短期集中連載 昼めしで半生反省 第6回 長谷川豊「フジテレビを辞めてマグロ漁船に乗るつもりでした」
2015.03.29
潔白であることだけは知ってほしかった
14年間勤めて、退職金は131万円
「同僚に『いの瀬』に連れてきてもらったとき、思わず『これは凄い』と唸(うな)りました。とにかくネタが新鮮で仕事もきめ細やか。シメサバなんて、トロ以上に溶けるのが不思議でならない。そして、なんといっても、大将と女将さんのあったかい人柄が素晴らしくて」
アナウンサーの長谷川豊(39)が絶賛するのは五反田の知る人ぞ知る寿司店『いの瀬』。実際、ランチや家族での夕食のほか、フジテレビを去る際の送別会など、節目となる大切なイベントはすべて、ここで開催しているという。
奈良県に生まれた長谷川は、全国有数の進学校である中高一貫校の京都の洛星中に入学。全国模試で50番以下になったことがない秀才だったが、中学卒業を前にせっかく入った洛星の退学を決意する。
「高校では3年間のカリキュラムを最初の2年で終え、最後の1年は受験用の勉強をするという超進学校。でも疑問がわいた。『社会に出て微分積分の計算式が役にたつか?』『このまま、ここにいたら大切な何かを失いそうだ』と漠然と感じて不安になったんです」
担任が説得に来たが、聞き入れなかった。長谷川は全寮制の日生学園第一高(三重)に進学。「将来に役立つことをやろう」と課外活動に精を出した。
国民文化祭朗読部門で全国1位、弁論大会では全国3位に輝き、学内で立ち上げた劇団は中部大会出場、合唱団は県大会出場と、まさに八面六臂(はちめんろっぴ)の大活躍。そして、一芸入試で立命館大に入学する。
「大学でも劇団を旗揚げしました。脚本を書き、演出をし、舞台監督も務めた。この裏方業務が後に活(い)きましたね」
バイタリティの塊のような長谷川は就職戦線でも引く手あまた。最初に内定が出たフジテレビへの入社を決める。
入社2年目には、朝の人気ワイドショー『とくダネ!』のリポーターを任され、忙しい毎日が始まった。朝5時半に出社して8時からナマ放送のオンエア。その後、取材に出かける。帰社するのは深夜0時近く。そこから翌日の打ち合わせ、オンエアの予習をしてベッドに入るのが2時や3時というのはザラだった。
「こんな日々が月〜金と続いて、土日は競馬の実況です(笑)。訪ねた現場は10年間で1760ヵ所。仮眠を含めて睡眠時間が11時間しかない週もありました」
充実とも過酷ともつかぬアナウンサー生活に転機が訪れたのは’10年。ニューヨーク赴任が決まったのだ。
実際は後輩アナが赴任を命じられていたのだが、家庭の事情でNY行きが厳しいことを長谷川は知っていた。「前任者の帰国日は変えられない」「どうする?」と紛糾する中、長谷川が手を挙げた。
「そんな状況だったので赴任まで1ヵ月半しか猶予がない。自宅を貸し出し、車を売り、NYで家族用の住まいを探すにはとてもじゃないけど時間が足りない」
悲劇は続く。当時、長谷川とやりとりしていた労務担当が東日本大震災の発生で急遽(きゅうきょ)、報道局へ異動。震災のドタバタの中、満足な引き継ぎがなされず、長谷川はNY赴任時に会社から渡された仮払金の横領を疑われてしまう。
「迷惑をかけている以上、何より先に謝らなければいけなかった。でも、新しい労務担当から『横領しただろ』と言われて、『そんなことするわけないだろ!』と僕は怒ってしまった。その態度が労務担当は気に食わなかったみたいで……」
前労務担当と交わしたメールなど、潔白を証明する証拠を提出したが、そのメールなどはすべて無視された。長谷川を守る立場のフジテレビ労働組合には一切知らされず、反論の機会も与えられぬまま、秘密裏に処分されてしまったという。
それでも長谷川は、「一部の人間が暴走しているだけ。フジに恨みはない」と訴訟を見送った。’13年4月に退社。14年間勤めて退職金はわずか131万円だった。
「辞めてから3ヵ月間の収入は10万円。妻には『マグロ漁船に乗れ』と言われました(笑)。子供たちには不安な思いをさせたと思います。けど、不思議とネガティブな感情はなかった」
退社後、長谷川は「潔白であることだけは多くの人に知ってほしい」と期間限定でブログを開設。これが話題となり、道が開けた。
「事情説明の場を設けよう」と講演会を開催すると400席あるチケットは即日完売。ほどなくしてTOKYO MXの代理MCの話が舞い込み、テレビ復帰を果たす。現在は『バラいろダンディ』(TOKYO MX)で帯のメインMCを務めるほか、3月末にはテレビ大阪の報道番組キャスターに就任した。
「自分のアナウンスメント技術には自信を持っていましたし、絶対負けないと自分を信じていました。5月17日には、歴史的な大阪都構想の住民投票があります。激動の大阪をニュースキャスターとして伝えられるのは最高に幸せ。何より家族とまた『いの瀬』に来られるようになったことが、この上ない喜びです」
取材・文/細田マサシ 撮影/鬼怒川 毅