私が、ブログで夫婦で家事を「シェア」することについてまとめるようになって2年が経とうとしています。はてなブログへの移行したことで、消えてしまった過去記事をもとに、私がなぜ家事を「手伝う」のではなく、「覚える」ことにしたのかについて、あらためて振り返ってみました。
目次
【はじめに】2014年夏に勃発した「家事ハラ」炎上騒動 。
発火元は「妻の家事ハラ」実態調査結果の発表とCM
2014年7月に、旭化成ホームズ株式会社が発表した「妻の家事ハラ」実態調査結果が、女性を中心に大炎上した出来事はご存知でしょうか?
「家事ハラ(家事ハラスメント)」とは、家事に協力的な夫に対し、妻からダメ出しが入ることで夫が受ける精神的苦痛のことで、同調査結果では、30~40代の子育て中・共稼ぎ世帯における夫の家事参加率は9割を超え、夫の7割が妻から「家事ハラ」を受けたことがある、と発表しています。そして、同社は「妻の何気ない一言が、夫の家事参加をさまたげている。」というキャッチコピーで、戸建注文住宅のプロモーションを展開していきました。
洗濯をする夫に「あなたがたたむとヘンな跡がつくの」と妻
食器を洗う夫に「お皿洗いありがとう。一応もう一度洗っておくね」と妻
料理をする夫に「かくし味とかいらないからね。」と妻
掃除をする夫に「ずいぶん時間がかかるのね。」と妻
家事で失敗する夫に「いいのよ、頼んだ私のミスだから。」と妻
こうした妻からの痛烈なダメ出しに、やる気をなくす夫。もう一度、家事のありかたを夫婦で見直すために、新しい住宅を手に入れませんか?的なCMを展開していきました。この調査結果とCMの内容*1が火種となって、「家事ハラ」炎上騒動が勃発しました。
女性側の反論。元祖「家事ハラ」
「家事ハラ」を巡る炎上騒動が、広がりを見せた背景。それは、「妻が夫の家事についてダメ出しをする」という行為そのものではなく*2、このアンケートが「共稼ぎ世帯であっても、家事は妻がする仕事である」という前提から成り立っていることだと思われます。
「家事ハラ」という言葉も悪かった。家事は妻の仕事であるということが、社会全体で認知されていることで、(共働きの)妻が精神的・肉体的な苦痛を強いられている現状を「家事労働ハラスメント」と定義した竹信三恵子さんが、旭化成ホームズの「家事ハラ」という言葉に反発。正反対の意味を持つ「家事ハラ」という言葉も炎上の争点となりました。
家事労働ハラスメント――生きづらさの根にあるもの (岩波新書)
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こうした騒動の中。わが家では、同様の戦いを繰り広げたあとで、一定の結論に達しようとしていた最中でした。というわけで、当時のブログ記事で振り返ってみることにします。
娘の誕生を機に、育児参加と家事協力を決意したものの。
私が育児と家事へ本格的に参加するようになったのは、はじめて父親になったとき、つまり娘が生まれた5年前からです。新しい命の誕生の瞬間に立ち会い、あらためて「家族のために頑張るぞ!」と意気込んでいたわけなのですが、そんな思いとは裏腹に、その後意外な現実が待ち受けていました。
4コマ漫画:育児を手伝うことの落とし穴。
1人目の子どもが誕生して、はじめての育児を経験する夫婦にとって、夫の協力は当然のことで、どんなことをしてくれても妻にとっては有難く、また夫にとっても達成感ややりがいを感じることのはずです。
しかし、わが家では時間経過とともに、妻から家事や育児のやり方に対して注文がつくようになりました。私の雑な家事を、見過ごすことができなかったからです。
「言われたことしかしてくれないの?」「何度言ったらできるようになるの?」「これなら自分でした方がよかった」なんて言われ続け、私はいつの間にか妻のお願いをしぶしぶ手伝うようになりました。
それからは、家事や育児について夫婦喧嘩が絶えなかったことは容易に想像つくことでしょう。
育児参加と家事協力というスタンスが間違いだった。
当時のことを振り返ってみると、「育児に参加し、家事を協力することがカッコいい」という私のスタンスがダメだったように感じます。正確に言えば、最初はそれでいいかもしれない。でも、徐々に考え方を変えていく必要があったのかなと。
じゃあ、どうすればよかったのか?
