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【大相撲】

さよなら千代の富士 お別れの会に5000人

2016年10月2日 紙面から

多くのファンが献花に訪れた「第58代横綱千代の富士お別れ会」=東京・両国国技館で(中西祥子撮影)

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 大相撲の第58代横綱千代の富士として歴代3位の優勝31回、歴代2位の通算1045勝など多くの記録を残し、7月31日に膵臓(すいぞう)がんのため61歳で亡くなった先代九重親方(本名秋元貢)の「お別れの会」が1日、東京・両国国技館で営まれた。

 本紙評論家の北の富士勝昭さん(74)、歌手の松山千春(60)、タレントの近藤真彦(52)、女優の栄倉奈々(28)ら関係者約1500人のほか、一般献花の列も後を絶たず、合わせて約5000人が別れを惜しんだ。

 同じ北海道出身で、同じ昭和30年生まれの松山さんは「もう1回立ち上がってくれよ。もう1回あの勇姿をおれたちに見せてくれよ。貢、おまえはおれたちにとって、すべてが誇りです」と呼びかけ、「千代の富士に書いた曲です」。テレビドラマ「千代の富士物語」のために作詞作曲した「燃える涙」を熱唱した。

 午前中の招待者だけでも全国から約1500人が集まった。午後1時からの一般献花の列は2時間以上たっても途切れず、午後3時30分までに約3500人。献花後も館内の大型モニターに流れる現役時代の映像を、ます席に座ってじっと見つめる人も多くいた。

 遺族代表として久美子夫人があいさつをした。

 「生前から親方は最後は国技館でと申しておりました。大変喜んでいると思います。1月末に転移が見つかり、このときばかりはショックを受けておりましたが、持ち前の負けん気で、がんをやっつけるだけだと前向きに治療に専念しておりました。口は荒っぽいですが、いつも相手を思い、心配りはまめな人でした」

 2005年6月に行われた元大関貴ノ花の協会葬では、一般弔問者を含め過去最多の4800人が訪問。この日は、協会葬ではないにもかかわらず、それを上回る5000人が最後の別れを惜しんでいた。 (岸本隆)

 

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