「豊洲」と「五輪」の共通項は、都民の目線を遮る形で移転や施設費が決まり、問題が発覚して異論が出たとしても、都や議会が強引に押し切ってしまうことだった。
小池百合子都知事が、初当選以降圧倒的な支持を集めているのは、「都民ファースト」の視点から都や議会が「ブラックボックス」のなかで決めていたことを、広く情報開示していこうとしているからだ。
そんな「小池都政」の意に反して、「第二の豊洲」が、密かに進行している。
院長を始めとする病院関係者はもちろん、患者や利用者、医師会など医療関係者に事前に諮ることなく、政府と東京都の“都合”だけで移転が決まった都立広尾病院である。
現地での改築が検討されていたのに、昨年10月、突如、移転を前提とした出来レースのような調査が始まり、今年1月、2016年度予算案で移転先となる「こどもの城跡地」の購入費用370億円が計上された。
この間、移転を知らされたのは佐々木勝前院長などひと握り。それも、10月21日の時点で、「(舛添要一前)知事のレガシー(遺産)だから」という佐々木氏への一方的通告が都幹部からあっただけだった。
土地代だけで370億円。建設費などを含めると900億円に達するというプロジェクトを、「セコイ」を全世界に発信した舛添氏のレガシーとして残していいわけがない。
しかし、汚染地の豊洲への移転が見直されることなく進んだように、広尾病院移転予算は、3月25日に可決され、8月31日、「第1回首都災害医療センター(仮称)基本構想検討委員会」が開かれ、ここで初めて医療業界関係者の同意を取り付けようとして、「なぜ広尾の病院を青山に移す必要があるのか!」という声が出て紛糾した。
「移転ありき」に反対、「プロセスに問題がある」と都に問い続け、結果、今年4月、東京都保健医療公社副理事長という閑職に追いやられた佐々木前院長が、経緯をすべて語った。
――移転の話が最初に持ち込まれたのは?
「15年1月21日です。(広尾病院を管掌している)病院経営本部の本部長がやってきて、移転候補地に代々木のNHK放送センターと青山のこどもの城の2ヵ所がある、という説明でした。移転については(秋山俊行)副知事も、渋谷区長選に立候補予定の都議も了承しているとのことでした」
――移転ありきだったということか。
「それでは医師や病院職員、患者や利用者を無視し過ぎだということで、6日後、秋山副知事に会って直訴。その結果、『広尾病院の機能の在り方』と『広尾病院の改築改修の在り方』の2つの調査を、各1000万円で行いました」
――その結果と都の反応は?
「2つの報告書では、広尾病院を現地で改築改修する方が、メリットがあることが明らかでした。それぞれ小冊子にして6月末までに病院改革本部に提出しています。しかし、報告書が本部で検討された様子はなく、質問、意見、要望といった働きかけもなかった」
――なのに、やっぱり移転だった。
「10月20日の建設専門紙を読んで知りました。伊藤喜三郎建築研究所に『広尾病院整備に係る調査業務』を発注したという内容だったのですが、『現敷地内で大規模な建て替えを行うのは困難と想定される』と書いてあり、移転を前提とした調査でした」