【10月3日 AFP】アフリカ中部ガボンで最近実施された選挙を取材するため現地を訪れた際、大手国際報道機関に所属するカメラマンは私しかいなかった。

 皆に尋ねられる。なぜまた違うアフリカの国で、また選挙や政情不安を取材するのか? と。私はこう答える──取材せずにいられるだろうか? この場所でこそ今、アフリカの現代史が紡がれているのだ。アフリカの話、この大陸で起きている物語について語るなら、現場に足を運ばずに済ませるわけにはいかない。私は現地から伝え、この種の出来事を余すことなく網羅していることを誇りに思う。

 

選挙管理委員会に通じる道をふさぐ治安部隊の前で膝をつく野党支持者。(c)AFP/MARCO LONGARI

 

「単独」での選挙取材にはメリットとデメリットがある。競合する他メディアのスタッフがいない以上、取材面での競争は一切ない。ただ「競争」という言葉はどうしても好きになれない。「協力」という言葉を使う方が好きだ。

 このようなニュースを担当する場合、誰とも競争にはならない。クライアント向けにサービスを提供するのみだ。通常、カメラマン同士は協力し合う。情報や取材先、食事、タクシーをシェアする。日がな一緒にいて、このような環境に付いてまわる危険も共有する。協力すればより徹底的な取材ができ、全員にとってより安全になる。

 互いに意見を出し合うこともできる。「この話のこんな側面も見せるために、この地区へ行くのはどうだろう?」「いや、私の情報筋の話では、あっちは緊迫しているらしい。だがこっちに行けば、これこれのことが起きている」

 

機動隊との衝突後、けがをした仲間を助ける野党支持者たち。(c)AFP/MARCO LONGARI

 

 とりわけ選挙結果が発表された後に暴動が起きたガボンのようなケースでは、周りにサポートしてくれるネットワークがあるのは良いことだ。数が多いほど安全とも言えるだろうし、話のどの面を切り取るかについて正しい判断をしているという安心材料にもなる。

 独りだと、渦中に放り込まれると何もかもが自分の肩に掛かってくる。話のこの部分は網羅できているか、あの部分はしかるべく考慮したか確認する上で、仲間の目を当てにすることができない。自分の判断を、他者の判断に照らし合わせて二重にチェックすることができない。決定を下すのは自分だけで、責任は二重にのしかかる。

 

野党リーダー、ジャン・ピン氏の選挙本部入り口の銃弾の痕。(c)AFP/MARCO LONGARI

 

 もちろん、ガボンで完全に独りだったわけではない。大手報道機関のカメラマンはいなかったかもしれないが、テレビ局は入っていたし、他の現場で会って信頼できる人々も、他のジャーナリストらもいた。だから取材先や注意点は共有できたが、いつもと同じほどの安心感は得られなかった。

 

衝突で気を失った後、病院に搬送される拘束男性の親戚。(c)AFP/MARCO LONGARI

 

 単独取材のメリットは無論ある。例えば、自分のフレーム内に他のカメラやカメラマンが入らないよう心配する必要がない。おかしな話に聞こえるかもしれないが、同業者の一団と一緒に取材する際は、互いの撮影に写り込まないよう注意しなければならないのだ。

 そのストーリーを語る「声の主」になれるというのも気分が良い。誰からも干渉されず、思い通りにできる。重複して余ることなどないどころか、すべてを伝える必要がある。ただし繰り返すが、責任は大きい。そして、伝えるべきやり方で伝えなければならない。

 

テレビ局の中庭で黒焦げになった自分の車の前に立つ局長。このテレビ局は激戦となった選挙の結果が報じられた後、差し押さえられた。(c)AFP/MARCO LONGARI

 

 私はたまたまここにいるわけではない。AFPは意識して、可能な限り徹底的にアフリカを取材しようとしている。それはわれわれの強みの一つと言える。自己宣伝に聞こえるかもしれないが、アフリカのニュースを何一つ取りこぼさずに伝えるのだという絶え間ない努力の問題だ。全てが重要だ。全てがここの人々の暮らしに関わる。

 

選挙数日前、討論会へ向けて身だしなみを整えるガボンのアリ・ボンゴ・オンディンバ大統領。(c)AFP/MARCO LONGARI

 

 ガボンについては、取材に行くかどうか正直思案する余地すらなかった。ニュースを読めば、この国が今、岐路に立っているのは明らかだ。1人の大統領の在任期間が40年を超え、後任を選ぶ2009年の選挙も紛糾した。惨事が起こる要素がそろっていた。このような状況を知っていながら、背を向けるわけにはいかなかった。

 

機動隊との衝突後、地面に横たわる野党支持者。(c)AFP/MARCO LONGARI

 

 私はアフリカ大陸の47か国ほどを担当している。アラビア語圏を除く全諸国だ。よって常に取材対象の選択を迫られている。ガボンのような内情を見てしまうと、ノーとは言えない。現地へ赴く必要がある。私はアフリカを含めこういう状況の取材を何年も経験してきているので、自分で行こうとする。

 取材は対象国に入るずっと前から始まる。情勢や主要関係者らについて調べ、訪れる街のどの地点に行くべきか目星をつけ始める。ガボン訪問は今回が初めてだったため、入念に準備した。

 

野党支持者と機動隊の衝突の間、身を潜める女性。(c)AFP/MARCO LONGARI

 

 現地に到着するや否や、情報網の構築に取り掛かる。ありきたりに聞こえるかもしれないが、まずはタクシーの運転手からだ。真に「当たり」の運転手を確保することが肝要だ。「当たり」と「外れ」はどう見分けるか? そこで物を言うのが経験だ。おのおの自分の判断基準を持っているが、最終的には直感に頼ることになると思う。

