母を自殺で失った25歳が、「子どもの貧困」対策センターを立ち上げるまで
公益財団法人「あすのば」事務局長の村尾さん
子どもの6人に1人が貧困状態といわれる。村尾政樹さん(25)は、「子どもの貧困」に取り組む公益財団法人「あすのば」立ち上げメンバーで、事務局長を務める。小6のとき、母親を自殺で失い、「貧困」におちいった。しかし多くの出会いや支えを受け、特に自分より年下の仲間の言葉に共感し、今に至る。
「見えない貧困」
「まーくん、写真撮ろう」。神戸市の小学6年生だった春。ストレスなどで病気を患っていた母親は、この日体調がよく、地域のお祭りに一緒に参加した。しかし村尾さんは、写真撮影を断った。「母親っ子」だった村尾さんは、体調を崩して家事も滞りがちだった母親に、冷たい態度をとっていた。
1週間後。「いってらっしゃい」という声かけに答えず、小学校へ向かった。その日、母はこの世を去った。
家族は、父親のほか姉と弟、障害を抱えるおばがいた。父親は貿易関係の会社員。早朝5時に出勤し、子どもが就寝時に帰宅する生活は、母親の死後も続いた。定時で帰ることを希望したが、会社には「慈善事業ではない」と言われたという。弟は翌年、児童養護施設に移った。
村尾さん一家は、世帯所得という意味では、貧困層でなかった。しかし父は、子ども3人と障害者の4人を、1人で支える必要があった。仕事は深夜に及び、コミュニケーションも十分とれなかった。村尾さんは、高校時代は週4日のアルバイトで進学の学費をためて家事も自分でこなすなど、がんばることを強いられ、「多くの人に支えてもらってはいたが、『見えない貧困状態』だった」と振り返る。
「子どもの貧困」に向き合う
大学時代、「ここわらねっと」として活動する村尾さん(前列・右から3人目)。
高校卒業後、アルバイトでためたお金と奨学金で北海道大学教育学部に進学した。大学2年生のとき、自殺対策を学生が進める団体「ここわらねっと」立ち上げの中心メンバーとなり活動を行っていた。そんな大学時代、「子どもの貧困」問題があると知った。著書「子どもの貧困」を編集した松本伊智朗教授の授業を受けた。当時この分野の著書や研究者は少なかったが、自分の関心のある自殺対策と貧困問題がつながっているように感じ、子どもの貧困対策を呼びかける全国集会にも参加した。
家族が自殺をした家庭は「個人や家族の責任」を強いられがちな中、国が2006年に作った自殺対策基本法は「自殺は社会的な問題」と明示した。村尾さんにとって心強く、「血の通った」法律だと思った。しかし、自分の中で子どもの貧困を同じような社会的な問題と捉えることはできず、まだ自分が中心となり積極的にこどもの貧困対策法などを広めていきたいとまでは思わなかった。2014年、北海道の公益法人で働きながら、大学院を目指した。
「奨学金を借りたくない。進学はしない」
地元の高校2年生に「将来何をやりたいの?」と何気ない質問をしたところ、予期しない答えが返ってきた。衝撃を受けた。その高校生は、所得面では貧困家庭でなかったが、この子に限らず北海道では家庭や経済的事情で、進学を見送る生徒が多いと思った。自分もお世話になった奨学金が、有効に機能していないのではないかと感じた。
高校生の時に参加した遺児向けのキャンプでスタッフを務めていた小河光治さんからは、大学生・社会人になってからも定期的に連絡があった。小河さんと話をする中で、子どもの貧困問題に接する機会は自然と増えていった。誘われて、2015年3月、イベントで東京に向かった。
「子どもの貧困対策には、しっかりした民間セクターが必要。一緒にやらないか」
「あすのば」への期待の声が集まったボードが、事務所に飾られている。
「あすのば」の代表となる小河さんから、新団体の構想を打ち明けられた。子どもの貧困対策推進法が前年の2014年に施行され、国の基本方針も決まった。次のステージでは、公的な支援が行き届かず貧困状態にある子どもたちの支援を、民間主体で長期的に取り組む必要があった。
2015年4月上旬。センター設立に向けた初の準備会議のため、再び東京に向かった。まだ気持ちは固まっていなかった。参加者は、小河さんや村尾さん、大学生などだった。
初日の夜、カプセルホテルで就寝する間際、大学生に「話をきいてほしい」と呼び止められた。
「1人でも募金をやりたいんです」。
経済的に苦しい家庭の子どもへの入学・新生活応援給付金の支援を呼びかける街頭募金の様子
休憩室で、大学生が語り始めた。北海道出身の、普段は大人しいタイプ。小河さんや村尾さんなどの姿をみて、「自分もできることをしたい」と思ったという。
村尾さんは、その熱意に心が動いた。
2回目の準備会議からは、学生が会議を重ねた。山手線の駅や名古屋などで街頭募金を実施した。50万円近い募金が集まった。
村尾さんの気持ちは固まった。法成立から2年たった2015年6月19日、「あすのば」がスタートした。大学院を目指すのを辞め、村尾さんは専従スタッフとなった。
貧困とは何か。誰を支えるべきか。センター内でも議論になる。
「うちは貧乏だったけど、貧困じゃなかった」
母子家庭の女性は主張した。周りの助けがあった。「所得の高低ではなくて、子どもが困ることがおきたら、それは子どもの貧困ではないか」との意見だ。村尾さんは「子どもの『困りごと』は大小比べられない。子どもの思いは、いまだ置き去りにされているのではないか」と思う。
「あすのば」のスローガンは「子どもがセンター(どまんなか)」。子どもで組織する「子ども委員会」を設置し、その委員会を代表する理事に学生が就くことで、子どもの声を直接反映できる組織にした。
人の支え、全国へ
「あすのば子ども委員会」発足総会の様子。全国各地から約200人が集まった。
「子どもの貧困」は見えにくく、17歳以下で貧困状態にあるとされる子どもは、推計で16.3%(平成24年・厚生労働省)で6人に1人と言われているが、実態はいまだ明らかになっていない。
「あすのば」は、子どもの貧困世帯へのライフライン費用負担の軽減や小・中学校での給食の全校実施と無償化、学生への無利子の奨学金制度などを提言している。
また子どもの貧困対策法で対策の実行が各都道府県に任されているため、47都道府県を調査(日本大学との共同プロジェクト)したところ、単独計画を策定する予定のない都道府県が4割に上ることを明らかにした。
現在、あすのばの事務局長として村尾さんは、子どもの実態を「見える化」し、子どもの声を反映させるべく行政や地域に働きかけている。
7月23日、「全国47都道府県キャラバン」を沖縄県から始めた。「自分と同じように孤立感を抱えて生きてきた子どもがいる。支えるきっかけを作りたい」。沖縄の高校生や児童養護施設出身者などが集まり、活発な議論がおきた。
「あすのば」の事業は、「新しい社会」を作るプロセスだと信じている。「子どもに一番距離が近い活動をする自分たちこそができる。新しい社会が見えてくれば、子どもの貧困は解決に向かう」と村尾さん。
神戸、北海道、そして沖縄へ。ささいな子どもの言葉や人の支えの積み重ねで、ここまで歩んできた。
3年かけ、47都道府県をキャラバンする旅に出発した。
「大人」になった村尾さんが、バトンを広げるために。
※子どもの貧困対策の推進に関する法律…子どもの貧困の解消・教育の機会均等などを目的とし、2013年6月19日に成立した法律。
※年齢・肩書きは取材当時(2016年7月末)。