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ジャーナリズム

 投稿者:  投稿日:2016年 9月30日(金)16時14分15秒
  柳原氏の日記を読んだ

山友とハタチ氏を同類にしようとしているように思えた
山友は学会を恐喝し数十億とった
ハタチ氏は?
学会を恐喝してもいないし、お金もとっていない
基本的状況が、根本的に違う

そもそもジャーナリズムの精神は権力の監視にあるのではないか?
学会を除名され、無位無冠のハタチ氏と政権与党の支持団体の最高幹部の原田会長並びに谷川主任副会長

ジャーナリズムの精神から、監視し、批判するべき相手は誰か?
原田執行部サイドであるのは、誰が見ても明らかではないか?

柳原氏がジャーナリストであるならば、権力者の監視、批判こそ、お願いしたいものである



 

柳チャン、これが最後のブーメランかな?

 投稿者:カンピース  投稿日:2016年 9月30日(金)16時12分51秒
  待望の柳チャン、コラム日記更新、堕ちた生き方「反逆者に見る共通パターン」6、いかにも、もうタネが尽きましたって感じだね~

山崎正友のことを云々書いてるけど、まあ彼に関しては正解だね~。

だけどね、柳チャン、キミはどうしても山友とハタチ氏はじめ田口氏や元3名の方を一緒にして

「反逆者」のレッテルを貼りたいのが見え見えなんだよ。彼等と山友じゃあ全然違うのが解らないんだろうね~(笑)

山友は、池田先生に反逆したの。

ハタチ氏は執行部を牛耳る者に意見したの。裁判も、原告は谷川だからね~、創価学会が原告じゃないんだよ。
何一つ池田先生のことは言ってないよ、解る? 柳チャン。

元3名の方も、対話を求めているのは、原田怪鳥であって、池田先生ではない。
彼等は、池田先生のことは何一つ悪く言っていない。取材したのかな~? ジャーナリストさん?

田口氏に至っては、「不祥事」を連発してるけど、いつ、どんなものか全く明らかにしていないし、
ましてや、どんな抗議行動してるのか、事実に基づく記載が何もない。
これ、名誉棄損になるんじゃない?


最後に教訓めいたコメントを書いてるけど、これがまたまたブーメラン!\(^o^)/

〇信仰の世界に「隠居」などという発想は通用しないものと思いしれ
(柳チャン、これあだ名なの、わかる? それも他人がつけたもの、論理の根拠がまるでないね)

〇(不祥事を起こすなど)窮地のときこそ自分は試されていると謙虚に自覚せよ
(これ当に柳チャンのクライアントのことじゃない? 374919事件だよね~(笑))

〇「自己正当化」と「逆恨み」のスパイラルによくよく注意せよ
(これもブーメラン\(^o^)/ 原田怪鳥様の粛清人事はまさにピッタリ)

〇過去の栄光にすがるな、現在と未来にのみ生きよ
(これって誰に言ってるの? まさに執行部の面々への言葉かな~)

〇間違ったことを間違ったと素直に認めることのできる勇気(正直で柔軟な精神性)をもて
〇自身の欠点を鋭く指摘してくれる助言者を、必ず身の回りに持て
(これも同じこと、誰に言ってるの? ほんとブーメラン連発ありがとう\(^o^)/)




 

五重の相対の解釈もいろいろです

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2016年 9月30日(金)16時04分5秒
  シビック様の五重の相対に対してのご質問がありましたので、少し私見を書かせてもらいました。
そうですね。五重の相対は二段階で考えた方が解りやすいというところでしょうか。

大聖人御在世と入滅後です。

五重の相対は基本的には大聖人が開目抄で明らかにされたもので、大聖人御在世の時ですから、
身延、池上、中山派、はたまた大石寺などという様にまだ分派は存在していなかったのです。

開目抄での五重の相対は、外道のレベルから、最高峯の教えの事の一念三千の御本尊までの、教義の高低浅深を
説いたものです。

>本迹相対は、法華経の本門と迹門を比較相対している
種脱相対は、下種仏法と脱益仏法の比較、つまり日蓮大聖人の仏法と釈迦仏法を比較相対している<

その通りです。
これが五重の相対の本迹相対と種脱相対の基本です。

しかし、その後大聖人が亡くなってから、大聖人の仏法の信者達の中で、相対の解釈が分かれてきました。
法華経の本門と迹門で勝劣があるかないかで異論が起こり「本迹一致論」を主張したのが
身延、池上、中山派、などです。
しかし、大聖人は御書でこういわれています。

「法華経に又二経あり所謂(いわゆる)迹門と本門となり本迹の相違は水火天地の違目なり、例せば爾前と法華経との違目よりも猶相違あり」
 治病大小権実違目 p996

日興門流は「本迹勝劣論」です。(但し例外もあるかもしれません)。

本迹相対についてはとても意義が深いので、たくさんの勉強の余地がありますが、(あまり勉強したくないとは思い
ますが、、(笑))一言だけいえば「永遠の生命」と「その住所」(三妙合論)が説き明かされた、という事だと思います。

そして、種脱相対にいたっては釈迦本仏論を唱える日蓮宗派、身延などでは、独自の解釈を立てています。
これも皆さまでいろいろ勉強されたらいいと思いますが、私が調べたところではこんなところでしょうか。

釈迦本仏論 ー 歴史上の釈迦を、凡夫とは切り離して神格化している。凡夫本仏論は信じない。
        御本尊を根本としていない(三秘を集約すれば、本門の題目の一秘になる、下記参照 ー
        注:これはまさしく、今の学会教学ではありませんか))
        つまり、「ご本尊に帰命して凡夫の身のままで仏界を拓く」という教義はない。

日蓮本仏論 - 日蓮こそ末法の本仏であるという解釈=末法の本仏は凡夫= そこから拓いて言えば、私達も
        凡夫の身のままで仏界を拓くことができる=それを現実に可能にしたのが三身即一身のご本尊。
        だから、人法一箇の御本尊根本の信心

「凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり。然れば釈迦仏は我等衆生のためには
主師親の三徳を備え給ふと思ひしにさにては候わず、返って仏に三徳をかぶらせ奉るは凡夫なり」
  諸法実相抄 p665

       それによって双方の種脱相対の意義の違いは「御本尊」をどう受け取るかに集約されると言えないでしょうか。

参考までに、日蓮宗がいかに、日寛上人に反論を唱えているか、以下にその一部を添付しました。

「日寛の本尊論は、三秘を一秘に集約した本門の題目論ではなく、本門の本尊を一秘と規定しました。三秘を集約すれば、
本門の題目の一秘になるのは祖意であり、日蓮門下共通の見解です。ですから、大石寺を除く日蓮教学はみな題目論から
展開するのでありますが、石山は本門の本尊から三秘を展開してきます。石山教学というのは教学は全て本尊論から展開
されてくるのです。ここは大きな違いであります。
しかも、その本尊論の展開は、導入部分から全て誤りでございまして、引用した経文も全部別意の文であります。
しかも堅樹日寛の私情で解釈し、論が展開されているということであります。
 また、本尊に人法論を展開し、人法一箇の本尊を立てますがその本尊の特徴は、文底独一の本門の事の一念三千と称します。
人法一箇の人とは日蓮、法とは文底事の一念三千と規定します。この説は伝教大師の『秘密荘厳論』の「一念三千即自受用身」
を拠所といたします。人即法の理論は成立いたしますが、人即法の本尊の文証たりえません。
堅樹日寛の人法一箇本尊は独善的己義であり、曲会私情の釈だということでとりあえず結論として終らせていただきます。」
(日蓮宗現代宗教研究所嘱託愛知県 常唱寺修徒)
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/kyouka/02/02_060.htm

 

やっと更新に。

 投稿者:ダメよダメダメ~  投稿日:2016年 9月30日(金)15時45分57秒
  システム不良なのか?ご自分のご都合なのか?

やっと更新しました。柳原滋雄コラム日記。

会議があって何かご指示でもありましたか?

