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Apes! Not Monkeys! はてな別館

2010-06-13

[]「洗脳」について

三光作戦については撫順戦犯管理所の元収容者たちによる証言がよく知られており、またそうした証言者たちは「洗脳」されたのだとする右派のキャンペーンがあることもよく知られている。元収容者たちの供述調書は『日本軍の治安戦』でも資料として利用されているが、「虚偽自白」の問題に関心をもつものとして、この点について少し述べておきたい。結論を先にまとめておくと、(1)収容者(戦犯容疑者)たちが自白に至るまでの過程を「洗脳」と呼ぶことは、この語に右派がこめている悪意を排除するという条件付きで可能である、(2)しかしそのことは彼らの自白の信用性を否定するものではない、(3)日本の警察・検察における取調べもまた多分に「洗脳」的性格を持っている、となる。


ある場合にひとは自白し、またある場合には自白を拒む。自白をするかどうかを左右するのは「否認へと向かう力動」「自白へと向かう力動」(浜田寿美男、『自白の研究』)という二つの心的力動である。浜田寿美男氏は前者を(1)取調べへの反発、(2)予想される刑罰(への恐れ)、(3)羞恥や地位喪失(への恐れ)、後者を(4)自白から得る利得、(5)自白衝動(悔悟)、(6)弁明不能感、(7)取調べの圧力、と分類している(「弁明不能感」とは、弁明を理詰めで論破されたり頭からはねつけられるなどで、それ以上の否認への意欲を失うことを指す)。取調べの技術とは要するに、「否認へと向かう力動」のはたらきを弱め、「自白へと向かう力動」のそれを強化すること、ということになる。

取調べが被疑者の心的力動へのはたらきかけである以上、その技術は当然「洗脳」ないしそれに類似したものになりうる。浜田氏は『自白の研究』(北大路書房)の第4章第3節でチェコにおける粛正裁判を取り上げ「洗脳的取調べ」の特徴を分析したうえで、日本の刑事司法における取調べが「洗脳的取調べ」と(もちろん多くの差異はあるものの)共通する構造を持っていることを指摘している(第5章)。撫順戦犯管理所の収容者たちの「被疑者」としての顕著な特徴は、彼ら自身も当時を振り返って認めている通り、当初(5)自白衝動(悔悟)という心的力動をほとんど持っていなかったか、あるいはその力が非常に弱かった、ということである。通常の被疑者の場合、自白衝動(悔悟)それ自体は当初からはたらいており、「否認へと向かう力動」と対抗している。しかし元収容者たちの場合には過去の体験の意味付けを変えることで新たに自白衝動(悔悟)を持つことを要求されたわけである。これは人格の大きな変化(「犯罪など犯したことのない私」から「重大な犯罪を犯した私」へ)を伴わずには不可能なことであり、そうした過程を「洗脳」と呼ぶことはそれほど事態から乖離したこととは言えないだろう*1

もちろん、当事者にとって「認罪教育」を「洗脳」呼ばわりされることが屈辱的であることは理解できるし、事実後述するような重大な相違はある。しかし、例えば拷問などなく人道的に処遇された、だから「洗脳」などではない……というのは「取調べ」についての認識としてはやはり浅薄と言わざるを得ない。撫順戦犯管理所での取組みに好意的な文献、最近であれば先日取り上げた『中国侵略の証言者たち』(岩波新書)にしたがって「認罪教育」の過程を振り返ったとしても、そこには虚偽自白を生み出す原因にもなる「圧力」としての要素があることは否めない。例えば「人道的に処遇」されることは上記(1)取調べへの反発という力動を弱める。また繰り返し伝えられたという「真面目に認罪、反省の道を進んでこそ中国人民の寛大な処遇を勝ち取ることができる」という方針(『中国侵略の証言者たち』、169ページ)は(4)自白から得る利得という力動を強める。不完全な供述書はただ突き返し書き直させる……という手法も長期の拘禁状態の下では(6)弁明不能感、(7)取調べの圧力という力動を働かせうる。これらはすべて真実の自白を導く圧力ともなりうるが、虚偽自白を導く圧力ともなりうるものである。「認罪教育」には「洗脳」とも共通する側面があったことは率直に認めるべきではないだろうか。それを認めたからといって、直ちに「認罪教育」の手法が不当だということにもならないからである。日本の刑事司法における取調べだって多分に「洗脳」的である。代用監獄の廃止も取調べの可視化も実現できていない日本社会に「認罪教育」の手法を批判する資格があるとはとても思えない。以前に「本館」の方で紹介した、仁保事件の取調べの一部を改めて引用しておく(『自白の心理学』123-124ページ、強調は引用者。また「岡部」は被疑者の男性、「A」「B」はそれぞれ取調官)。

