できないヤツを助けていると人間関係で失敗する

発売1週間で大増刷と売れ行き絶好調の書籍『ウシジマくんvs. ホリエモン 人生はカネじゃない!』。著者の堀江貴文さんが『闇金ウシジマくん』の名シーンを厳選紹介しながら、その意味を説いています。
番外編では、同書の4つの主テーマに合わせ、それぞれの悩みを“たった1分”で解決してくれる名シーンを紹介いたします。3つ目のテーマは「人間関係」。あの国民的人気マンガの価値観にも疑問を呈しています。

成果を出すための工夫をしないヤツはスルー

 私にはビジネスやプライベートで、多くの仲間がいる。家族と同じぐらい信頼している仲間もいる。でもウシジマのように、いざというとき身を挺してまで仲間を救うかどうかと聞かれれば、答えに窮する。正直なところ相手と状況による。

弄んだ女の彼氏にボコボコにされた遊び人に対して、ウシジマは「敵を作れないのは善人ぶって自分に嘘を付く弱い人間だ。自分の本心に向き合っている分マシだ」と言い放つ。人間関係の真理を説く印象的なシーンだ。(『闇金ウシジマくん』トレンディーくん編は20巻21巻

 ウシジマのように、命にかかるような状況になることは想定できないが、仲間がピンチのときは一応、無視はしない。ドライなように見られがちだが、私を知る人たちは私のことを「面倒見がいい」と言ってくる。たしかに金銭面でも人脈面でも、勝手に向こうがものすごく助かって、ありがたがってくれるパターンは少なくない。

 しかし、「仲間だから」という理由だけで、無条件に他人を助けた記憶は、ほとんどない。困っている仲間がいたら、私にできることで最低限のサポートはしてあげるけど、別に見返りは求めないし、後はご自由にどうぞというスタンスだ。

 はっきりと無視する、スルーを決めている例もある。
 10年以上前のことだ。中央競馬の馬主の繋がりで、工務店経営の男性と知り合いになった。彼が主宰する馬主クラブをつくりたいというので、協力したこともある。知り合いの仲はしばらく続いていたが、ライブドア事件の前後で、ぷっつり関係は途切れてしまった。それから音信不通が何年か続いた。

 つい最近、急に彼の方から連絡があった。病気で仕事ができず、事業が傾いて苦しい、助けてくれという。でもよくよく話を聞いてみると、病気というより、彼自身のまずい経営が困窮の原因のようだった。
 そういうのは、スルーさせてもらう。単純に「面倒くせっ」と思うからだ。

 また、数年前に仕事で若い舞台役者と知り合った。自分たちで劇団を立ち上げるので、最初の公演を私に支援してほしいという。資金面や運営など、いろいろと手伝ってあげた。でも公演は、約100万円の赤字が出てしまった。そのカネはいまだに回収できていない。

 100万円ぐらいのカネをきちんと回収できないようじゃ、ビジネスとしてはダメだよね? と指摘したのだが、役者の彼はピンときてなかった。まあ、しょうがないか……と思っていたら。また次の公演をやりたいと、再び支援を頼んできた。

 今回は、完全にスルーした。100万円を回収できない実力で公演を続けても、先はない。役者の彼が全体を仕切っている限り、次はきっと100万円以上の赤字が出る。そういうだらしないビジネスを手助けする温情は持っていない。

 自分で工夫や努力をしなかったり、出すべき成果を出せていなかったりするヤツの「助けてください」は無視する。たとえ昔の馴染みの人が相手でも同様だ。 顔見知りでも、切るときはあっさりと切らなければいけない。
 羽振りのいいときは調子良くて、景気が悪いと途端にすがってくるようなヤツは大嫌いだ。もしくは、できないと決めつけて、何の工夫もしないヤツが大嫌いなのだ。

 仮に、本当に能力が低くても構わない。でも、その能力で最大限できること、最低限の利益を自分にも周りにも還元できる工夫をしている人を、私は評価したい。長年、私の周りで成功し続けている知り合いは、そういう人たちばかりだ。

仲間を無条件に救う『ワンピース』の価値観は危ない

 私は『ワンピース』の価値観が理解できない。主人公のルフィが海賊王を目指すストーリーは、よくできている。だが仲間との共闘、一体感が何よりの宝物だという価値観は、まったく受け入れられない。

 あの物語は、ひとつなぎの大秘宝(ワンピース)を探すことが目的だったはず。なのに、いつの間にか麦わらの一味9人と、力を合わせて戦う旅そのものが、目的に変わっている。もっと言うなら、人は人のために生きていくことが素晴らしいというメッセージの刷りこみが、目的になっている。 読む側のそういうリクエストもあるからだろうが……。