山友の事例持ち出し、元職員3名。田口、ハタチ両名を反逆者と決めつけ。同等に貶める作戦。

でも全く見当違いも甚だしいですね。

やはり一方的に信濃町界隈の偏向情報を元にした、憶測、推測、伝聞、風聞、決めつけ。

挙げ句、


 >○信仰の世界に「隠居」などという発想は通用しないものと思い知れ

隠居ってハタチ氏のニックネームもしくはHNなのでは?
どうでもいい話。余計なお世話でしょ?(笑)

あと、以下はご自分に言い聞かせておられるのか?
又は、信濃町界隈の最高幹部職員殿に仰られているのか?
ごくろうさんです。


 >○(不祥事を起こすなど)窮地のときこそ、自分は試されていると謙虚に自省せよ
 >○「自己正当化」と「逆恨み」のスパイラルに、よくよく注意せよ
 >○過去の栄光にすがるな 現在と未来にのみ生きよ
 >○間違ったことを間違ったと素直に認めることのできる勇気(=正直で、柔軟な精神性)を持て
 >○自身の欠点を鋭く指摘してくれる助言者を、必ず身の周りに持て


(本日の、柳原滋雄コラム日記より一部抜粋、引用。)
 

つれづれ断想 9.30

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2016年 9月30日(金)15時35分52秒
  「選び取る」という行為は、他人が用意してくれた物以外は手を出すな、ということ。
選択肢が限られている時点で「与えられる」とも五十歩百歩。
商品カタログのように“使命”のバリエーションが固定されるものではいけない。

もっとも、宗教団体機関紙らしからぬ通販広告が占拠する紙面にはお似合いの文言であるが。。

池田先生ならずともどこの誰かが「完成された創価学会」像なるものを保持して、信仰のあらゆる規範を定めているような錯覚に陥ってはならない。
信仰とは日々新たな決意を以って未踏の原野に足を踏み入れ、未知の領域を開拓する終わりなき心の旅とも言える。

  「求道すでに道である」
  「永久の未完成これ完成である」

    ーー宮沢賢治『農民芸術概論綱要』より
 

軍靴の音、かすかに・・

 投稿者:八風  投稿日:2016年 9月30日(金)15時12分43秒
  2018年には徴兵制が敷かれる。未来部も戦争に駆り出されるだろう。徴兵を拒否したら死刑になる?コンペイトウのおかげでいよいよ戦争したい安部が勢いづいている。先生が育てた学会の若き人材群がことごとく破壊されようとしている。いったいどうなっている。日本の平和勢力は。先生の平和思想を閉じ込めようとしている学会執行部。お前たちは万死に値する!

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13143796758
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/07/16/6904448
http://mokuou.blogspot.jp/2014/10/blog-post_56.html
http://blogs.yahoo.co.jp/jun777self/13636527.html
 

(無題)

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2016年 9月30日(金)15時06分3秒
編集済
  新世代育成をせず、活動家は減る一方。解散は一日でも早い方がいい。間が魔になるのか、時間が立つにつれて活動家は年をとり、Fは死に、元職員の本が売れたり、蓮舫の人気が上がったり、新・人間革命で昭和54年の真相が出たりしたらどうするか。
いよいよ切羽詰まって、池田先生の御健康回復のために、とか、また利用してくるのでしょうか。
 

法匪のハタチ対策ww

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年 9月30日(金)14時55分22秒
  対策会議でもやってるのかなww
今度は、ハタグチ対策会議になったかなぁww
 

またまた時間稼ぎ?

 投稿者:ダメよダメダメ~  投稿日:2016年 9月30日(金)13時42分18秒
  柳原滋雄コラム日記。
先週もそうだが、金曜日は何かご都合が悪い様ですね。
またまたクライアントが会議でもしていて、更新に待ったがかかっているのか?

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イケディさま

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年 9月30日(金)12時54分25秒
編集済
  物体化的な。なるほど。


私には、「決めた」感、「選んだ」感があります。

私は、歩いていた道を突然ふさがれました。

その道。
歩きづらく、苦痛が何度も押し寄せる、生きづらい道ではありましたが、
他の道を知りませんでした。
そう。
他と比較のしようもなく、これが正しいと思っていたのでしょう。


ふさがれた道をよく見たら、「ひかりは通行止め」・「ひかりは進入禁止」の立て札が。

そして、なんと道と自分の間には、深くて真っ暗な溝ができていました。

助走つけて飛べば、向こうの道に行けそうでしたが、「どうするんだ自分」と声がしました。

助走して飛ぶ価値があるのか?
この溝は何なんだ?

今まで気づかなかったのか、こんな溝があったことを。

「池田先生」と叫びました。

すると、新しい見たことない道が、キラキラ輝いて開かれました。

道はどこまでも輝いているようです。

こっちが正しい自分の使命の道だな。

そのように私は判断し、行くことに「決めた」のです。
 

またまた選挙活動ですか?

 投稿者:ダメよダメダメ~  投稿日:2016年 9月30日(金)12時28分16秒
  支部総会が終わり、部数が減部、減部で危機的状況で唯一の職員給与の原資でもある聖教新聞。推測するにその新聞啓蒙を会員さんに年内の目標を10月中に済ませましょうと煽り、即選挙体制に入る気配ですね。

以下、産経新聞webより引用。

公明が吹かす解散風 ベテラン幹部留任で態勢固め

産経新聞?9月30日 7時55分配信


 ■脳裏に平成21年大惨敗「先延ばし避けたい」

 にわかに浮上した「1月衆院解散・総選挙」説。その発信源と目されているのが公明党だ。「いつ解散があってもおかしくない」として早期解散に備えた態勢作りを急ぐ山口那津男代表ら幹部の脳裏には、「追い込まれ解散」で大惨敗を喫した平成21年衆院選の悪夢もちらついているようだ。

 「解散は安倍晋三首相が考えることだ。われわれはいつも受け身だ」

 山口氏は29日、参院本会議で首相への代表質問を終えた後、記者団にこう述べた。早期解散容認を修正したかに映るが、ベテラン議員は「17日の党大会以降、幹部の発言の焦点が解散に当たっているのは事実だ。幹部留任も早期解散にらみの布陣だ」と解説する。

 山口代表の5選が決まった党大会では現体制を維持した。井上義久幹事長、漆原良夫中央幹事会会長、太田昭宏前代表は「69歳定年」の党の内規の例外だが、早期解散ならば引退せず安定した力が発揮できることになる。

 もっとも、本音は苦い思い出の再来を避けたいことにあるようだ。公明党が早期解散を訴える構図は20年9月に発足した麻生太郎政権でもあった。代表だった太田氏は「先延ばしするほど状況は悪くなる」と麻生氏に再三、早期解散を求めたが、結局1年後に「追い込まれ解散」に。太田氏や北側一雄幹事長(当時)ら8選挙区の前職全員が落選し、全体で10減の21議席という大惨敗だった。当時の落選者は「いまだに党のトラウマだ」と振り返る。

 確かに来年早期の解散は公明党に最良だ。来夏は重視する東京都議選を控え、前後3、4カ月の解散は論外。都議選後は衆院議員任期が1年を切る年末以降の解散となり、「追い込まれ色」を帯びる。また、31年夏の参院選まで約2年間、国政選挙がない状態となり、支持母体の創価学会幹部は「“選挙疲れ”から脱し、日常活動に力を入れることができる」と漏らす。

 党関係者は早期解散について「首相が聞き入れてくれるかは分からない」と慎重な見方を崩さない。だが、こうも続けた。

 「早期解散を意識すれば国会審議も引き締まる。風なら風で、ずっと吹かせておけばいい」(千葉倫之)
 

原野に挑む

 投稿者:劔捨  投稿日:2016年 9月30日(金)12時12分14秒
編集済
  汗にまみれて進む身の
無名無冠に誇りあり
願い求めし
願い求めし栄光の
人の正義の求道みちなれば
あふる歓喜をだれが知る

今日もいばらの道拓く
明日も苦難の風ぞ吹け
心定めし
心定めし師子の子は
ひとり原野に挑み立つ
熱き生命をだれが知る

時代(とき)の流れに世は移り
友も半ばに倒るとも
誓い忘るか
誓い忘るか革命の
理想(ゆめ)に生きるぞ我はゆく
民衆(たみ)の涙をだれが知る

誓い忘るか
誓い忘るか革命の
理想(ゆめ)に生きるぞ我はゆく
民衆(たみ)の涙をだれが~だれが知る
 

(無題)

 投稿者:カンピース  投稿日:2016年 9月30日(金)12時01分9秒
  「使命」とは、「選び取る」ものではなく、「感じ取るもの」「自覚するもの」という

表現が適切かと思いマス。

アルベア論の「気付き」もこの一環でしょうか?
 

ひかりさま、便No.1は、略し杉(-_-)

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年 9月30日(金)11時33分48秒
編集済
  それは、かなりひどい呼称では?(_ _).。o○

「使命」とは、与えられるのではなく、自ら選び取るものだ。
不屈の努力と忍耐で、わが人生を勝ち開け!


使命が、何か物体化(指示書とか文書)していて、選んだり、与えたり出来るものなのかという事です。オカシいでしよ、随自意の先生の指導であれば、目の前に置かれたようなものを、『与えられる』まで待っていないで、『自ら選び取っていけよ』などとは言いません。

昔の男子部愛唱歌『原野に挑む』の歌詞を覚えている方、いませんか?広布開拓は、実は自身の生命の開拓であり、勇気なのでしょう。どこに、選びとるものが転がっていたり、与えてもらったりするのですかね。

先生のおっしゃる『使命』とは、そんな物体化して、もらったり、選んだりする簡単なものでは無いと認識していました。
 

イケディアンの住人さんへ

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2016年 9月30日(金)10時35分29秒
編集済
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/57253

違和感どころか「使命」について池田先生の過去の指導とは理屈の整合性がとれず支離滅裂なの明らかじゃないですか。

ずっと前から感じてたことたけど。
「わが友」は別人が引き継いでやってる感触ですね。
けど、本日のはさすがに池田先生と「同意」してない文面が明らか。
かなりズレてる聖教新聞社内の実態の一面がこうして出てしまったんじゃないかと。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

イケディさま

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年 9月30日(金)10時30分1秒
  違和感ですかー。ふーむ。そうかー。

