8ヶ月でメガベンチャーを飛び出した25歳の起業家が語る、「プロトタイプは自分で作るべき」たった一つの理由
スタートアップのイベントに良く顔を出される方であれば、3か月で2000人を動員した「combinator meetup」の名前を耳にしたことがあるかもしれません。新卒で入ったSansanを7ヶ月で退職した清水さんは、「combinator」を立ち上げた後、現在は「Refcome」というリファラル採用促進サービスを提供しています。彼の起業に対する思いを伺いました。
プロフィール 清水 巧さん
株式会社Combinator代表取締役社長。1991年生まれ、25歳。明治大学出身。新卒でクラウド名刺管理サービスを提供するSansan株式会社に入社し、運用コンサルティング業務に従事。幼少期より抱き続けていた「人に良い影響を与えられる人に」という思いから、2014年1月に株式会社Combinatorを設立。現在リファラル採用を活性化させる新しい仕組み「Refcome」を企業向けに提供中。
起業するなら、「最初の動くもの」は自分で作れるくらいのスキルを保有しておくべき
──清水さんは、TECH::CAMPの卒業生ですよね。
はい。現在提供しているサービス「Refcome」の準備中に通いました。ドリルはかなりやりましたよ。もともとRailsをある程度書けたので、おさらいのような感じでしたね。
── 元々書けたのですね。プログラミングはいつ勉強されたのですか?
新卒で入ったSansanがエンジニア採用だったので、ある程度は勉強していました。一番始めに出した作品でいうと、内定者時代にSansan13新卒の紹介ページを作成しました。内定者の動画インタビューやプロフィールが見られるようなサイトです。
── その後、起業された際はどうやってサービスを完成させたのですか。
前職では本配属がエンジニア職ではなく、運用コンサルティング事業部で採用されました。SansanはB2Bサービスなのですが、導入後の運用支援をする部署ですね。ですので、入社後はプログラミングをビジネスで使用していた訳ではありませんでした。
退職後、起業をして資金調達をした後、すぐにエンジニアを一人採用し、基本的にはそのエンジニアがサービスを作りました。専属のエンジニアがいても「最初の動くものは起業家が作るべきだ」と思っているので、僕も最初のプロトタイプは作ったのですが、全てやり直しされてしまい、自分が書いたコードはほぼ残っていなかったですね。
── 起業するには、ビジネスサイドの人間もプロトタイプは作れるくらいのスキルがあった方が良いということですね。
そうですね。そのサービスで何を実現したいのか、というのが一番強いのはやはり起業家ですので、入れ込みたい仕様や動線など、描いているものをある程度形に出来る程度のプログラミングスキルを持っていた方がいいと思います。企画書や口頭で伝えるよりも、協力者にも仕様イメージを伝播させやすくなるためです。本気のものづくりをする段階で、エンジニアにはバトンタッチをすれば良いと思います。
また、サービスの立ち上げの際には、営業やエンジニア、デザインなど様々な業務が発生しますが、そこで食わず嫌いする人はなかなか成長しません。良い事業を作ろうと思ったら、営業でもちょこっとコードを書いてみて「これってこういう風に動いてるんだな」というのを把握することが必要です。僕はビジネス側の人ですが、プログラミングも少しは書けます。逆に、エンジニアでも営業に同行してお客様の思考を把握するべきだと思っているので、自分はエンジニアを営業に連れて行っています。お互いにやっていることが分かればコミュニケーションも取りやすくなりますし、互いの業務を尊重しあえるという考えからです。
苦手だった陸上でオリンピックを目指せるまでに成長した学生時代。そんな自分に周りが良い影響を受けたことが起業の原泉になった。
── ところで学生時代から起業家になりたかったのですか。
はい。元々、ビジネスを通して世の中に影響を与えたいと考えていたので、普通の就活は行いませんでした。事業計画を見よう見まねで作って、「事業プランを聞いてくれ!」という体で人事に会いに行っていました。その中で1社だけ熱心にフィードバックをくれる会社があって、それがSansanだったので、まずはここで入社してやってみようと思いました。
入ってみたら、実際凄く良い会社だったんですよね。100人、200人の会社なんですけど、社長が従業員の前に立って「会社の存在意義とは社会を変えることにある」と言った時に、それをみんなが肯定するような雰囲気がありました。それを見ていて、自分も社会を変えるような事業をやりたいと思い、起業しました。
── なぜ、世の中に影響を与えたいという思いをお持ちだったのでしょうか。
原体験が学生時代にあるのですが、元々は、起業ではなくスポーツを通して世の中に影響を与えたいと考えていました。僕、小学校3年生から12年間、オリンピック選手になることをゴールに、ずっと陸上をやっていたんです。元々そんなに早くなかったんですけど、練習してたら早くなったんですね。そしたら周りが、「清水もこんなに陸上頑張ってるんだから、俺もサッカーがんばろう」とか、「勉強頑張ろう」とか、思ってくれたんですね。自分の頑張りで周りに影響与えられるのが嬉しいくて、それが、陸上を続られた理由になりました。
──自分のやることで、周りに良い影響を与えられたことがモチベーションになったということですね。。
しかしながら、大学生の時の怪我をし、3年間は走れないと医師に宣告されました。人生を賭けてきた陸上が出来なくなることに絶望し、逃げるように海外行きのチケットを買いました。初海外でイスラエルを選んだのですが、シリアでデモに巻き込まれかけます。殺伐とした雰囲気の中だったのですが、その現場でSNSを駆使して、現地の人がどこでデモが起こっているかについて情報を察知していることに気づきました。