これについては、夫婦それぞれの実情で家庭ごとに微妙に違ってくるはずなので、一般論としてここでお話はできませんが、私にとっては妻の家事のノウハウを覚えることに行き着いたのです。
「夫にしかできないこと」に気づかされた、妻のひと言。
妻からのダメ出しへの反発から一転、なぜ家事を覚えようと思ったのか。
それは、ある日の喧嘩がきっかけでした。
4コマ漫画:夫にしかできないこと。
「そこまでしなくてもいいから」という私の言葉。
もちろん、夫婦間の実情や信頼関係(笑)によって受け止め方は違いますが、わが家では、口論のきっかけになっていました。それは、私がイヤイヤ家事と育児に参加していたことを、妻に見透かされていたからです。
図解:家事・育児の考え方のギャップ
ここで、当時の口論の内容を思い出しながら、私と妻の「家事と育児の考え方のギャップ」についてまとめてみました。
まとめてみてまず思ったこと。1日の仕事が終わり、家路につく途中で、私はスイッチをオフにしていました。娘が生まれて、イクメン・家事ダン宣言したものの、なんだかんだ言って家事は妻の仕事と思っていたのです。
一方で妻の方は、朝から家事と育児に追われ、時間が足りません。でも、可能な限り家事に手は抜きたくない。そこに、戻ってきた私が中途半端に手伝う。しまいには「手を抜け」と言われるわけですから、「バカにしないで、まじめにやってよ」ということになるのです。
家のことは夫婦でシェアするという考え方。
夫婦喧嘩で妻が放ったひと言が、妻が求める自分の役割に気付くきっかけとなりました。仕事に例えられたのがよかったのかもしれません。しかし、家のことは夫婦でシェアすると自分の中でストンと落ちたものの、具体的にどうしたらいいのかを考え、すぐに行動するまでには至りませんでした。
結局、娘が生まれてから1年半は、大きな変化はありませんでしたが、それから間もなくして、私が家事を覚えようと行動を移す転機となった出来事が「発生」するのでした。
【まとめ】どちらの「家事ハラ」も潜んでいたという罠
妻から家事のダメ出しを受けて、意気消沈する夫と、家事と育児を一手に引き受けなくてはならないことに苦悩する妻。わが家には、最初に説明した相反する2つの「家事ハラ」が両方とも潜んでいたわけです。そして、相手に認めてほしいという気持ちから来る不満もあいまって、家事育児について夫婦間で争いが絶えなかったのではないかと思っています。
私の妻は、専業主婦ですので、もし2年前の「家事ハラ」炎上騒動が、子育て中・共稼ぎ夫婦だけを対象としたものであるのであれば、わが家は対象外となります。しかし、対象外かもしれないわが家でも同じ問題が発生していたことは、今思うととても興味深く、こりゃ世の中でもかなり根深い問題だなと感じるのです。
最初に記事を公開した当初、大きな反響を呼んだ「家事・育児の考え方のギャップ」の図、これを描いてみて思ったのは、私(夫)は仕事と家庭で気持ちを切り替えることができる。一方、専業主婦である妻は、1日の仕事に終わりとか切り替えるタイミングとかは存在しなかった。子どもたちが寝るまで*3、ノンストップで働き続けているのです。
だからこそ、私は帰宅したタイミングで家事の手伝いに入るのではなく、状況によっては家事を妻にとって代わることもあるのだという意識を持つようになりました。
それゆえに、父さんは家事を覚えてがんばるのです。
「ロングリリーフ」のタイミングは、カレンダーで把握します。
「リリーフのためにマウンドに立つ」と以前に言及していただいた、はてこさん(id:kutabirehateko)の言葉が、とても気に入っています。