私ねー、イケディ様、心にしみてくる言葉だなーと思いました。


それと9/28の、

「仏法は自立の哲学だ。
人に頼るのではなく。
自分が立ち上がる。
自らが環境を動かす。
わが人間革命に挑め!」
 ↑
「これ、いいよねー、心に響いたよねー」その日に会った人たちは言ってました。
久々の太陽の日差しに感動したみたいに。


便の№1が書いてたら? えーと。。。


力ある言葉って、人の心を打つじゃないですか。

花咲く桜は(誰が植えたかはその際意識から吹っ飛んで)、綺麗っていうのと似てるかなー。
 

2009年の正木さんの話(再掲)

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年 9月30日(金)10時28分42秒
  今年最初の(2009年)の随筆に地涌の菩薩について先生が触れられた箇所があったのであります。

もう一度、皆さん是非読み直していただきたいと思います。何故、地涌の菩薩が出現したか、

又地涌の菩薩の出現の意味とは何であったか。それを先生はこう言われております。

釈尊という大師匠は、彼らが漫然と決めつけていたような、小さな存在ではない。

永遠の生命力を具えた。桁違いの仏なのだ。その師匠の真の実像を、久遠の弟子である

地涌の菩薩である地涌の菩薩たちが電撃的に示して行ったのである。

それは、師匠はこんなものだという思い上がりや慢心、自分はこれまで十分戦ってきた、という惰性や傲り

(おごり)など、弟子たちの抜きがたい胸中の限界を打破した。

そして、もっと、偉大な、もっと尊高な力に気づかせ、さらに、元初の師弟の誓いに目を覚ませて行ったのだ・・
(聖教2009年1月6日・人間世紀の光 上)

中略

あの54年問題の本質とは、師匠をどう見たか、どうとらえたか、弟子側の問題です。

先生をただ三番目の会長としか見ない、歴代会長の一人しか見ない。

もし、池田先生が学会永遠の魂であり永遠の師匠であると捉えたら、 あんな対応になっていただろうか。

引用終わり・・

では、何故、正木さんは今でて戦わないんだとの声が聞こえてきそうですが・・

しかし、もう一歩、深く考えてみましょう。もし、正木さんが立ち上がって、我々を率いてくれていたら・・

我々は54年問題の本質を理解でき、先生を永遠の師匠として本当に 理解、覚醒、立ち上がることができたでしょうか?

延々と続く54年問題は我々の心の問題、つまり、我々に永遠の師匠を気づかせる為の

方便かもしれません。そして、同時に自分の本当の姿を知る為の・・


・・もう一つ・・


師匠を永遠たらしめる・・

第42回創大祭前企画特別講義(正木)の要旨より・・

釈尊や日蓮大聖人は、2500年、800年近く経過した今でも、現代人に影響
を与え続けている。

その為の三点・・
① 師匠の永遠性の確立
まず、何よりも、これから先も創価学会の師匠は池田先生であり、これは永久に変わらない。

変えてはならない。先生亡き後、学会を我が物にしようといったバカなやつらが必ず出現する。

会長とか副会長とか、役職に翻弄されてはいけない。

(出てます・・)


② 指導の永遠性を保つ事

池田先生が何をおっしゃったか、何を後世に伝えたく書き残したか。 これを正しく残さなくてはならない。

観念的な尊敬や師弟観ではならない。一部、都合の 悪い事に言及した指導を抹消しようと考えている人がいる。

そうさせてはならない。

(・・・)

ただ、池田先生の指導はあまりにも膨大である”池田大作全集”だけでも150冊以上ある。

君たち(創価大生)は先生の本を読んでいるといっても、ほんの100分の一さえ読んでいない。

(結局、読まなかった・・・)

③ 弟子の永遠性を築く事

①と②とも重要だが、これだけではダメである。池田思想を社会で実践し、実証を示す人が続かなくてはならない。

これら、①~③が揃って初めて池田先生が永遠に指揮をとられるという事がいえる。
 

聖教は9月から新体制

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年 9月30日(金)10時25分41秒
  人事があって体制が変わったようです。
青年部時代に勢いだけだった人物が中心になり、
ますます劣化が酷いですね。
 

(無題)

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2016年 9月30日(金)09時42分22秒
編集済
  使命は身・口・意の三業の先にあるもの。
だから自ら選ぶというのは正しいと思います。
おそらく「わが友に贈る」は池田先生がかかれていないと思いますが、過去膨大にある池田先生の言葉をリサイクルしていることが多いのではないでしょうか。
去年の今頃だったか、ジョーカーさんがピックアップされていた、当時、聖教掲載の池田先生の随筆か何かも、さっき私が載せた1990年杉並スピーチと同じ内容でした。(これを発見してくれたのは私じゃなく、どなたかの投稿)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/57252
 

あれ~(笑)

 投稿者:ダメよ~ ダメダメ  投稿日:2016年 9月30日(金)09時38分49秒
  今日の柳原コラム日記期待して待っていたのに(笑)

昨日の投稿にお知らせがつい先ほど追加。だけど新規更新が不可なんだ。

>●●お知らせ●●
>当サイトのシステム異常により、新規の更新ができない状態です。現在、原因を調査中です。復旧>次第、更新いたします。(Y)
 

本日の『わが友へ贈る』に違和感が有ります?

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年 9月30日(金)09時16分40秒
  違和感寿司では有りません(-_-)

青年部時代に読んだ先生の指導集(赤本か、青本か、緑本か定かでは有りませんが)での使命とは?が、かなり異なっています。誰が、書いているのか?先生ではないでしょう!

わが友に贈る 2016年9月30日  投稿者:どうみょうてん
投稿日:2016年 9月30日(金)07時23分41秒
「使命」とは
与えられるのではなく
自ら選び取るものだ。
不屈の努力と忍耐で
わが人生を勝ち開け

これは、かなりオカシいですよ。とにかく、本を探して反証します。今までの『わが友へ贈る』もそうなのですが、誰が先生から毎日原稿を預かって聖教に掲載しているのか?

実は、この『わが友へ贈る』は、池田先生ではない、便所男No.1が毎日書いているとか?
それだったら嫌だな~現会長ならもっと嫌だな~と思います(-_-)

本日は、『わが友へ贈る』が大変に違和感を感じました。
 

アイ・オブ・ザ・タイガー~私は獅子よりも虎が好き~

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2016年 9月30日(金)08時45分16秒
編集済
  〈新シリーズ〉若き師子たちに贈る  投稿者:小作人@地上の発心
賛同いたします!! 私も同じことを訴えたい。代弁して頂いているようで、嬉しく、感謝します。新シリーズに期待します。私の方は時間の都合で簡単に。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/?


「茶坊主どもがああしろこうしろゴチャゴチャ言ってくる前に~オモロイことってなんや? それを今から考えよう。自立した信仰者の深く静かな連帯の輪を広げゆくために」

「上からああせいこうせいコマゴマと打ち出しなけりゃ何していいか分からんようじゃ、昔もそうだったけど今これからの時代、そんな箸にも棒にも架からん人間もうどうしようもなくなるんや」

「社会に出たら最も必要とされる技量を創価学会を通して各々個人が身に付けていく。学会が今こんな有り様だからこそチャンスぞよ」

令法久住に必要な事。「自立」と「自律」。

「私が折あるごとにスピーチをさせていただいているのは、学会の将来を考え、今のうちに“知性の錬磨”の流れを完璧につくっておきたいからであ る。「知性」を磨かず、ただ純真という幼児のような心だけでは、縁に紛動されやすく、悪しき権威に利用されやすい。これも、過去の歴史が証明しているとおりである。自分自身できちんと正邪を見きわめていける、確かなる信仰者を一人でも多くつくっていく ――  これが今、もっとも正しく、もっとも大事な将来への道なのである。」
杉並区記念総会(1990年2月か3月頃)・ 池田大作全集74巻213 - 214頁

https://www.youtube.com/watch?v=btPJPFnesV4
 

ミック様、イケディアン様

 投稿者:ロマン  投稿日:2016年 9月30日(金)08時43分3秒
  当時はそうした人事もあったのですね。
ご教示ありがとうございました。
 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、昨日は何してたんですか~?

 投稿者:カンピース  投稿日:2016年 9月30日(金)08時31分26秒
  劣化の激しい政教珍聞。唯一の救いは3面の先生のメッセージ全文掲載のみか?

海外情報、アメリカ学生部研修会、オーストリア全国幹部会、約一月の遅れ

一般紙面は公明党代表質問が前面。一面ブチ抜き広告をはじめ広告の嵐。

読んでいくのも辛いデス。

大城様、たしかにその通りデス。

昨日の政教珍聞座談会、笠貫女史の発言、

「私も先月、原田怪鳥を中心とした南米訪問団の一員としてアルゼンチン、ブラジルを訪れました」

原田怪鳥の発言、

「訪問初日には日本以外で世界初となるアルゼンチン創価女性平和会館の開館式が行われました。席上、池田先生の奥さまにとって
23番目となる名誉学術称号が、国立ビジャマリア大学から授与されることになり、決議書が渡されました」

これって、いろんな突っ込みどころありありなんですけど~(笑)

もし、本当に「訪問団」たるものが存在していたなら、なぜ原田怪鳥、笠貫女史は、訪問団の団長等他の方にねぎらいの言葉がないのでしょう?
また現地の方々にねぎらいの言葉が無いのはなぜでしょうか?
原田怪鳥を中心に、という事は、団長は原田怪鳥デスか? 副団長はだれデスか?

