秋は、知る人ぞ知る「ハトレース」の季節。兵庫県内でも今月、「日本鳩レース協会」の地区連盟が4レースを開催し、200~400キロ先から鳩舎(きゅうしゃ)に戻るまでの時間を競う。半世紀ほど前の飼育ブームの名残から現在も県内で100人超の愛好家がいるが、高齢化が進み、競技の先細りが顕著になっている。(小川 晶)
【写真】全身「ピンクのバッタ」発見
「馬主や厩務(きゅうむ)員、調教師の役割を一人で全部体験できるところですかね」。競馬を引き合いに坂口好範(よしのり)さん(65)=兵庫県稲美町=がハトレースの魅力を語る。
ハトを飼い始めて50年以上。長距離を飛ぶ筋力を付けるため、毎朝夕、加古川沿いの鳩舎を訪れては世話をする約180羽の放鳥や餌やりなどをこなす。
カワラバトを品種改良した伝書バトの系譜を継ぐ「レースバト」で、同種のドバトよりも一回り大きい。自宅には、優秀な血統を掛け合わせる「種バト」が別に約80羽いる。えさや薬代、鳩舎の賃貸料などで年間数十万円かかるが、愛好家の中には繁殖のために年間百万円以上を投じる人もいるという。
ただ、レースは過酷だ。愛情を込めて育て、飛行距離を少しずつ延ばす訓練を重ねても、はぐれたり、タカなどに襲われたりする。坂口さんが所属する同協会が昨年5月に催した北海道・長万部発の千キロレースでゴールした県内のハトは、253羽のうち13羽だけだった。
同協会事務局の宮川幸雄さん(72)によると、1970年代の漫画「レース鳩0777(アラシ)」によるブームで、最盛期は約3万人の会員がいたという。だが、ふん害などに対する風当たりが強まり、鳩舎の確保が難しくなると競技離れが進んだ。現在は全国で約1万人、兵庫県内の会員もこの20年で40人ほど減って約120人となった。
「会員の高齢化や費用、世話の負担も大きく、裾野を広げる手だてがなかなか見当たらない」と宮川さん。同協会が秋に開催する小中高生対象のレースは2012~15年、参加者不足などで競技が成立していない。
将来が危ぶまれるハトレースだが、幼少期に飼育歴のある世代が定年を迎えて余裕ができ、再び飼い始める動きが出てきている。
2年前から競技に参加する加古川市の小松進さん(66)は「ふ化したヒナを大事に育てて飛ばしたら、きちんと自分の元に帰ってくる。中学生の頃の喜びが忘れられなくて」。
一方、今春の定年退職を機に、高校生以来となる飼育を再開した神戸市の60代男性は、家族やレース関係者らごく一部にしか明かしていない。「飼っているだけで苦情が来る時代。人目を気にしないといけない趣味になってしまったのが残念」とこぼす。
【ハトレース】 帰巣本能が特に優れているハトの特長を生かし、軍隊や新聞社などが活用していた伝書バトが起源。戦後、通信機能の発達で姿を消す中で、愛好家らにより競技として成立した。日本では会員数最大の「日本鳩レース協会」(東京)と「日本伝書鳩協会」(同)の2団体が、気候のいい春と秋に各地域でそれぞれレースを開催。ハトの脚に着けたICチップで鳩舎に戻るまでの時間を計り、速さを競う。
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