 B うん、のー、(岡部の鼻をすする音)もうね無我の境になっちょるんだから、の、いろいろな邪念がかかっていないんでね、のう、まあ一服吸うてそれからお話しようで、のーや(二〇秒沈黙、岡部鼻すすり、ため息)。

 A やっぱり子どもがじゃね、親にすがりつくだ、あの気持ちになってね、わしも君がいよいよ真から言うたさっきのことはな、ね、わしもいよいよほんと心のうちでは泣くような、なんじゃ、心になるで、ほんとに、それほどになるで、本気になってくれたかと思うとの、事実を話してくれるかと思うとね、そねいになってくるんで、わしも。の、何がお前なんじゃろうが、お医者さんでも、重症患者、この世で死にゃあええちゅうなこと思う者は一つもないで、ね、そうじゃろ。うん(岡部鼻すすり)、それからなんだろうが、わしらだってじゃ、ね、悪いからちゅうて、そういう人間悪いからちゅうて、こげんな外道、殺しちゃろうちゅうような、こんな、捕らえてじゃね、刑務所へ入れたろういうような気持ちは一つもないんで。うん、わしゃいつでもそれを言う、どういう、いかなるその極悪非道な人でも、ええ、人間の真のその何を聞いたら、ね、みなその善人にたちかえってくる。良心ちゅうものがあるんだからね(岡部鼻すすり)。

 B もう落ちついたか、うん? のー、ちょっと話そうで、の、話してしまおうでのー、そしたら楽になる。

 A じいっと落ち着いてね、腹に力を入れてど、の、腹に力を入れて力が入らんにゃ、これ腰に手をもってってじゃね、そしてはなしをしてごらん。(岡部鼻すすり)ずーっと精神統一をやってやると、ずーっと話ができる。僕らは、あのこの前もちょっと君と話したようにね、座禅をする。実際のところがそうまでして僕は修養する。現在においてもまだ僕は修養が足らないと思うとる、ね。人間には完成というものはないんだ、ね。どこまでいったからいうて完成はない。

 A・B 未完成だから、な。

 B それをじゃね、人からね、いろいろ教わり、人から聞いてみな完成に近い人間になってくる。完成しつつある人間ができてくる。ね、そいじゃからね、岡部君のつらい気持ちはようわかるけど、これを出さにゃどうにもならんのじゃからね。君はいま言う腹になっとんだから、お話する気持ちになっとる。美しい気持ちになっちょる。ね、ほいじゃからなんで、お話してまおうで、のう、うん?

こういう取調べが延々続いたのである。


しかしながら、「中帰連のメンバーは洗脳されているのでその証言は信用できない」という主張についてはまた別である。『自白の研究』ではロバート・リフトンの著作を援用して中国による洗脳(思想改造)についても言及しているのだが、そこでは「洗脳が長期に持続する効果をもったケースはほとんどないという」(194ページ)とも指摘されている。洗脳には人格に強い圧力をかけるための環境コントロールが不可欠だが、そうした環境から解放され日常に戻れば「改造された人格」はたちまち揺らぎ始めるからだ。元収容者たちが帰国してから半世紀もの時間が経っている。仮に中帰連のような組織が一種の同調圧力により「改造された人格」を維持させることに寄与しえたと考えたとしても、彼らの日常は逆に戦争犯罪の証言の撤回を歓迎する保守的な日本社会の中で営まれていたのである。彼らの自白が虚偽自白であったとしたら、自由を回復して後半世紀もの間それを維持し続けるなどということは心理学的にほとんど考えがたいことである。それがほんの数人のことであればありそうもないことを可能にするイディオシンクラティックな事情の存在を疑うこともできようが、事実はそうではない。とすれば、彼らの自白はその細部――加害の規模や個々の事件での自分自身の関与の度合いなど――はともかくとして大筋としては事実に合致したものと考えるべきである。事実に即した自白が導かれている点が典型的な「洗脳(的取調べ)」とは決定的に異なる点であり、だからこそ半世紀にもわたって自白が揺るがないのである。