先生・奥様に報告されたんですか~? 原田怪鳥は朝日新聞のインタビューで、いつお会いしたと言われてましたか?

インタビューで本当の琴を言われたのなら、授与の報告はされていないのでしょうか?

原田怪鳥様におかれましては、貧愚下賤の小生にもわかるようにぜひ説明してくださいね~(笑)
 

おはようございます。

 投稿者:ダメよ~ ダメダメ  投稿日:2016年 9月30日(金)08時17分50秒
  現在の信濃町界隈は臆病、姑息という宗祖や歴代の精神とは全くかけ離れているのは間違いない

と思います。

大石小石さんの仰る通り思考、手法が全てが姑息そのもの。

柳原さんも訳のわからない無意味なコラム書く前に、この川崎学生部騒動を検証されると良いと

思いますよ。信濃町から雇われていないと言い張るのであれば(笑)



「川崎学生部騒動についての一考察。  投稿者:大石小石

投稿日:2016年 9月30日(金)01時00分11秒

竹岡青年部長が誕生し、紙面では勇躍、前進さながらの記事になっている。

しかし、前任者の橋元氏および棚野氏の移動人事が未だ発表されてない、異常事態でもある。

橋元、棚野両氏は青年部長、総合青年部長と青年部最高幹部でもあった。
しかし、本来なら橋元学生部長、棚野同書記長、そこにあまり有名ではないが佐野某という学生部指導部長の序列でありその体制の時に川崎学生部騒動、事件が勃発。発端は間違った名前の御揮毫手渡し事件でした。

そもそも川崎の3人はこの橋、棚、佐野と一緒で池田学校創城会の先輩、後輩です。

今回、川崎の3人が秋に本を出版するにあたり、まちがいなくこの御揮毫問題にも触れるでしょう。

だとすると棚野。橋元青年部体制は矢面にたたされる可能性もでてくる。したがって今般、あまり人徳はないが川崎事件に関与してない?竹岡氏に青年部長を譲り、3人の人事はひとまず内外の評価次第。

だから未だ発表至らずなんでしょうかね? 」
 

(無題)

 投稿者:-Q-  投稿日:2016年 9月30日(金)07時53分27秒
  「取らない・出さない・入れない」(新聞・財務・票)の、三ない運動実行中。
「食法がき」を一掃するにはこれ以外の手段を思いつかず。

機関紙は、無料で読めるWeb版だけでたくさん。
「無冠の友」から労災保険を取り上げてまで強行する宅配制度など、即刻やめるべし。
むしろ、すみやかな廃刊こそが望ましい。

法を蔑ろにするエセ出家どもへの財施は、たとえ千円札一枚でも与同罪となることを認識すべし。
(さまざまなしがらみにより申込書の提出を拒否できない向きは、ATMを利用した賢明なる判断を)

わたしはどの政党の支持者でもない。現政権にはまったく失望している。
選挙になれば現状を少しでも改善するため、熟慮のうえ一票を投ずるだけ。

 

わが友に贈る 2016年9月30日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2016年 9月30日(金)07時23分41秒
  「使命」とは
与えられるのではなく
自ら選び取るものだ。
不屈の努力と忍耐で
わが人生を勝ち開け!
 

数字の嘘とファンダメンタルに翻弄される創価村!!

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年 9月30日(金)05時07分56秒
編集済
  社長と財務部長の居ない会社、創価村貴族社会(-_-)

現場知らずに、天井向いて会員に講釈する大患部を信用しては、いけません。報告される数字の中身が分からず安穏として実態を把握せず、昔ながらの手法と経験則にしがみ付いて、これからもイケるなどと妄想している創価村貴族社会に問題が有ります。

その昔の経済指標ファンダメンタルなどという死語と同じ感覚です。減速社会、逓減社会に突入し始めている実感が今だに創価村には無いのでしょう。先般のアルベアさまが案内したテレビ番組でも分かる通り、一極集中型組織で地方は消滅組織、大義名分だけで行う愚考・愚行の悪しき例が垣間見られました。重厚長大産業の創価村宗教は消滅します(-_-)
何の意義付けも無い大誓堂完成3周年とか5周年記念などという話は、聞き流して自らの宿命転換・現場組織の若返りを目指して折伏・弘教に頑張りましょう!!
 

おはようございます。

 投稿者:幸せな人  投稿日:2016年 9月30日(金)04時38分43秒
       おはようございます、やはり皆様そうですよね。
ほんとうに狂ってます。

勿論ほんの一例にすぎませんが、以前住んでいた地域で初めて伺った協議会で。

壮:「うーん、搾りにしぼってもあと1部か足りないー」

婦:「誰かいないのー?」(それなら、あなたは?)

    :「いいのよ.マイ聖教で!」

    :「Aさん。どうなのよ?」

            うつむきながら
A :「じゃっ、じゃあうちでもう1部」

皆:「やったー!」「たっせーい!」「ヒュー!」
        「わーい!」パチパチパチ

私:「なんじゃこりゃ?Aさん大丈夫かしら?お金ある        のかな?」

後日Aさん宅初訪問。

私:「うわっ!」新聞受けに大量に刺さった新聞。いや、刺さりきってない。


母ひとり子供三人で生活保護を受けてかつかつの家庭だった様でした。先輩になんなんだ!と文句を言ったのを思い出しました。その後少し減った様子をみて安心しましたが、今思えば1部で十分。

奥さんの地区では

担当幹部:「今年の目標は去年より拡大でね」

奥:「1人ひとりの決意の総和でよいのでは?」

担:「拡大の年よ!、足りない分は私が責任持つから!」

年末には言ったこと完全にお忘れの様で

担:「目標に達してないわよ。」

奥:「足りない分はやってくださるんですよね」

担:「皆でやるのよ!」

毎年の様に繰り返される様です。

ノルマーがっかーい?










 

ひかりさま!どんどん言って!!馬鹿は数字しか見ていないんですから!

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年 9月30日(金)02時55分35秒
編集済
  全く『怒』が、今も次から次と現場組織では続いています。便所掃除も聖教配達も集金もした事無い奴が、大患部になって居るからわからないの!

仕事も本部職員では、民間では使いものにならない無能と傲慢の塊。こんなのが創価村貴族社会に居て、組織に君臨して『まだまだイケる~』などと呑気に数字合わせしているのでしょうね。衰亡します!毎週聖教の真ん中紙面に掲載されている壮年部ブロック五勇士の集合写真を見ていれば普通の一般社会人の認識ならなら恥ずかしくて掲載しません。

この意味も分からずに、冥土の土産のように連載している(-_-)全国壮年部長って今誰でしたっけ?興味無いし、指導も聖教に出ていませんが、萩本さんですか?ヤング壮年部の集合写真を出して下さい。後期高齢者ばかりの現場組織集合写真では、墓に入る予備軍の記念写真撮っているようで情け無いです(-_-)
 

柳原さんは

 投稿者:eco◆Smw69  投稿日:2016年 9月30日(金)02時31分25秒
編集済
  最近は 国会図書館等へ行っているのかなぁ・・・
永田町横の あそこへ行けば 会える確率が高いかと思われますが
但し 身分証明書がないと 昔と違って厳しくなっていて
(特に2001年以降)あれこれ支障をきたすので この点は留意したほうがよろしいかと思われます。
 

ノルマの実態

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年 9月30日(金)02時02分58秒
  「度が過ぎません?いつも」とありましたので、この方に断っておきますが、

「度」ではアリマセン。

私の場合は「怒」が過ぎると言ってください。いくら過ぎたって構いやしません、正常です。

では、その原因である、「ノルマの実態」について、数字をあげてご説明いたしましょう。


あるときの地区。

71世帯あり、圏から世帯の150%の聖教実配率と打ち出し。

その時に聖教新聞を購読していたのは、約5分の3の42世帯。

そのうち多部数とっている合計が7部ほど。

42+7=49部

打ち出された目標は、71(世帯)×1.5=約107部

107-49=58部

さて、58部もの上乗せをどうしていたか。

必死の外部啓蒙で、なんとか30部ほどの上乗せ (今はもうムリです)

58-30=28部

この28部を地区幹部5名くらいで多部数として(多部数は既に目一杯しているにもかかわらず)分けて取ったんです。

一件でそんなにとっても無駄になるから、贈呈としてね。

ひかり家は、この目標達成に届かない穴埋めに7部から8部とっていましたよ、8年くらいずっとです。

そのうち、贈呈でも、入れないでほしいと断られ、徐々に減りましたが。

圏でも続かなかったようで、後日、目標は段々じり貧に減っていき、
ムリはそう続くものじゃありませんね、そのうち毎月を改め、
目標・瞬間風速の何%とか言うようになりました。

おかしい、おかしいと言って、活動停止の方がぽつりぽつり現れ、、、
先輩方もいなくなっていき、、、

どうすりゃいいのさ、多部数のカバーはもう限界と、、、

これが打ち出しノルマ(聖教珍聞編)の実態です。

いーですか、あなたに言ってます。そう、あなた。

民音・書籍・選挙の支援全国マップ制覇・埼玉応援・東京応援・栃木宇都宮だ・千葉どこどこだ

神奈川いないか・県内あちこち・早朝新聞配達・連日会合・小グループだ・ハートフル10だ

同中だ・配券だ集金だ・年配者の送迎だ・連れ出しだ・地域活動に積極参加だ

ふつうにPTA×子供の数・エトセトラ・・・

そして、生活のため仕事もしている。ほんとによくやってきたと思う。よく死ななかった。

これがブラックじゃないというなら、あなた、何て言うんです?




