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作曲:大友良英さん
音楽家。ノイズミュージックやフリージャズの分野で作品を発表、世界中でライブをやりつつ、映画やテレビの音楽も多数作曲。
「すっぴん!」11時台前半の「MUSIC SCRAP」のミュージックセレクターとして出演中!!
「すっぴん!」は朝の番組なので、元気のいい曲をと思って作りました。「あまちゃん」をやっていた大友良英スペシャルビッグバンドのメンバーたちに来てもらいまして、わいわいと録音しました。 ラジオの幕開けになるような感じで、スカーンといければいいなという感じで作ったのがこの曲であります。
劇作家・演出家・作家。早稲田大学 教授。1956年 静岡県生まれ。
80年代半ば、竹中直人、いとうせいこうらとともに、「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」を開始。その作・演出をすべて手がける。90年、作品ごとに俳優を集めて上演するスタイルの劇団「遊園地再生事業団」の活動を開始し、『ヒネミ』(92年)で、第37回岸田國士戯曲賞受賞。
主な著書に『時間のかかる読書』(2010年伊藤整賞受賞)『NHKニッポン戦後サブカルチャー史』『東京大学「80年代地下文化論」講義 決定版』などがある。
ファッションモデル、タレント。1987年アメリカ・マイアミ州生まれ。
父はハリウッドで活躍する俳優、母は日本人の元モデルという家庭で幼少期を過ごし、5歳で来日。
10代後半よりモデル・俳優として活動を開始し、現在はバラエティ番組を中心に活躍。
2014年に結婚、現在は中学1年の男の子、1歳と0歳の女の子の3児の父親として育児にも奮闘。
1962年 東京生まれ。 <佐野ブランド大使・とちぎ未来大使>
1986年、伝説のロックバンド「RED WARRIORS」のボーカルとしてメジャーデビュー。人気絶頂期の1989年、わずか3年の活動で日本武道館公演を最後に解散。その後、「ダイアモンド☆ユカイ」として、ソロ活動を開始する。
現在は音楽活動を中心に舞台・映画・バラエティー番組に出演するなど幅広く活動する。私生活では47歳にして初めてパパになる。2011年に自身の不妊治療と夫婦の愛と葛藤の日々をつづった『タネナシ。』を発刊し大きな反響を呼んだ。同年11月には双子の男の子も誕生し、現在1女2男の父親。本年デビュー30周年を迎え、ミュージカル「ミス・サイゴン」(エンジニア役)にも挑戦する。
著書:『タネナシ。』(2011)、『育爺。』(2013)
CD:『Respect』(2012)、『RESPECT』(2013)、『ムクロジの木』(2014 NHKみんなのうた)、『ユカイなKidsソング』(2015)、『RespectIII』(2016)
1979年、京都府生まれ。
1999年10月に結成した、お笑いコンビ、麒麟のボケ担当。超低音のバリトンボイスの持ち主。趣味の幅が広く、イラストにゲーム、料理(自炊派)、銭湯巡り…などなど。NHKみんなのうた『ビーフストロガノフ』ではイラスト担当するほどの腕前。NHK上方漫才コンテスト(2003) 優秀賞、NHK新人演芸大賞(2004) 演芸部門 大賞、MBS新世代漫才アワード(2005) 優勝など。(よしもとの)劇場ほか、麒麟ライブ、川島明単独ライブなど積極的に活動中。
作家・明治学院大学教授。1951年 広島県生まれ。
81年に『さようなら、ギャングたち』でデビューし、1988年『優雅で感傷的な日本野球』で第1回三島由紀夫賞。2011年、東日本大震災のチャリティーAVを作ろうとする制作者たちを描いた『恋する原発』を発表し、大きな評判をよびました。2012年『さよならクリストファー・ロビン』で谷崎潤一郎賞受賞。
スタート当初は、毎日4時間の生放送でいっぱいいっぱいで、そんなに先のことなど思ってもみませんでした。「すっぴん!」はリスナーの‘あなた’と一緒に創る番組。ここまで番組が成長できたのも、みんな‘あなた’のおかげです! ありがとうございます。
メールで、FAXで、手紙で、ツイッターで、さらにはお電話で! 一度でも番組に参加したら、もうあなたも‘すっぴん!ファミリー!’。これからも、一緒にワイワイ楽しく、刺激的な番組を創っていきましょう! 目指せ10年目突入〜!
1969年8月23日生まれ。東京都出身。NHKアナウンサー。1993年入局。
趣味は、大好きなシングルモルトに合うおつまみ作り&レシピ研究。ことしは、特にたこ焼きにハマっています。家庭用の電気たこ焼き器から、プロパンガス使用の業務用機器に、一気にステップアップ! 冷めてもおいしい、見目にも麗しい、究極のレシピ目指して、日々研さんを積んでいます。
古伊万里はじめ器の収集や窯元巡りも趣味。ことしは、有田焼400年の記念の年ということもあり、有田を初来訪です。