別に左派の研究者でなくとも、華北の日本軍の戦争犯罪についての元収容者たちの証言が事実無根のものでないことは認めていることも指摘しておこう。ちくま新書の『BC級戦犯』の著者田中宏巳氏は同書執筆当時防衛大の教授であったが、共産中国による戦犯裁判について「おそらく他の七カ国の中で最も厳格な証拠調べが行われ、完璧な論理の下に判決が下された裁判といえるであろう」と評している(159-160ページ)。また、元防衛大講師(現日文研教授)の戸部良一氏と「日中歴史共同研究」のメンバーである波多野澄雄氏が共編している『日中戦争の国際共同研究 2 日中戦争の軍事的展開』(慶応義塾大学出版会)に収録された山本昌弘氏の論文、「華北の対ゲリラ戦、1939-1945」でも「戦争期間を通じて日本軍は「殺光」と呼ぶに相応しい行為を折に触れてなしていたことは否定し難いであろう」(210ページ)、「その「三光作戦」が住民を脅し、住民から奪い、そして時には住民を殺す残虐なものであったことは疑いない」(212ページ)としている。


さて、上では細部はともかく大筋としては、と述べた。では細部についてはどうか? 『日本軍の治安戦』で笠原氏もある供述書について「日毎の行為が殺害人数や略奪した家畜の頭数などあまりに細かく書かれているのは、逆に気になるところである」(160ページ)としているように、自白の細部については直ちに事実として受け入れることは困難である。笠原氏はその供述書の主が戦闘詳報の記録を職務とする大隊副官であることを指摘し詳細な記憶があった可能性も示唆しているが、書きぶりからしてそれが決定的な説明になるとはやはり思っておられないようである。『中国侵略の証言者たち』によれば収容者同士で記憶をつきあわせたり、後には中国側の調査との突き合わせも行われたようである。こうした作業は正しい供述を引き出すこともあるが、相互に誘導しあって事実と異なる記憶を喚起してしまったり、誤った捜査結果にあわせた供述を導くこともあり得る。したがって供述の細部については直ちに事実と断じることなく評価することが必要だろう。

*1:と同時に、軍国主義的な教育からの脱洗脳であったと言うことができる側面もあったことは確かである。この注追記。

坂本真一坂本真一 2012/04/10 07:09  私は『帰ってきた戦犯たちの後半生ー中帰連の40年ー』の付録として掲載されていた戦犯抑留者の名簿(生死情報以は不正確のようだが、その他の項目はほぼ正確な名簿)をコピーして、書籍や映像や新聞記事(毎日新聞は2000年以降、10人以上の元戦犯の中帰連会員の方々を1000文字以上の記事にしていました)などで加害を証言されている方の名前を丸でかこってざっと数えてみました。その結果、どう多めに見積もっても1062人中300人を超えなかっただったと思います。
 
・偽満州国の行政及司法官僚(古海忠之氏や斎藤美夫氏、少なくとも一万人以上の人間を弾圧した)
・偽満州国警察官僚役人(岩崎顕吉氏、水攻め拷問や処刑で20人以上を死に追いこんだ)
・偽満州国憲兵官僚役人(三尾豊氏、「特移扱」された息子のいる中国人を731部隊への輸送を行った や 土屋芳雄氏、1000人以上を逮捕拷問殺害した)
・特務機関員(永富博道氏、中国全土で200人以上の中国の人々を殺害拷問)
・偽満州国軍軍人(八木春雄氏、五一五事件に参加 や 大槻市郎氏、NHKの番組で強制連行された中国人の遺骨収集をしている姿が収録されている)
・関東軍軍人(小島隆男氏、敗戦時には情報部付、堤防を破壊し100人以上を死に追いやった)
・第39師団及第59師団所属の陸軍軍人(藤田茂氏らたくさんの方々、生身の人間を木に縛り付けて刺突させ殺人鬼をおそらく一千人以上生み出した)
・山西省残留に巻き込まれた軍人(金子伝氏、「蟻の兵隊」にも登場されているhttp://www.labornetjp.org/Column/20060911kinosita や 住岡義一氏、220人の中国人捕虜の刺突を指示及実演/名前を伏せていますがCiNii収録の『田村泰次郎研究(2)山西省戦犯の手記から』に収録されている手記の作者と推定される)
・軍政官僚(城野宏氏、山西省に立てこもりその閻錫山支配下の苛烈な政策に参加していたときに野犬が捨てられている赤ん坊を食い裂いているのを見たらしい)
・作家(平野零児氏、いいかげんな自分だったことを収容されてから初めて発見できたと日本帰国後に著作に書いた、「洗魂はしなかった」という手記がある)
・情報収集にかりだされた画家(島亜壇氏、死体があっても平気で飯を食えるようになってしまった)
・軍医(湯浅謙氏、6度で計10人の中国人の生体解剖を行う)
・731部隊隊員(篠塚良雄氏、ペストに感染した同郷の同僚すら1人だけだが生体解剖した)
・軍政下企業の社員(佐藤栄作氏、子どもが電流鉄条網にかかって死んだ、後に詩人となる)