 

御書学担当者会

 投稿者:大城  投稿日:2016年 9月30日(金)01時59分4秒
編集済
  行って来ました
覇気が一つも感じられない酷い講義でした

案外おばちゃん様が御指摘の箇所、耳をそばだてて聞いてきました
色々話ていましたが、結論から言うと
佐渡御書が浮かびました

日蓮御房は師匠におわせども、あまりに怖し
我らは柔らかく

そんな講義に思いました

「戦って、戦って戦い抜く中、境涯が拡大」とか言っていたように思います
しかし、戦い抜く中で境涯が拡大するのでしょうか?

戦い抜き、難を呼び起こし、乗り越えることで境涯が拡大するのではないだろうか?
肝心なことが抜けている

彼の本心は難を起こすなんて、バカみたいと思っているのではないか?という印象を持ちました

難を起こさない信心は獄卒と牧口先生
ならば、難を起こす信心を目指さない教学部長は、獄卒となるのではないだろうか?

難を起こし、どう乗り越えたのか?
自身の体験を聞かせて頂きたいものである
それこそが戦う教学部長ではないか?

講義中、先生の御指導で「確認」とか
「観点」とか「ポイント」とか
予備校?

朝日新聞の原田会長が先生のことを話す姿勢と同じ臭いがした
どんな臭いか?って
一言で言えば、偉そう
上から目線

原田会長も、教学部長も目の前に先生がいらしたら、同じ言い方をするのだろうか?
恐らく違うだろう

池田先生は戸田先生亡き後も常に戸田先生の前にいる時と同じ姿勢だったと聞いている
本当の弟子は胸の中にいつも師匠がいる
だから、目前にいるいないは関係ない
同じ態度の筈である

そういえば、「ま、学会精神という言葉がありますけれど」と
「学会精神」を小馬鹿にしたような言い方をしていた

この人に師匠の偉大さが分かるのだろうか?と思った
「聖人御難事」
遠藤さん、須田さんの講義が聞きたいと思った

担当者会に参加する人が毎回減っている
今回は「激減」していた
学会教学が、落ちていることを皆感じているようである

今日の聖教
座談会コーナー
実際は座談会していないと噂のコーナーに噂の人が登場していた

「原田会長を中心の南米訪問団の一員として」と発言
原田会長中心の南米訪問団?
原田会長が団長ということだろうか?

見出しは
「学会の永続性を今」

先生が言われている「学会の永続性」とは?
2009.4.14
「共戦」初披露の時の御指導にある

誓いを貫き同志を護り、師弟不ニの戦いをする弟子が現れるかどうか?
それ以上でもそれ以下でもない

誓いを忘れ、難を呼び起こすなんて馬鹿の骨頂と思い、「下駄の雪」と馬鹿にされ、師匠を貶めても、平気!
自分と自分の家族さえ、安泰で贅沢出来れば、それでいいと思っている人達に、師匠の心が分かる筈はない

創価学会を永遠に発展させていく唯一の道
それは、三代会長の軌道に戻し、その通り実践すること

創価学会の永続性の為に本当に戦っているのは、宿板の猛者達ではないか!と思う
54年を総括しているのは、その為だ!と思う

創価学会の永続性を本気で求めるならば
是非とも、54年の総括を原田執行部、自らして欲しいと思う

羊頭狗肉はもうたくさん!
先生は言われた
「師弟を掛け声でおわらせてはいけない」
掛け声だけの「師弟」はもうたくさん
難を覚悟し、肉を切らせる戦いを原田会長始め壇上幹部の皆さんに、お願いします

宿板メンバーズはそんな戦いをしている!

その姿勢に自分は賛同し、敬意を持ち、後に続く努力をしている
恐らく沢山の閲覧者も同じ思いだろう

先生は教えて下さった
「どぶに捨てても金は金である」
どんなドブに捨てられようとも真金の輝きを失っていない
それを宿板の皆さんに感じている

分派活動でも、執行部批判でもない(諫言である)
真金の弟子の戦いをしているのである
 

ロマンさま、有ります!!

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年 9月30日(金)01時30分18秒
編集済
  昭和30年代~50年代初頭まで、例えば先生が文京支部長代理の時の支部長は女性、初期の全国女子部長に、婦人部幹部がなっていたと言う話を草創の幹部の方からお聞きしました。  

忘備録より抜粋。

 投稿者:大石小石  投稿日:2016年 9月30日(金)01時16分18秒
  54年4月初~7日

4月5日池田会長勇退の流れ

首脳会議にて池田会長より辞任の話、首脳に諮る。
立川文化。
北条、秋谷、和泉、辻、山崎尚、野崎。

山友を立川文化に呼び、池田会長辞任の話。

(勇退勧告書に署名した6部長か?)

山友、大宣寺に連絡し菅野師が立川文化へ来る。
池田会長、山友、菅野師と会談。

続く…。
 

川崎学生部騒動についての一考察。

 投稿者:大石小石  投稿日:2016年 9月30日(金)01時00分11秒
  竹岡青年部長が誕生し、紙面では勇躍、前進さながらの記事になっている。

しかし、前任者の橋元氏および棚野氏の移動人事が未だ発表されてない、異常事態でもある。

橋元、棚野両氏は青年部長、総合青年部長と青年部最高幹部でもあった。
しかし、本来なら橋元学生部長、棚野同書記長、そこにあまり有名ではないが佐野某という学生部指導部長の序列でありその体制の時に川崎学生部騒動、事件が勃発。発端は間違った名前の御揮毫手渡し事件でした。

そもそも川崎の3人はこの橋、棚、佐野と一緒で池田学校創城会の先輩、後輩です。

今回、川崎の3人が秋に本を出版するにあたり、まちがいなくこの御揮毫問題にも触れるでしょう。

だとすると棚野。橋元青年部体制は矢面にたたされる可能性もでてくる。したがって今般、あまり人徳はないが川崎事件に関与してない?竹岡氏に青年部長を譲り、3人の人事はひとまず内外の評価次第。

だから未だ発表至らずなんでしょうかね?
 

山崎尚見氏

 投稿者:ミック  投稿日:2016年 9月30日(金)00時46分46秒
  山崎氏は確かに唯一全国婦人部長を務めた男性です。
その頃だったかと思いますが、美坂房洋氏が全国総合女子部長、井上幹生氏が全国副総合女子部長に就いていたこともあったと記憶しています。
 

あれ、私の思い勘違い?

 投稿者:ロマン  投稿日:2016年 9月30日(金)00時04分12秒
  あの~、山崎尚見氏が全国婦人部長とのことですが、男性が婦人部長になったことがあるのですか?
本部幹部会で、先生に呼びかけられて「へい」と言ってしまった山崎尚見氏であり、先生に「秋谷と山崎(尚)は私を大学出ていないと馬鹿にしていたんだ」と指摘された方のことですよね?
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2016年 9月29日(木)23時46分39秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
真剣に題目があがりました
感謝します
おやすみなさい
 

小作人@地上の発心さま

 投稿者:大石小石  投稿日:2016年 9月29日(木)23時36分32秒
  ご指摘、ありがとうございます。

昨夜はつい、記憶ベースで書き込みしてしまいました。

しかし、思うに山崎尚見氏、野崎勲氏は師匠、池田先生から本当に期待されていましたね。

言論問題時のいわゆる人材空白期間を経、あらわれた方々。
その先の上田雅さんは残念ながら体が弱かった。
その分、頑張っておられるのが京子さんです。

戸田先生時代は和泉さん。秘書室でしたか。
 

全集未収録スピーチ

 投稿者:無冠  投稿日:2016年 9月29日(木)23時05分37秒
  全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2009-5-3 【5・3記念代表者会議③】

● 立つ時は今!
 一、このたび、アメリカのアラバマ州バーミングハム市より、SGI(創価学会インタナショナル)の、人権を護る正義の闘争を讃えて、意義深き顕彰が贈られた。
 バーミングハム市といえば、公民権運動の指導者キング博士が、青年とともに戦い、歴史的な勝利を勝ち取ったった人権闘争の象徴の地として、あまりにも有名である。
 そのパーミングハム市の市議会が、キング博士の非暴力闘争と、創価の三代にわたる人権闘争に敬意を表し、4月16日から25日までを、全人類のための創価の正義」慶讃期間とする、と宣言してくださったのである(大拍手)。
 顕彰状には、キング博士が同市で逮捕され、牢獄から送った、名高い手紙の一節が紹介介されている。
 それは「ある場所の不正義は、あらゆる場所の正義にとっての脅威である」(梶原寿著『マーティン・L・キング』清水書院)という、強い強い信念の叫びであった。
 悪は絶対に放置してはならないことを、キング博士は誰よりも知悉していた。一つの悪を、リーダーが真剣勝負で徹底して打ち破ることが、全軍の大きな勝利につながっていくのである。
 博士は、その断固たる深遠をもって、人種差別の激しいパーミングハムの街に乗り込み、闘いを開始した。
 今から46年前のことである。

