松田聖子はアイドルとしてデビューしてから25年以上経過しますが、未だに永遠のアイドル、スターとしてしてなおも輝き続けています。デビュー当時は、アイドル歌手として、そして、年を重ねてからは実力派の歌手として、人気を獲得しています。また、女性ファンが多いというのも特徴です。そんな、松田聖子の恋愛遍歴とは?
1980年代を代表するアイドル・松田聖子
松田聖子
- 本名:蒲池法子
- 生年月日:1962年3月10日
- 所属事務所:サンミュージックプロダクション→ファンティック→グリーンパークミュージック→ファンティック→falicia club
- 過去の出演作品:テレビドラマ『スウィートメモリー』「家族ネットワーク』『イケメンパラダイス』映画『野菊の墓』『どっちもどっち』『蛍の墓』
- 最近出演したTV番組や最近の活動情報:『志村けんのバカ殿様笑いのお年玉スペシャル』『平清盛』
松田聖子は、1980年に『裸足の季節』でレコードデビューしました。デビュー曲にいきなりCMタイアップがつき、これがヒットしました。その後もヒットを連発し、80年代を代表するアイドルとなっていきます。
デビュー当時からパーマをかけたショートカットをしていて、その髪型のマネをする人が急増しました。聖子ちゃんカットと呼ばれたその髪型は80年代を代表する人気の髪型になりました。
またかわいこぶった、女性に対する「ぶりっこ」という言葉は、松田聖子から生まれ、流行語にもなりました。名付け親はタレントの山田邦子でした。
歌手として1980年の『風は秋色』から1988年の『旅立ちはフリージア』まで、24曲連続でオリコンチャート1位を獲得という記録を作ります。NHKの紅白歌合戦にも19回の出場を果たすなど、日本を代表する歌手となります。
歌手としてだけではなく、作詞・作曲等の楽曲の制作にも積極的にかかわり、シンガーソングライターとして活躍していくことになります。
2000年以降はディナーショーを多数おこなうことによって、ディナーショーの女王と呼ばれることになります。また松田聖子のディナーショーは、人気ということだけではなく、高額であるというのも有名です。
2007年にドキュメンタリー番組、NHKスペシャル『松田聖子女性の時代の物語』が放送され、松田聖子の生き方が注目され、女性が憧れる女性としてのイメージを確立していきました。
しかし、彼女には不倫・浮気のスキャンダラスなイメージも常につきまとっていました。
結婚を誓い合った郷ひろみとの熱愛 「今度生まれ変わったときには、きっと一緒になろうね」
郷ひろみ
- 出生名:原武裕美
- 生年月日:1955年10月18日
- 出身地:福岡県
- ジャンル:歌手・俳優
郷ひろみは1972年に『男の子女の子』でデビュー。西城秀樹、野口五郎とともに新御三家と呼ばれ、トップアイドルとして活躍します。
松田聖子は、デビュー当初から郷ひろみのファンで、彼女がデビュー後、テレビでの共演をきっかけに交際がはじまります。
ちなみにその当時は、アイドル同士でテレビ番組に共演する機会というのが非常に多く、アイドル同士で熱愛に発展するケースというのは多かったようです。
松田聖子もデビューしてすぐにトップアイドル同士の熱愛へと発展しました。
その後、結婚を前提に交際は進みますが、1985年に破局を迎えてしまいます。破局会見で彼女が話した「今度生まれ変わったときには、きっと一緒になろうね」というセリフは、インパクトを残しました。
破局の原因は両親による反対
田園調布に2人の新居用の土地の購入を決めるなど、2人の結婚は秒読みとも思われていました。実際にお互いの両親にも会っていたようです。具体的に松田聖子が22歳になったら結婚する、というところまで話は進んでいたそうです。
破局の原因として言われていることは、お互いの両親が反対したからではないかと言われています。郷ひろみは九州の出身で、九州では女は結婚すれば家庭に入るというのが、一般的な価値観だそうです。郷ひろみも、結婚したら彼女に仕事をやめてほしいと考えていたようです。
しかし、松田聖子自身は仕事を続けたいと思っており、、松田聖子の両親も彼女の稼ぎをあてにしていたようなので、彼女に仕事をやめさせることを認めなかったと言われています。
そして、破局から1ヶ月後に神田正輝との結婚を発表し、世間を驚かせました。
神田正輝との結婚と離婚。スキャンダラスな不倫・浮気疑惑
神田正輝
- 本名:神田正輝
- 生年月日:1950年12月21日
- 出身地:東京都
- 血液型:B型
- 所属事務所:石原プロモーション
2人の出会いは映画『7カリブ・愛のシンフォニー』での共演がきっかけのようです。郷ひろみとの結婚が思うように進まないことが原因で、心労で倒れてしまいます。その時に見舞いに訪れたのが神田正輝のようです。
思うようにいかなくて、結局破局を迎えた郷ひろみとの大恋愛、その直後にいきなりの結婚ということで世間は驚きました。郷ひろみに対するあてつけだの、何も考えていないなどの意見もありました。
1985年6月24日に結婚し、披露宴はテレビで中継されました。視聴率はなんと34.9パーセント!2人の結婚がどれだけ世間から注目されていたのかということがわかります。
度重なる松田聖子の浮気・不倫疑惑
娘も出産し、結婚生活も順調に思われていましたが、ここにきて松田聖子の不倫・浮気疑惑がもち上がります。不倫・浮気相手の相手は歌手の近藤真彦です。1989年2月にニューヨークでの密会が大々的に報じられました。
そのとき近藤真彦の交際相手であった、中森明菜はこのことが原因で自殺未遂をしたともいわれています。登場人物がすべてアイドルというのも、この時代らしいことだといえます。近藤真彦と中森明菜もその後、破局を迎えます。
その後、ジェフ・ニコルという語学教師に、松田聖子との不倫・浮気を暴露されてしまいます。暴露本を出版され、ツーショットでの写真や、松田聖子からのラブレターなどがさらされてしまいました。さらに結婚の約束をしていたという証言もでてきました。
バックダンサーをしていたアラン・リードにも逆セクハラをしたとして訴えられています。
そして1997年に離婚を発表し、2人は別れることになりました。離婚原因として度重なる松田聖子の不倫・浮気が原因だと言われていますが、どうやら離婚原因はそれだけではないようです。
そもそも、松田聖子の不倫・浮気の原因は、もとをただせば夫の神田正輝が不倫・浮気を繰り返していたと言う話があり、彼女はそのことに思い悩んでいたという話もあります。離婚というのはどちらかが一方的に悪いということではないのかもしれません。
2度目の結婚と離婚。そして3度目の結婚
1998年に松田聖子は歯科医である波多野浩之と再婚することになりました。この交際からまずか3週間のスピード婚でした。「ビビビッときました」という松田聖子のコメントからビビビ婚とも言われました。しかし、2年後に2度目の離婚をすることになります。
50歳のときに慶応大学病院准教授の河奈裕正氏と3度目の結婚をしました。現在でも結婚生活は続いており、幸せな結婚生活を営んでいるのかもしれません。
不倫・浮気のスキャンダル。3度の結婚と、決して順風満帆ではなかった彼女の恋愛遍歴ですが、それでも女性からの支持は高いです。それは、彼女がどのような境遇であっても自分らしく輝いているからではないでしょうか。