 

選挙後に起きた野党支持者との衝突で駆け回るガボン兵士たち。(c)AFP/MARCO LONGARI

 

 そのニュースをどう伝えるかは経験と、状況を見極めるため培ってきた能力に加え、現地で十分な準備時間を持てるかどうかによって決まる。私は選挙1週間前には首都リーブルビル(Libreville)に入った。初めての訪問だったので、初日はほとんど写真を撮らず、辺りを車で回って過ごした。

 

銃弾で穴だらけになった、野党リーダーのジャン・ピン氏の選挙本部。(c)AFP/MARCO LONGARI

 

 タクシーを数回乗り換え、それぞれの運転手に地元を見せて回ってほしいと頼んだ。土地勘をつかみ、街のある場所から別の場所まで行くのにどれだけ時間がかかるか、主要地点がどこで、事件が起こりそうな気がする場所はどの辺りかなどを把握しておきたかった。

 

議会近くの道路に築かれていたバリケードを開放するガボンの治安部隊。(c)AFP/MARCO LONGARI

 

 もちろん主要政党は訪れて自己紹介し、自分の連絡先を残し、相手のも入手する。それから、事前リサーチや自分の状況把握、どのように記事を展開したいかに応じて、情報網を広げていく。

 例えばある地区のパン屋に入って話をし、相手の電話番号をもらって自分の番号を置いてくる。そうやっておけば何かが起き始めた時、皆に電話して街全体の状況を知ることができる。一般の市民は概して、情勢を正しく読み取っているものだ。

 

選挙後の激しい衝突の後、リーブルビル近辺で警戒に当たるガボンの治安部隊。(c)AFP/MARCO LONGARI

 

 現地の支局に頼るところも大きい。リーブルビルに常駐しているAFPはその点でも有利だ。支局がすでに情報網を持っているので、特に今回のような重要取材の場合は大いに役立つ。

 ある特定の国について報じる際は、その国の日常生活や出来事のあらゆる面が重要になってくる。だから全てに注目する。例えば選挙翌日に行われたカトリック教会のミサを取材しに行った。国内の情勢は緊迫していた。誰もが固唾をのんで集計結果を待っているかのようだった。

 

選挙結果を一晩待ち、居眠りをする野党支持者。(c)AFP/MARCO LONGARI

 

 だから開票作業が行われる選挙翌日は教会へ行った。国中が固唾をのんで見守っていた。教会に行けば、信者らに交じれば、その不安の表出や、最善の結果を期待する願いや祈りが伝えられるかもしれない。私の狙いは当たったと思う。普段なら混み合っているその教会の座席は半分しか埋まっていなかった。

 もちろん非日常的な、あるいは一風変わった光景も見落とさない。降りしきる雨の中、修道女らが通り過ぎる横で、傘から足を突き出して洗う女性の写真もそうやって撮った1枚だ。

 

(c)AFP/MARCO LONGARI

 

 ガボンで驚いたのは、治安当局が気前よく取材許可を出してくれたことだ。取材がどこまで許されるかは、その国の民主主義の度合いを測るバロメーターになる。私は独りだったし、その気になればごく簡単に追い払えたはずだ。だが実際は、暴動の様子をかなり自由に取材することができた。

 

選挙後に起きた衝突の鎮圧に向かうガボン兵士。(c)AFP/MARCO LONGARI

 

 開票結果が発表されてすぐに起きた怒りの爆発には不意を突かれた(下調べはいくらでもできるが、事件は思いがけない展開を見せるものだ)。それは徐々に積もってゆっくりと熱を帯び、とうとう沸点に達したというものではなかった。一気に爆発した怒りだった。24時間のうちに、目まぐるしい速さで襲撃、放火、暴動が広がった。翌朝の街は完全なショックに包まれていた。暴力の拡大、バリケード、閉まったままの店舗。

 

選挙の結果が伝えられた後、リーブルビルで衝突した野党支持者たちと治安部隊。(c)AFP/MARCO LONGARI

 

 ここで改めて、現場主義の重要性を訴えたい。われわれはアフリカ大陸史の一つの章を語った。AFPには、この大陸の物語、まさにここで展開している多様な面を持つ世界について理解しようという熱意がある。とにかくこのようなニュースの現場に飛び込まないわけにはいかない。

 ガボン大統領選のようなニュースは、この大陸が向かっている行く手を垣間見させてくれる。確かにまた一つのアフリカの国の政情不安には違いない。だがそこに微妙な差がある。情勢に対する国民の反応──今回ならば瞬時の怒りの爆発──は、今この国がどういった状況にあるかについて多くを物語る。カメラマンに暴動を自由に取材させるだけの、治安部隊の進化──それもまた、この国の現在の立ち位置と今後向かうだろう行く手を大いに示している。

 

投票するために列に並ぶ有権者たち。(c)AFP/MARCO LONGARI

 

 それはアフリカで民主主義についての一定の理解が、ゆっくりではあるが徐々に深まってきている兆候だ。背景のあらゆることを差し置いても、私がここまで取材を許された事実は、何かがより近づき、何かが変化していることの証しなのだ。(c)AFP/Marco Longari

 

(c)AFP/MARCO LONGARI

 

このコラムは、アフリカ支局のマルコ・ロンガリ(Marco Longari)チーフカメラマンが、AFPパリ本社のヤナ・ドゥルギ(Yana Dlugy)記者と共同執筆し、2016年9月6日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。