● 全米を動かした青年たちの闘争
 一、やがてキング博士は投獄された。しかし、博士の叫びに呼応した青年たちが先頭に立ち、敢然と闘いを続けていった。
 その闘争が熾烈を極めたのが、同年の5日8日から5日にかけて行われたデモ行進であったといわれる。
 しかし、青年たちは怯まなかった。あくまでも非暴力の信念を貫いた。

  ◆激しい変化=現代は「智慧の戦い」「心の宝」「知性の宝」を磨け

 苛酷な弾圧の模様が各種メディアによって報道されると、反響は全米に広がり、やがて大きな波動となって政府をも動かしていった。
 闘争が最も厳しい場所での、庶民の一歩、一歩の前進。そして勇気ある一声、一声の叫び。民衆の行動が、巨大な不正義の壁を、ついに乗り越えていったのである。
 キング博士は語っている。
 「正義というゴールへのステップは、どれも犠牲や苦悩や闘争がつきものである。
 つまり、献身的な個人の、疲れをいとわぬ骨折りや熱意が不可欠である」(C・Sキング編、梶原寿・石井美恵子訳『キング牧師の言葉』日本基督教団出版局)
 今、このバーミングハムの天地でも、多くのSGIの友が、平和のために、そして価値ある人生のために、生き生きと活躍しておられる。
 地域に大きな信頼と友情の光を広げるなかで、SGIへの深い理解と共感が寄せられ、今回の輝かしい顕彰となったのである。
 世界の各地から相次いで寄せられる顕彰は、すべて、世界広布の偉大な前進の象徴であり、それぞれの地域の目覚ましい発展の証しである。
「良き市民として、良き国民として、地域に貢献し活躍される全世界の同志の皆様方、万歳!」と、大声で、私は叫びたい(大拍手)。

■ 一、正義の人には、嵐が起こる。しかし、心は晴れやかだ。
 フランスの文豪ユゴーは、権力者を糾弾し、亡命を余儀なくされた。信念の論陣を張った息子たちも、相次いで投獄された。
 追放された年の暮れ、ユゴーは妻への手紙に、こう記した。
 「私達にとって苦難の年であった今年も、今日で終わりだ。二人の息子は牢獄にいるし、私は流刑の身だ。
 辛かったけど、しかし、よかったよ。
 少し霜が降ったほうが収穫もよくなるものだ。なぜなら歓喜は、苦悩の大木に実る果実だよ」
 この気概!
 この確信!
 この不屈で、ユーゴーは生き抜いた。
 亡命は19年にも及んだ。49歳から68歳までの問、一度も祖国に帰るごとばなかった。
 振り返れば、創価の師弟も、権力の悪と戦い、正義を貫いた。私自身、無実の罪で牢に入れられ、法廷でも闘い抜いた。
 「勝負は裁判だ。裁判長は、必ずわかるはずだ」ー戸田先生が遺言された通り、私は無罪を勝ち取った。
 歴史上、多くの正義の關士が迫害されてきた。それを思えば、今は恵まれている。
 環境に甘えて、いい気になったら、とんでもないことだ。革命児の気概を、絶対に 失ってはならない。
 亡命先でなお、創造の炎を燃え上がらせたユゴーのごとく、不屈の師弟の勝利の劇を、晴れ晴れと綴ってまいりたい(大拍手)。

● 真の人間になれ
 一、現在、私は、キング博士の盟友としてアメリカの公民権運動をともに闘った。、著名な歴史学者のビンセソト・ハーディング博士と対談を進めている。
 キング博士の思い出や秘話をはじめ、幅広いテーマで語り合っていく予定である。
博士は、語らいのなかで、社会に貢献する人間のあり方についても述べておられた。
「私たちは、人間に生まれたというだけで、真の人間になれるわけではありません。
 人間となることを目指し続けてこそ、真の人間となれるのです。
 そのために大切なのは、人のために貢献し続けることなのです」と。まさに、その通りである。
 世界の中で生きる自分を見つめ、行動しながら思索し、思案しながら行動するのだ。
 スペインの哲学者オルテガは、「人間の運命は、まずもって行動である」と述べている(佐々木孝、A・マタイス訳『オルテガ著作5』白水社)。
 人々の幸福を願い、貢献しゆく創価の人生は、最も崇高な実像がある。人間として最高に満足で、充実した人生の正道なのである。

● 原点に立ち返れ
 一、ハーディング博士は、とりわけ、宗教の重要性を強調しておられた。
 宗教のあり方について、次のようにも述べられている。
 「私たちが、宗教を正しく実践するためには、常に、その原点に立ち返ることが不可欠です」と。そして、その原点とは、「始祖の振る舞い」にあるとおっしゃっていた。
 私たちににとって、根源の始祖とは、日通大聖人であり、師子王のその御姿こそ、永遠の原点である。
 また大聖人は「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(御書1174ページ)と仰せである。宗教の真の価値ーそれは、人間の行動によって輝きわたるのである。
 さらに博士は、こうも語っておられた。
「信仰は、人と人の間、社会の中にこそ、伝えられていくものです。そして、その信仰が、果たして、人間の中で、また社会の中で、力を発揮しているかどうかを、私たちは常に問いかけていく勇気を持たなければなりません」
 全くその通りだ。
 宗教は、人間の幸福のためにある。
 ゆえに、その宗教をもつことが、人間を強くするのか、弱くするのか、善くするのか悪くするのか、さらには、賢くするのか愚かにするのかを、検証していかねばならないであろう。
 〈博士は、こうも述べている。「池田SGI会長は、私たちに、一切の差異を乗り越え、平和と共感は築けるのだ、ということを身をもつて示してくださっております。そのSGI会長の指導力によって、創価学会は堅固な砦を築かれました。しかしその砦は、他を寄せつけない〃孤塁〃ではなく、世界へと平和を広げていく〃跳躍台〃なのだ、との感銘を深くしております」「SGIのような正義と真実のために戦う、世界の人々の善意を今こそ結集すべきです」〉
 ここで、キング博愛士の不滅の言葉を、わが友に贈りたい。
 「われわれはすべての行動において団結しなければならない」
 「いま最も必要なことは団結です。もしわれわれが団結するならば、われわれは単に望んでいるものだけでなく、正当に受けるべきものをも多く獲得することができます」(ともにクレイポーン・カーソン編や梶原寿訳『マーテイン・ルーサー・キング自伝』日本基督教団出版局)

● 「勇者は、必ず敵に打ち勝つ」
 一、「師弟不二」の道は、あまりにも峻厳である。
 日蓮大聖人が御入滅された弘安5年(1282年)のその時、日興上人は数えで三十七歳。
 それから、実に五十年以上にわたって、日興上人は、後継の広宣流布の指揮を執り続けていかれた。
 ただ一人、師匠の定義を、護って護って護り抜かれた生涯であられた。
 本来であれば、大聖人が「本弟子」として定められた「六老僧」の仲間が、日興上人を支え、お護りしなければならなかった。
 しかし、彼らは「本弟子」の座から転落していった。人間の心はわからない。
 彼らは、権力に屈して「天台沙門(天台の一門)」と名乗って天台宗の祈祷を行ってしまったのである。
 そこには、「日蓮が如く」との魂は、全く感じられなかった。
 その重大な違背は、一つには、弘安8年(1285年)―大聖人の滅後、わずか4年目のことであった。
 日興上人は、そうした実態を、後にこうされている。
 「日蓮大聖人の御弟子六人の中で、五人は一同に、大聖人の御名前を改めて天台の弟子と号し、自らの住坊を破却されようとする時、天台宗を行じて祈祷をするという申状を捧げることによって、破却の難を免れたのである」
 難を逃れるために、「日蓮大聖人の弟子」との誇りある名乗りを捨て去ったのである。
 その濁流に抗して、日興上人は、決然と、一人立たれた。
 ただただ、師匠の戦われた如くに戦う。それが日興上人の心情であられた。
 日興上人の諫暁の書である「申状」を開いても、大聖人の御諫暁と全く変わらない。
 例えば、大聖人滅後8年目にあたる正応2年(1289年)には.武家への申状を認められている。
 大聖人の滅後の世相は、3度目の蒙古襲来におびえ、国内は乱れ、世情も不安定であった。
 日興上人は、「今の状況は、全く師匠である日蓮大聖人が予言されだ「立正安国論」の通りではないか。本来であれば、国を挙げて、わが師匠である日蓮大聖人を賞すべきではないか」と叫ばれたのである。〈「今国体を見るに併せて彼の勘文にに符合す争か之を賞せられざらんや」〉
 この堂々たる師子吼こそが、弟子の実践の真髄である。
 どこまでも、どこまでも、命を賭して、師匠を宣揚せんとの魂が脈打っておられる。
 「日蓮上人の弟子東長沼腰重ねて申す」―東長沼腰聖人は、威風も堂々と、「私は日蓮大聖人の弟子である」との一点から諫暁を重ねておられた。
「伝教大師が弘めた法華経は迹門であり、先師・大聖人の弘めた法華経は本門である」と、師匠の正法正義を、一点の曇りもなく、訴え抜いていかれたのである。
 「天台沙門」などと名乗る五壱僧との相違は、あまりにも明らかであった。
 たとえ師が偉大であっても、その精神を継ぐ真正の弟子がいなければ、結局、何も残らない。
 半世紀にわたって、大聖人と同じ心で戦い抜かれた日興上人の大闘争のゆえに、「師弟不二の大道」が万年の未来へ厳然と開かれたのである。
 この大聖人と日興上人に連なる、創価の三代の師弟もまた、師の偉大さ、師の正義を、叫んで叫んで叫び抜いてきた。
 ここに、創価の永遠の栄光があることを知らねばならない。
 中央アジア・カザフ民族の英知の格言に、こうあった。
 「勇者は、必ず敵に 打ち勝つ」
 大聖人の烈々たる御確信にも通じる言葉だ。
 臆病は悪である。
恐れなく、勇気をもって戦おう!「ハイ!」と返事が〉

