はいどうも、雑記ブログ運営歴が間もなく1年になろうとしているポジ熊です。今日は「自分て何だろう?」と悩める、自我を疑い始めた人に見てほしいブログの勧めを公開するよ!!
自分てなんだろう?
はぁ・・・
どうしたのポジ熊君?
おお、悩める時にさっそうと現れるベテランブロガーで美人のまめこさんじゃないですか!
あらあら、そんなに褒めても何もあげないわよ。ところでため息ついちゃってどうしたの?
いやさ、最近ふと思うんだ。「自分て何だろう?」って。自分は自分なんだろうけど、大衆の考え方に同調し、笑うべきタイミングで笑って、通すべき筋は通し、世間の顔色をおもね続ける自分って実はどこにもいないんじゃないかって悩んでるんだよまめこさん・・・
(こいつ、持てる限りの語彙を出し尽くしたわね)う~ん、なるほどね。最近の若者は特にこういう悩みを持つ人が増えているらしいわよ。個性個性と声高に叫ばれ続ける世の中でガチで個性を探した結果が「どこにもない」という壁にぶち当たって、本気で悩んでる。そう、いまの君と似たような状況の若者たちね。
僕らはどうしたらいいんでしょう。この出口なきラビリンスを半永久的に彷徨する迷える子羊に是非とも光明を与えてください!
(あたしは教祖じゃないんだけどな)いいわ、この際だから結論を述べるわよ。「自分なんて何者でもない!」以上よ!
な、なんだってーーーー!?あまりにもご無体じゃないですかぁ( ノД`)
でも、これが日本の現実よ。以下、簡単に説明するわ。
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何者にもなれない
西洋では「告解」といって神に自分の罪を告げることで「個人が個人であること」の歴史が始まったの。これは1000年以上も前の話ね。ここから長い歳月をかけて「個」というものが強固になっていったの。
翻って日本はどうかしら。明治維新で西欧列強に追い付け追い越せで色々な技術や文化を急ピッチで取り入れ、その中で「近代的自我」というものも形ばかりは取り入れたわ。けど、結局今になってもそれは根付いていない。西欧のように一神教を担保に「個人」というものが存在を許される土壌は築かれていないのよ。
結果、どうなったかといえば・・・
若者を中心に「自分は世間に迎合しない、何者かになれる価値のある人間なんだ」という意識と、世間との解離がより深まるようになってしまった。世間はそういう自己主張を求めてはいないのよ。必要なのは全体の輪を乱さない空気を読める人間であって、個性なんて邪魔にするばかり。
つまるところ、この国では「何かになる」というのは非常に難しいのよ。世間の1パーツになり切れる人間が、それこそ他人の顔色を推し量っておもねることのできる人間が無難に日本の世の中を渡っていくことができる。これが現状といえるわね。
だからといって個性がすべて没する世界かと言われればそんなことはないと思うわ、世間に表向きにでも迎合している人間の中でも、「自分」というものを不確かだけど持ち合わせて心中では信念を抱いて生きている人も少なからずいる。けど、そういう人たちも公の場や「空気を読まなければいけないところ」では個性を殺さざるを得ないのよね。
詳細は↑この『犯罪の世間学』に詳しいわ。深くまで掘り下げてないけど、個を追い求めて世間の壁にぶつかってしまった人は読むと胸のつっかえが取れるはず!
諦めるのはまだ早い!
なんてこったい。じゃあ、個人という概念を捨てて周りと合わせるしか生きていく術はないということ!?
簡単に言うとそうなっちゃうのよねぇ。
あまりにも悲しすぎる・・・
そんなに悲観することはないじゃない。一生を安泰に完遂できるのならば形にとらわれる必要はないのよ?
まぁそうなんだけどさ。どうも腑に落ちないんですよ。「そこは違うんじゃない?」っていうタイミングでも、それをグっと飲み込んで我慢し続けることが、果たして本意な生き方なのかなって諦めがつかないんすよ!!
(うわ、めんどくさいヤツ・・・)だったら、ブログで言いたいことを言っちゃえばいいじゃない?
ブログ??
自分のメディア
「ブログ」って、アングラでニッチでマイノリティで、どこかジメジメした印象があるでしょ?でも、違うのよ。ブログって凄いの。普段は言えないことや、自分が思っている熱くたぎる気持ちをぶつけることができる、いわば「個人のメディア」なのよ。
TVをイメージしてごらんなさい、客観的な事実のみならず「私どもはこう考えています」というイデオロギーのようなものを、各局で醸し出しているでしょう。あれはまさに自分たちのメディアの色を出しているのよ。それで世間に対してどのような影響を及ぼそうとしているのかが現れるの。
ブログも一緒よ。「所詮、ブログだろ?」なんて前時代的なのよ。いまや匿名ブログですら国会に波及するくらいの影響力も持ちえるのよ。私が運営しているブログだって月間30万PVに達することがあるわ。こうなると、チラシの裏の落書きを超えて世間に発信するという表現が大げさじゃないくらいの影響力を持つことも十分に考えられるわ。
あなたが考えている「世間はここがおかしい」ということを、自分のメディアで好き放題に叫べばいいのよ。そこにはやはりインターネットはインターネットなりの世間の風当たりが当然のように吹き付けるわ。
けど、そこであなたが劣勢に立たされることはないのよ。サラリーマン兼ブロガーであれば、少なくとも本職を失うことはないじゃない。そこまで恐れるに足ることではないはずよ。あなたの社員食堂で世間への不満を大声でぶちまけることと比べれば、理解できるわよね。
負け犬の遠吠えのように扱われることも珍しくないわ、マイノリティのオピニオンなんて、始めはそんな風に扱われるのが常よ。けど、インターネットだから、少なからず賛同者が現れて肯定的なレスポンスをしてくれる場合もある。そこで「ああ、自分が考えていることと同じ気持ちの人が、一人でもいるんだな」って思えれば、あなたは孤独じゃなくなるのよ。
「個」がない世間の力が強力な日本の社会でも、インターネットという場で自分の考えを声高に表明できる、ここにブログの大きな価値があると私は思うのよ。もしかしたら、それを起爆剤に社会の仕組みが変わる可能性だって、0じゃないのよ。
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おわりに
ブログってすげえな。普段は周りに合わせてばかりでほとほと疲れてても、自分の意見を表明して少なからず味方がいることを知ることもできるんだ。
そうよ、「個」というものを感じにくい社会だからこそ、匿名でも自分の意見を発信して「何者か」にすらなれる可能性を秘めているブログというのは、始めなきゃ損!くらいの大きな存在なの。もっともっと認知度が上がって、1人1サイトを持つ時代が到来すべきだと思うわ。
目から鱗だなぁ・・・
ちなみに、「自分は何者か?」をテーマに、就活生の葛藤をリアルに描いた小説『何者』は、読みごたえがあって最高ね!是非とも購読をおすすめするわ。若者のモラトリアムを含むぬるま湯の中をゆったりと歩くような雰囲気と、ラスト30ページの怒涛の如き展開で畳みかけられること請け合いよっ!!
(アフィリンク張るあたり抜け目ないのが恐ろしいわ、この人・・・)