 現実でも、『ワンピース』的な価値観を是とする人たちは、仲間だからという理由だけで、周りの足を引っ張ったり迷惑ばかりかけたりしているヤツを、助けようと奮闘する。助ける行為そのものに陶酔している気すらする。しかも、それが善であるように説く。

 人は、人のために生きているのではない。人のために尽くすことで、能力が増幅することはあるだろうが、それが目的になった途端、「自己犠牲」とか「共倒れ」が、美しいものに変わる。
 人は常に、自分のやりたいことのために生きるべきだ。

 何をしたいのか、どこに行きたいのか、何が好きなのか。
 自分自身に深く問い続け、そのために必要な実践を大胆に繰り返していくことで、人生は真に豊かになっていくと、私は考えている。

 その過程で仲間や周りが幸せになるのは勝手だが、犠牲になってでも、仲間に尽くすというのは、真理ではない。相手に尽くすことはビジネスでは重要だと思っているが、なれ合いとは違う。なれ合うために与えるのではなく、目的を持った者同士が目的を達成するために与え合うのだ。

 誰かに寄りかかるのではなく、自分の足できちんと立つこと。自分の足で立っている者同士が、目的のためにつながる。そんなウェットではない、ドライな関係が私には心地いい。

シェアすべきは苦しみではなく、喜びや感動

 かつて起業したての頃は、一部の部下からベタベタした関係を求められた。『ワンピース』的な、疑似家族のような絆が欲しかったのだろう。私を父親であるかのように勘違いして、すがってきた。たいへん鬱陶しかった。その部下たちは絆というより、誰かが都合良く助けてくれる、居心地のいい逃げ場が欲しかっただけだろう。

 私は自分のやりたいことを実現するために、必死に働いていたのだから、こういう価値観に合わせるつもりはなかった。そもそも私が『ワンピース』的な経営などしても失敗するだろう。

 困ったときは周りに相談し、助けを求めてもいい。だが寄りかかってばかりの人は、自分が一方的に受け取ろうとして、自分からは何も相手に与えようとしない人が目立つ。先に述べた元工務店経営の男性や、若い舞台役者はそんな感じだった。「苦しいから助けてください」の一方通行。そうやって他人に寄りかかるだけの人を、私は冷徹に突き放す。

 その場だけ一時的に助けても、解決にはならない。なぜカネに困っているのか、なぜ苦しいのか、根本的な解決方法は何なのか。自分でそれらの問いの回答を見つけてもらわないと意味がないのだ。仲間の助けは、自立するプロセスの邪魔になるケースだってある。

 突き放すのは、優しさでもあると考えている。
 自立している人が目的のためにパートナーシップを組んで、お互いのために尽くす。これが理想だというスタンスで、私は一貫している。『ワンピース』の世界観は、自分から動こうとしない人や、相手に尽くそうとせず、ただ受け取りたいだけの怠け者まで、「仲間だったら助ける」というものだ。

 そういう世界観に支配され、何の抵抗もないどころか賛同している人たちに批判されたり嫌われたりしても、少しも私は構わない。
 勘違いされてはいけないが、仲間はぜんぶ見捨てろと言っているわけではない。

 できないヤツを引っ張り上げて、できないところに目をつぶり、できないヤツの負の部分を「仲間だから」という理由で引き受けるのは、おかしいと言いたいのだ。
 苦境にある仲間を無条件で救いだすよりも先に、自分で解決する示唆を与えたり、あえて厳しく接したりすることも、仲間の大事な役目だ。

 シェアすべきは、苦しみではない。喜びや感動、自己の成長をシェアするのが、本当の仲間ではないか。

【発売1週間で大増刷! 売り切れ店続出中!】裏社会の最恐経営者と希代の実業家が大激突!

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人生が最短で上向く『闇金ウシジマくん』名シーン

堀江貴文

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コメント

yassan_0212 うんうん https://t.co/LbodaSYRXK 8分前 replyretweetfavorite

hosplug_hosoi 身に染みてわかる。 | 8分前 replyretweetfavorite

hagaru_yuki 上手くいかなくても諦めず自力で工夫し続けていくことはどうしても必要だよね(自分への戒め記事なような気がした)。 自堕落に他人に縋りまくってるひとは私でも距離置かせてもらうわ… https://t.co/CXTF3jtEzb 10分前 replyretweetfavorite

tdkdx ウシジマくん、読んでみたいな。 12分前 replyretweetfavorite