■ 一、城といえば、江戸城は、「近世築城法の始祖」と仰がれた武将。太田道灌資長)が中心となって築かれたとされる。
 地勢を生かした江戸城は、攻守ともに優れていたという。
 たとえ敵に攻められても、二重、三重の守りで防ぎ、反撃に転じられる備えがあったと推定されている。
 ただし道灌は、守城の戦いはしなかった。
 むしろ、打って出た。
 攻撃精神へ反撃精神ありてこそ、城は難攻不落となる。
 戦野を駆ける道灌の騎馬像が、懐かしき東京・荒川区の日暮里駅前に立っている。
 関八州を舞台として走りに走り、戦って戦って戦い抜いた。30回以上の合戦に、勝って 勝って勝ちまくった。
 その常勝の強さは、どこからきたのか。
 さまざまな点から研究されている。
 自らが先頭に立ち、各地の戦乱を治めた道灌は、名将中の名将と讃えられた。
 多くの場合、要の江戸城は信頼する者に託し、将たる自分は、最も困難な最前線に飛び込んで戦った。
 広宣流布の方程式も同じである。
 その通りに、三代の師弟が先頭に立って戦い抜いたからこそ、今日の勝利があることを、確信をもって申し上げておきたい。
 戸田先生は常々、中心者が大事であると言明されていた。
 そして、「三代で決まる。三代が大事だ」
 「第三代会長を守れば、広宣流布は必ずできる」と語られた。戸田先生の遺言である。
 その言葉のままに、私は、同志とともに、完壁なる世界広布の基盤を築き上げたのである(大拍手)。
 「道灌の強さの秘訣は、電光石火のスピードにもあった。
 時を待ち、機が熟したと見るや、たたみかけるように攻めて攻め抜いた。鍛えに鍛えた
 精鋭の勢いある機動力が、戦を決した。
 そして道灌は「最前線の心を知る」名将でもあった。絶妙な言葉をもって、最前線の味方を激励し、勇気と力を引き出すことができたと伝えられている。
 いずれも、勝利に不可欠の要件といってよい。(大田道灌については編渠部でまとめる際へ前島康彦著『太田道灌』太田道灌公事績顕彰会、勝守すみ著『太田道灌』人物往来社、『大田道真と道灌』幹書房等を参照した〉

● わが激戦の心に勝利の青空を!
 一、結びに、童話王アンデルセンの言葉を重ねて贈りたい。
 「自分の値打ちがわかっていれば、どんな嵐にもめげずに胸を張っていられるんだよ」
(デンマーク王立国語国文学会編集・鉛木徹郎訳『アンデルセン小説・紀行文学生集1』東京書籍)
 わが同志は、偉大なる妙法のために行動する、世界第一の尊き方々である。その最高の誇りをもって、強気で戦い抜くことだ。
 さらにー「精神の富には祝福が宿っており、人に分かち与えることができればできるほど豊かなものに膨らんでゆく」(「同全集9」)
 喜びや感動を友に語れば語るほど、わが精神も豊かになる。生命が不滅の福運に包まれることは間違いない。
 そしてー「信仰の清らかな光は太陽のようなものだ・暗黒の日々を経て、ついには暗闇を突き破って輝き、そのとき暗雲は消え去ってしまうんだ!」(同)
 太陽の仏法は、無敵の兵法である。
 苦難の闇、邪悪の暗黒を打ち破れないわけがない。
 敬愛する同志の皆様に、和歌を贈りたい。

     天も晴れ 心も躍る
       創価の日 元初の誓いは
         いやまし光りぬ

     わが友が
       嵐を越えて むかえたる
         五月三日の 晴れの姿よ

     勝ちにけり
       断固と我らは 勝ちにけり
         万歳叫ばむ 仏の生命で

 わが激戦の心に「5月の勝利の青空」を晴れ晴れと広げ、一段と全同志が健康の生命を輝かせてまいりたい。
 そして明年、創立80周年の「5月3日」ヘ向かって、朗らかに、ー勇気凛々と、異体同心の大前進を決意し合って、記念のスピーチとしたい。
 また、元気にお会、しよう!(大拍手)

 

同盟題目

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年 9月29日(木)22時56分16秒
  23時開始します。よろしくお願いします。  

大白啓蒙の勧め!

 投稿者:いいぐるメール  投稿日:2016年 9月29日(木)22時48分41秒
  聖教新聞を読んで頂くのは信仰活動です。
聖教新聞を取って貰うのは営業活動です。

信仰活動はコピーであれ切抜きであれ
素晴らしい振る舞いと確信します。

しかし我々の組織は取って貰う活動には
賞賛を惜しみませんが読んで貰う活動には
さほど賞賛を送りません。

本来の信仰活動はどれだけ読んで頂いたかに
ポイントを置くのが正常な姿だと思います。
大聖人のお手紙を皆で読むようにとの記載は
有りますが書き写して販売しろと言う記述など
有りません。

その事を何とか婦人部の方々に理解して頂きたく
男子部地区リーダー時代、二十代には3年間夫婦で代配無し集金まで
の配達員をやりました。生後6カ月の乳飲み子を抱え
近隣に親も親戚も一切いない都内での事です。

ある年末に家族全員がインフルエンザに罹り
重い新年号を抱え40℃の高熱で
ベビーカーを押しながら配達した事も有りました。

しかし婦人部の方々には「婦人部はそういうわけにはいかなのよ!」
とのまるで闘いもしないで能書きを垂れる若造が!との目で見られ
理解して頂けないので理解して頂こうと年間100ポイント以上の啓蒙を
10年以上続けましたが単なる戦力として賞賛されるのみで
真意を理解はして頂けませんでした。

ただその際工夫したのはポイントにはなりませんが
必ず大白を付けて啓蒙しました。

仕事の関係でお願いすれば取ってくれる方は沢山いたのですが
学会の人事や会合の羅列が多い新聞を有償で取って頂くと
面従腹背の返って法を下げる人を増やすのではと考え
代金は全て贈呈で行いました。

しさし昨今の紙面の劣化を鑑みるにコピーや
切抜きさらに大白の贈呈がある意味一番の
弘教かと考える次第です。

配達員時代、玄関に積まれ雨に濡れた新聞の山。
お金は払うから入れないでくれるという外部の方々。
職員幹部の婦人部御機嫌取りの為の納入業者の
啓蒙用紙。こんな事が本当に広宣流布につながるのか?
と随分悩みました。確かに組織で行う莫大な数の
啓蒙の中からそれが縁で発心する方々がいるのは事実でしょう。
しかしその陰でパワハラまがいで学会を嫌悪し仏法から
とうざかる所謂法を下げる行為をしているのでは無いかと。

新聞は簡単に捨てれますが本は中々捨てるのに躊躇します。
大白を贈呈しその中の読んで頂きたい記事を教えて
お願いするのが一つの闘いになると確信し行って来ました。

ここを御覧の職員の皆様。このような献身的な闘いで皆様の
御家族が糧を得ている重みをお考え頂けますか?
また大白の編集に関わる皆様。私は皆様のにはまだ信心と真心が
有ると確信しております。

会員は職員のエサでは無いのです。一生は夢の上です。
臨終は誰しも訪れます。生活の不安、将来の不安、家族を飢えさせない。
色々な悩みはあると思われますが勇気を持って師匠の弟子として
立ち上がって内なる悪と闘って下さい。

貧乏の最中、仏法信じ師匠を信じ闘ってまいりました。
あれから二度の生死に関わる病を奇跡的に乗り越え
不自由の無い境涯に成りました。

再度申し上げます。乳飲み子を抱え極貧の最中、
頂いた配達量は一銭のこらず。財務にしました。
全国のこのような会員の血の滲むような献身で
支えられている職員の皆様の生活です。
今、何を為すべきか?貴方しか出来ない使命は?
お考え下さい。悪と闘う正義の人を大聖人の仏法は
絶対に守ります!これが私の体験からの確信です。
日蓮仏法はそんな力の無い仏法では有りません。
その功力を出せないのは己の勇気が無いだけなのです。

この世に生を受け会い難き仏法に巡り会い
会い難き師匠の元で職員になったのは
何な為!ですか。
 

(無題)

