きでハモる。これは、ゆずにもできない芸当。