帰国してから、ニュースで軍事政権がひっくり返されたこと、その促進がSNSで行われていたことを初めて知りました。民間企業が作った1サービスによって、世界が動いている様を感じました。そこで、サービスを作ること、ビジネスを展開することは凄いなと感銘を受けました。
絶望の中で異国の地で見出した、SNSの持つ大きな力。陸上ではなく、起業で世の中に影響を与えようと決意
── ITの持つ力の大きさを実感されたのですね。
はい。スポーツでの活躍を周りに見せることで人の心を動かしたいと考えていましたが、モノを作ったり、ビジネスをすることで誰かに影響を与えられるって、凄くポテンシャルあることだなと実感しました。手段がスポーツからビジネスに変わるだけなので、そこから起業するということに興味を持ちました。
起業するにしても、流行りの事業をポンとやるんじゃなくて、「世界をこう変えたいと思う中で、事業をやるんです」という大義を掲げて行いたいと考えています。風に乗るのではなく、風を起こす側の事業をやるという気持ちがありました。世界を変えるようなことを1プロダクトが出来るって凄いことではないでしょうか。世の中に価値のある、意味のあるものを作れるのは意味のあることだと考えておりますし、そういったものを死ぬまでに絶対に作りたいです。
── その後、海外には行かれましたか。
内定後、一番尊敬する起業家に会いに、アフリカ行きました。佐藤芳之さんという、ケニア・ナッツ・カンパニーという会社をやっている方です。マカダミアナッツの加工工場の建設を通して現地で多くの雇用を生み出した方なのですが、その方がルワンダで起業されていたので、インターンをしに行きました。
その方の価値観として、「自分が生きた時と死ぬ時で、世の中の課題解決の総量にどれだけ落差があるか」っていうのがあります。ボランティアでは課題解決の総量も小さくなるし、継続性も担保出来ないから、ビジネスに拘る。でも、意味があると思ったことを忘れず、何回も原点に帰ってやりきる。そして、やりきったことに満足せず、次ことに挑戦する。そういったことを70歳でやっている方です。非常に素晴らしい方だと思っています。
ITを通した「効率化」には興味が無い。より根本的な、現場レベルの「意識改革」を目指す
── 今は課題解決の総量を増やすというところで採用領域に取り組まれていますね。
仲間集めが出来なくて起業を諦めてしまうという方がたくさんいらっしゃいますが、それって機会損失だと思います。「やりたいこと」を「旗」として見えるようにすれば、世の中もっと良くなるのではと考え、「旗を掲げれば仲間があつまる」をテーマにスタートアップの仲間集めプラットフォーム「Combinator」を作りました。
これはビジョンを起業家が掲げるというやり方なのですが、良い会社は従業員全員がビジョンを語れることが出来ます。合いそうな人を社員みんなで呼び込んでいけるのです。ですので、今は起業家の仲間集めに限らず、従業員全員で仲間集め、という領域で世の中を良くしていきたいと思い、リファラル採用促進サービス「Refcome」を2015年の8月に発表しました。
── 共感してくださる企業様は多そうですね。
凄く反響がありました。プロダクトが無い状態で事前応募を募集して、150社が集まりました。2015年末から提供開始しているのですが、結構、メガベンチャーや大手の企業様に使って頂いています。中には、リファラル経由の応募が月に5名くらいだったのが、プロダクトを入れてから月に120人の応募を集えた企業様もございます。既存の採用媒体では取れない人が「Refcome」なら取れるというお声も頂いております。社員からの紹介なので、的ハズレな人も来ないし、入った人にとっても知り合いが社内にいると安心しますよね。また、何よりも会社の従業員が主体的な気持ちを持ってリクルーティングが出来る様になったことも大きいと考えています。
── これまではなぜその流れにならなかったのでしょうか。
海外は社員紹介制度の浸透率が70~80%と、リファラル採用比率がもともと高いと言われています。こと日本を見ますと、リクナビのような広告媒体が1990~2000年までに媒体が出来て、主体的な採用からから待ちの採用に文化が変わりました。
確かに企業と学生間におけるマッチングの可能性は広がったかもしれないですが、どうしても応募がネームバリューのある企業に集中してしまいます。もっと最適化されるべき方向があるはずなんです。更に、ソーシャルがここまで発展したために、声をかけられるインフラも整いました。世の中の採用課題とITによるインフラがマッチしたことによって、リファラル採用が時代を一周するような形で戻って来た、と考えています。
── 採用の仕組みの根本をITで変えることによって、従業員の意識変革が行われているのですね。
学生時代に抱いていた「スポーツを通して人の心を動かしたい」という思いが、今は会社の現場クラスの意識を変えていきたい、という思いに変化しました。この事業は、一見、採用単価を安くするとか、人事の仕事を楽にするという見方が出来ますが、そういったことに興味が無いのです。興味があるのは、現場クラスの人が仲間を呼べるようになることで、その環境がより楽しくなったり、今までなかった体験ができるようになること。そこが風を起こすというところだと思っています。
──最後に今後の目標をお聞かせください。
気づいたら便利になっていく世の中で、採用活用において自分たちの事業の価値や会社の良いところを考えなくなってしまっていて、採用以上にもっと大事なことを失っていると思っていると考えています。それを変えていきたいですね。
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