今はどうか知らないけど、少し前までミニマリストというのが流行っていた。これに関しては色々な人が色々なことを言ってるんだけど、要約すると持ち物を減らして快適に暮しましょうという考え方である。
物を減らしたら生活がやりやすいことは事実で、人間の社会が少々マシになった頃から、人類は少ない物で生活する方法を模索してきた。例えばルソーの社会契約論にも、それなりに機能はしているけど複雑化しすぎた社会をもうちょいシンプルにしようぜといった考え方が出てくる。本当はちょっと意味合いが違うんで、知りたい人は読んでみてくださいといった。
- 作者: J.J.ルソー,桑原武夫,前川貞次郎
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1954/12/25
- メディア: 文庫
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とにかくかなり昔からこういう考え方は存在していて、快適に生存できるのであれば、物なんか少ないほうが便利である。ミニマリストの考え方っていうのは、間違ってはいない。しかし彼らに嫌悪感を持つ人がわりといる。一部の並外れた馬鹿が俺はミニマリストだッとか絶叫しているのは例外として、ペラい奴らが多いとか色々あるとは思うけど、物を減らし普通に快適な生活を送っている人がたくさんいる。また少ないもので生活するっていうのは、趣味としてかなり面白い。人がとやかく言うようなことではないと思う。ところが普通に物の少ない暮しを楽しんでいる人らに対しても、うさんくささを感じることがある。嫌う人はかなり嫌っているし、うっとうしさすら感じる人も多い。
その理由のひとつに、減らすのはバカでもレベル低くてもできるという事情があると思う。
例えばだけど、私は音楽をほとんど聴かない。なんで聴かないのかというと、私が音楽に対する感受性をほとんど持ってないからです。私は音楽に関しては、一般の人よりも確実に能力値が低いと断言することが出来る。静かなのが一番で、音楽とか意味が分かないしクソどうでもいいと思う。
私は音楽のない生活に満足しているし、音楽を聴く人に対してなにも思わない。ただそれだけのことで、なんの問題もない。
しかしながら私が音楽とか耳に意味分からん音を入れる愚行、スピーカーとかビープ音鳴るやつだけで十分、楽器とか燃やしてやかましくするなと主張はじめ、音楽流してるコンビニに苦情を入れまくったら、かなりうっとうしいと思う。それだけならまだしも自分のレベルが低いだけにも関わらず、音楽で喜んでいる奴とか脳が下等、生活の中に無駄なものあるからミニマリストじゃないとか言い出したら完璧な馬鹿である。さらに音という要素を排除することで、より豊かな人生を送ることができるとか理屈こねはじめて金とか儲け出したら、かなりうさんくさいわけだけど、ミニマリストの人はこういう状況を作りやすいと思う。
私は音楽の意味が分からないから、グランドピアノ燃えてても奇麗だなーとしか思わない。だけど俺が音楽好きな人の家にいって、断捨離ッ!とか絶叫しならら愛用の楽器をハンマーで殴り壊したらメチャ怒られると思う。一方で私は食べるのは好きで料理もするんだけど、味覚がゴミみたいに鈍い人が毎日店でラーメン食ってるから冷蔵庫とか調理器具を捨てましたとか自慢してるのを見ると、かなりの意味の分からなさがある。
ありとあらゆるものに興味なければ、物は極限まで減らせるけど、それが文化的に豊かな生活なわけがなくてレベルが低いだけです。
レベル低いというのは悪いことではなくて、本人さえ満足ならそれで最高である。しかしながらレベルの低さを他人に強要したり、正当化しはじめるとおかしなことになる。こういうことは誰でもしてしまうことでもあるんで、お互いに気を付けて生きていきたいものですね。