……………

 いろいろな人の名前がありました。親もあり兄弟姉妹もあり友人もある人たちです。敗戦時にはすでに婚約者や子どもを持っておられた方も多数おられました。どんな顔で自分の子どもと接していたのでしょうか。私には想像ができません。
 朝日新聞が1956年6月7月8月に出した1017名の帰還者と有罪判決を受けた45名の名簿と照合して確認しました。戦犯たちが帰国した1956年〜1964年の朝日新聞には、「総ザンゲ」「洗脳された」などと書かれている記事がいくつもあり(則松夢吉という方が具体的な犯罪行為を告白しているものもある!)、前にいくつかメモに書きとめた記事内容を今改めて読み直してみて、「どこに目をつけているんだ!なんで話を聞いてやらないんだ!」と頭に血が上るのを抑えられませんでした。私は朝日新聞が「サヨクで中国共産党の手先」などというのはとんでもないデタラメだと思わずにいられません。
 2005年〜2008年の毎日新聞の地方版のある記事では第39師団所属の元戦犯(帯?強一氏、正確な名前が思い出せない)が帰国後50年以上経て初めて中帰連の仲間たち8人の前で、中国人に「生木(ずいぶん重いものらしい)」を運ばせたことを言うことができた、といっていました。それを聞いて、私はその方を批判できないなと深い感慨とともに思いました。毎日新聞の他のある特集記事では反体制画家の木下菊二氏や恩給拒否の尾下大造氏、その他戦争で精神に受けた傷をずっと抱き続けた方のことが紹介されていました。中には日本に帰ってから酒に溺れ、「俺は(ひどいことを)やってないぞ!」「(戦場で見てきたことを)必ず書くぞ!」と言いながらとうとう書かずじまいで死んでしまった方のことも書かれていました(写真家の大賀和男氏の父親だということです)。
 
 ……興奮して勢いにまかせて書いてしまいました。でもどこかで書いておかないといけないと思い、失礼を承知でここにコメントさせていただきます。
 Apemanさん、申し訳ありませんでした。

ApemanApeman 2012/04/10 08:48 >その結果、どう多めに見積もっても1062人中300人を超えなかっただったと思います。

大変な手間をおかけになりましたね。しかし、この比率はむしろ非常に高いと評価すべきでしょう。それ以外の将兵のほとんどが口を閉ざしてきたことを考えれば。戦犯管理所では克明な「自白」をしていながら、帰国後はあっさり否認した人物もいます。
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20080304/p1
(エントリの末尾)

>どんな顔で自分の子どもと接していたのでしょうか。私には想像ができません。

私の知る限りではきちんとした調査研究がないので断片的なエピソードでしか知りませんが、家族への暴力の原因が戦争による心の傷ではないかと思われる事例はありますね。日本軍の捕虜になった連合国将兵にも、虐待の経験が戦後の家族との関係に影を落としているケースがあるとのことです(とある研究者から伺ったはなし)。
他方、よく言われるように「家庭ではよき夫、よき父だった」ことも多いのでしょう。むしろそこにこそ戦争の本質が現れているのだと思いますが。

>その他戦争で精神に受けた傷をずっと抱き続けた方のことが紹介されていました。

この問題はあまりにも戦後の日本で軽視されてきましたね。私自身も、なぜもっと早く問題意識を持てなかったか、と悔やんでいます。戦争に駆り出した国家としての責任であるのはもとより、加害の事実を広く社会が共有するためにも、です。

坂本真一坂本真一 2012/04/10 10:44 Apemanさん

 コメントしていただき、本当にありがとうございます。100点以上の資料を調べた甲斐があったと肩の荷が下りました。
 生涯に1度だけ発行部数1万部以下のミニコミめいた雑誌に手記を公開しただけの方、悍ましい体験を書いた手記を戦犯管理所で書けても日本に帰って人前で発表できなかくて黙りこくったり所在不明になった方もおられたそうです。金子安次氏や鈴木良雄氏のように講演で他人には自分の行為を言えても家族には言えないという方もおります。
 追記ですが、上で「生木」を強制的に中国人に運ばせていた元戦犯の方の名前は帯刀(タテワキ)強一さん(山陰中帰連会員8人ではなく7人の前で、まくしたてるように証言したそうです)、お酒におぼれながらとうとう悍ましい体験を書けずに死んでしまった方の名前は大賀龍太郎さんです。息子さんの大賀和男氏は「日本軍は中国でなにをしたか」という写真集を出版なさっています。後で資料を自分のブログでもっとくわしく該当記事を紹介しようと思います。

