時代の正体〈402〉24条の危機(2)「愛は勝つ」の意味

  • 神奈川新聞|
  • 公開:2016/10/05 11:00 更新:2016/10/05 11:00
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【時代の正体取材班=田崎 基】今夏の参院選の結果を踏まえ、憲法改正に向けた議論が衆参両院の憲法審査会で本格化する。中でも改憲条項として急浮上しているのが24条。改憲論議が熱を帯びる中、「24条変えさせないキャンペーン」と銘打ったプロジェクトが始動した。皮切りとなるシンポジウムで基調講演した憲法学者の木村草太さんは、24条の成立過程や理念、意義について語った。

 明治憲法には家族に関する規定はなく、もっぱら民法レベルで規定されていました。当時、民法では家制度が採用され、結婚は戸主の同意が必要と明記し、戸主の同意がない場合には父母の同意が必要とされていました(旧民法750条、772条)。

 もちろんこれ以外でも家庭の中で女性の地位は低かったと言われています。こうした状況の中で新しい憲法が制定されたわけです。

わずか10日


 よく「日本国憲法は2週間で書かれた」などと言われたりしますが、そう甘くはない。

 太平洋戦争中、ポツダム宣言が突きつけられ、日本政府は降伏を求められました。しばらくの間、日本政府はこれを受け入れなかった。ポツダム宣言には「民主主義的傾向の復活・強化」と「基本的人権の尊重の確立」という二つを日本政府は実施しなくてはならない、とあった。

 このとき問題になったのはいわゆる「国体」です。つまり天皇を中心とした政治の仕組みを維持しうるかどうかが分からなかった。結局、日本政府はポツダム宣言受諾し、降伏します。そして先ほどの二つを確立しなければならなくなった。

 ですが、明治憲法下ではこれを実現することは難しい。そこで1945年10月に内閣法制局の大物官僚や著名な憲法学者らで構成する憲法問題調査会が設置され、具体的な議論が始まりました。極秘で行われていた議論について、毎日新聞が1946年2月にスクープし、国民や連合国軍総司令部(GHQ)が内容を知るところとなり、この草案は葬り去られることになります。

 この草案では「十分な民主化にならない」と判断したGHQ側で憲法草案が作られることになりました。それが急ぎに急いで10日間だった。だがGHQはなぜそんなに焦っていたのか。

 当時、米国が単独で日本を占領していたわけです。ですが、日本と戦っていた国は共産圏の国もあるし、豪州のように対日強硬派が発言力を持っていた国では天皇を処刑しろとか、皇族は中国へ流刑だとか言っていた。

 そうした背景からGHQは急ぎ、2月13日にGHQ案ができた。この案の中に現行憲法の24条(当時は23条)が出てきます。英文を日本政府が訳したが、とても長い。このままでは国内法とも整合性がない。あるいは表現が法律らしくない。そこで形を整え、不要な部分を削り、要望があるものは入れて、出来上がったのが現行24条です。

 この成立経緯を踏まえれば、明治憲法下では両親の同意が必要だとか、家庭内で女性が差別されているという状況を改善しようということで、24条の趣旨とは「両性の合意だけで結婚は成立するんだ」ということになるわけです。

趣旨を曲解


 24条を「同性婚禁止規定」だと読む変な人がおりますが、成立経緯の趣旨からして全然違う。「両性の合意のみ」というのは「両当事者の合意だけで結婚ができる」という趣旨で「のみ」と入っているわけです。要するに24条が、同性カップルをどうこうするという意味は全くない、ということになります。

 新憲法ができた当時はとても盛り上がり、憲法音頭とか「憲法かるた」が登場したそうです。

 その憲法かるたで24条は、愛し合う2人がハートマークの中に描かれ、読み札に「愛は勝つ」と書いてある。つまりこれは「愛し合っている2人がいれば結婚はできる。親の同意なんかいりませんよ」ということを普及するために、こうした絵柄と読み札になったのでしょう。

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