……自分はあるきっかけ(詳しくは言えません)から、中帰連の方の体験を本当に理解できているのか疑問に思い始め、「認罪」から「認事(ある極端な事件を本当に理解するように自分を訓練する)」を自分なりにずっとし続け、このごろやっと彼ら1062人のたどってきた《煉獄の道》を理解する《入口》に立てたんだと思うようになりました。だいたい1年近くかかったと思います。私にとっては並大抵ではありませんでした。


>http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20080304/p1
>飯守重任氏

 CINIIで検索しましたら、いくつかの雑誌で右寄り発言をしていたようです。
 ほかにも古海忠之氏、城野宏氏、鈴木啓久氏、榊原秀夫氏など内心の動揺がうかがわれる方もおられます。私は理系に属しておりますゆえ、731部隊の幹部であった榊原秀夫氏には関心をもっておりました。いくつかの文献によると管理所時代には熱心に「担白」しながら、日本に帰ってからある時から「「担白」は本意ではなかった」と言い出して他の会員から中帰連から脱会させられ、その後ずっと「担白」したことを人前で証言することも翻すこともせず、東京で黙ったまま亡くなられたそうです。ある番組で彼を訪ねたところ、最初「昼寝だ」といってスタッフを追い返そうとし、最後には外に出てスタッフを振り切るように逃げて行ったのを見て、何ともいいようのない感情にとらわれました(その番組ではその後に元731部隊少年隊隊員で731部隊関連裁判でも公式に証言をした篠塚良雄氏が管理所で書いた手記を手にし、「自分の証言活動は認罪の続きだ」という意味のことを言っておられました)。管理所で書いた手記は非常に熱いもので、洗脳扱いするのがためらわれました。731部隊凍傷研究班班長時には卑怯にも命令するだけで山と《データ》を手に入れ、日本帰国後生きている間名誉も地位もすべて得て(最後には教え子に地位を追われたそうですが)、自分の責任を回避し続けあまつさえ残酷な生体実験の責任を部下になすりつける発言を続けた《極悪卑劣な医師(あえてこう書きます)》吉村寿人よりははるかにましだと思いましたが。
 その一方で藤田茂氏、住岡義一氏、永富博道氏、上坪鉄一氏、杉原一策氏、斎藤美夫氏・溝口嘉夫氏らどう考えても上官クラスの人間が内心揺れつつも「認罪」の証言を残したことに驚かざるをえません。人間の不思議を思わずにおれません。世界にも絶無ではないまでも数少ないできごとでしょう(私はこの撫順とで起こったことは「奇跡」という言葉でも言い表せない、だから私は「重大事」と言うようにしています。)

坂本真一坂本真一 2012/04/10 11:02 長々と書きましたがこれで最後にします。

Apemanさんへ

上級クラスの戦犯45人のうち何人か(行政司法関係者の古海忠之氏や横山光彦氏、中井久二氏、杉原一作氏ら)は「官報」にも「叙勲」や「弁護士登録」などの欄に名前が載っておりました。
 その中で私と住んでいるところが近い(大分県出身)岐部与平(1895年生)という方がおります。管理所時代の写真ではちょび髭のがっしりしたいかめしい顔の人です。彼は「偽」満州国で何をしたのでしょうか?
 彼は1959年に日本に帰国後、生まれ故郷の大分県東国東郡国東町長になり、いくつかの政府委員会の委員を経て1990年以前に亡くなられたそうです。その行為については資料がないですが、10年20年後でもいつか彼の足跡をたどってみたいと思いっています。

参考:「google books」の「岐部与平」での検索結果

dempaxdempax 2014/07/06 15:52 反体制画家の木下菊二<<徳島県出身の山下菊二ですか? (同郷の者より)

通り通り 2014/09/05 12:45 お気を悪くさせて申し訳ない。

ApemanApeman 2014/09/05 13:34 「気を悪く」なんてしてないぞ。ネトウヨは相変わらず無知だなぁ、と感心してたんだよ。さあ誤摩化さずに答えてみろ、朝鮮戦争で米兵を「洗脳」したとされるのは誰だ?

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