 投稿者:臥子龍メール  投稿日:2016年 9月29日(木)22時21分55秒
  法華経の智慧従地涌出品第十五より

「難即悟達、忍難即仏界」

池田 大事なことは、私どもの原点である戸田先生の悟達が、この「獄中」でなされたという一点です。

法華経ゆえの投獄です。「四恩妙」に仰せのごとく、これは四六時中、片時も休まず法華経を身読していることに通じる。そのなかで、戸田先生は「我、地涌の菩薩なり!」と、豁然かつぜんと悟られた。大難のまっただなかでこそ、人間革命されたのです。難即悟達です。これこそ、まさに「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」の御金言を身をもって証明された姿といえよう。厳しく言えば、難なくして、本当の「日蓮と同意」とはいえないのです。

この「獄中の悟達」こそ、私どもの、永遠の原点です。法華経を現代に蘇よみがえらせた一瞬であり、「人間革命」という太陽が現代に昇った一瞬だった。その時、闇は深く、だれも気がつかなかったが、夜明けは戸田先生の胸中で始まっていたのです。

斉藤 その「獄中の悟達」については、戸田先生がいろんな形で言い残されています。それは昭和十九年の初冬のことでした。この時、戸田先生は、法華経の真理をつかもうと、真剣な唱題を重ねながら思索を続けられていました。

遠藤 「わかりたい、わかりたい」と独り言を言われて独房の中を歩きながら、寝ても醒めても法華経の原文と格闘された。このように戸田先生自身が書かれた小説『人間革命』に述べられています。そして、年頭からの題目が百八十万遍に達しようとしていたある日の朝、しんしんと清々しい唱題をされている時に、戸田先生は不思議な体験をされました。

「夢でもない、現うつつでもない……時間にして、数秒であったか、数分であったか、それとも数時間であったか……計りようがなかったが、彼は、数限りない大衆と一緒に虚空にあって、金色燦爛こんじきさんらんたる大御本尊に向かって合掌している自分を発見した」

「これは、嘘ではない! 自分は、今、ここにいるんだ! 彼は叫ぼうとした時、独房の椅子の上に座っており、朝日は清らかに輝いていた」

ご自身が涌出品に示された虚空会の世界にいることを覚知されたと言うのです。

池田 世界広布の原点となったのが、この時の戸田先生の悟達です。

「我、地涌の菩薩なり!」──。

この戸田先生の大確信から、広宣流布の壮大な流れが、ほとばしり始めた。

須田 戸田先生は書いておられます。「今、眼の前に見る法華経は、昨日まで汗を絞っても解けなかった難解の法華経なのに、手の内の玉を見るように易々と読め、的確に意味が汲み取れる。それは遠い昔に教わった法華経が憶い出されてきたような、不思議さを覚えながらも感謝の思いで胸がいっぱいになった」「よし! 僕の一生は決まった! この尊い法華経を流布して、生涯を終わるのだ!」と決意された。

池田 不思議と言えばこれほど不思議なことはない。しかし、戸田先生にとっては、まぎれもない体験であった。

先生は、「霊山一会儼然未散(霊山一会、儼然として未だ散らず)」のお言葉を身で読まれたのです。

斉藤 日淳上人は、戸田先生を「地涌の菩薩の先達」とたたえておられます。戸田先生が先達となって、地涌の菩薩である七十五万世帯の学会員を、この世に呼び出されたのであると。七十五万とは南無妙法蓮華経の「七字五字」とも言われています。

涌出品は、まさに学会の生命線ともいうべき一品ですね。

  「宝塔の中へ入るべきなり」

須田 この戸田先生の自覚は、それ以前の「仏とは生命なり」という悟達と、どのような関係にあるのでしょうか。

斉藤 「仏とは生命なり」とは、昭和十九年の三月初め、戸田先生が無量義経の経文を思索している時に得られた悟達ですね。有に非ず、無に非ず……という「三十四の否定」を超えて実在する仏とは何なのか──と。地涌の菩薩の悟達は十一月のことですから、その間には八ヵ月ほどの経過があります。その間、戸田先生は引き続き、唱題と思索を続けられました。

遠藤 「仏とは生命なり」との悟達は、どちらかと言えば、知的な側面が強いのではないでしょうか。それが、全人格的な体験へと深まったものが「地涌の菩薩の自覚」ではないかと思われます。その意味で、二つの悟りは一連のものと言えるのではないでしょうか。

池田 戸田先生の悟りの全容は、とうてい語り尽くせないが、先生は法華経ゆえに投獄された。迫害に耐えて信念を貫いた。そのこと自体が法華経を身をもって読むことであり、全人格的な体験です。忍難即仏界です。難と戦う信心によって、生命に大変革が起きたのです。「諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし」との仰せの通りです。

悟りとは単なる認識ではない。ここが大事です。永遠の生命は認識するものでなく、それを生きるものです。修行が必要なのです。なぜならば、認識しようとしても、そうしようとしている自己自身をも支えているのが「生命」だからです。「波」に「海」をつかむことはできない。「小」で「大」をつかむことはできない。では、どうするのか。

大いなる永遠の生命を、小さな我が身の上に顕現する──涌現する──以外にないのです。そためには、全存在をかけた自己浄化が必要です。それが仏道修行です。

娑婆世界の衆生の心は、煩悩や業によって顛倒てんどうしている。すなわちわれわれの生命は、本来は「妙法根本」です。それが、「エゴ根本」になってしまうのが顛倒です。仏界という「永遠の生命」が自己の上にしみ通ってくるのを、その顛倒が邪魔しているのです。

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「顛倒」今の学会の執行部に限らず、多くの本部職員、地方幹部、末端の地区幹部?までにあてはまるでしょう。
意気地なしで、臆病で、だけど、我見は強くええかっこし―で信心薄く、信仰体験がほぼ無く、祈る、命を懸けて祈るという事に遭遇したことが無く、組織活動が信心だと思い込んでる哀れな方々の事ですよ。

死を覚悟した時に、一人で静かに死んで往くか、家族か誰かに看取られながら幸せを感じながら死んで往くか。

キリスト教風に言えば、最後の審判の際、「顛倒」の人生に幸福感は有るのだろうか?

私は他者の幸せの為、どれだけ身を尽くしたか、心を砕いたか、財を投じたか、育てていったか、そこに人間としての完成を観る。

互いを助け合わない学会に、ただ数を算定するだけの集計マシーンに成り下がった学会にいったい何を期待するのでしょうか?

困窮している方々のためにいったい何をしてあげているのでしょうか?

創価貴族に安住する本部職員は困窮する人々に慈愛の手を出すことは有りませんせん。
民衆ファーストではなく自分ファーストですから。

現代の身延離山。
考えなければいけない状況になっていますね。

get up!  stand up!
出でよ現代の日興よ!!



 

誰か私に聞いた? さま

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年 9月29日(木)21時59分10秒
編集済
  その通りで、広布後継の指針では会館は根本道場、題目を唱えるところであって会員をかき集めて打ち出しする場所では有りません。折伏・弘教の中心、患部が集まって無駄な打ち合わせやら気に食わない会員を呼び出して査問・除名するところでもない。また、暇つぶし患部が寄り合いして本幹再放にも参加せず遊戯雑談して、アフター呑み会の打ち合わせをする場所でもありません。

管理人も居ない、当然にAEDを設置しても役立たず、やたら休館日の多い創価村の会館(-_-)社会の役に立たない安普請の見栄張り建物ですね。

管理人さんが居なくなって、会館運営のモラルが低下して、私が牙城会で任務にあたっている時には、会館横の患部専用駐車場?に車内のゴミやタバコの吸殻を大量に捨てて帰る患部が居たり、2010年3月頃の本幹再放にも参加していなかった大患部が、先生の容態もわからず、ひたすら驚いた話をしたりと、今になって思えば創価村社会が既にあの時から瓦解し始めていたと思います。漫然として本幹再放など無視して勝手気ままに組織活動をして根本道場の会館使用を間違えていたという事です。
 

誰か私に聞いた様

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年 9月29日(木)21時43分22秒
  よく文章をお読みになってください~。

まぎらわしかったようですみません。

ではでは~~~
 

誰か私に聞いた様

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年 9月29日(木)21時30分37秒
編集済
  よくお読みになられてください。

○△教会でされている献上ノルマ(の・ようなもの)を外側から聞くと、
こんなボロ儲けはないと思われる、公然の事実です。

それと変わらないでしょうね。このままじゃ


と、ひかり様は書いておられます。○△教会は創価学会の事ではありません。

このままでは、○△教会と変わらなくなるでしょうと・・そういう意味ですよ。

それに度を過ぎた事をやっているのは原田執行部では・・


生涯広布

 

小作人@地上の発心 さま

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年 9月29日(木)20時45分13秒
  その通りですね。
私も時間がなくて整理立てていませんが、昭和54年問題の書籍年表を早急に作ってアップします\(^o^)/
 

(無題)

 投稿者:誰か私に聞いた?  投稿日:2016年 9月29日(木)20時40分29秒
  >宗教団体でお金が絡むノルマ重視は、宗教ビジネスです(投稿者:ひかり(正義の師子同盟)   投稿日:2016年 9月29日(木)15時56分34秒 )<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/57211

 あのう、「○△教会」と「創価学会」は同じですか。
 なんか、度が過ぎません? いつも。
 ちょっと趣旨が違うのでは……。

>ノルマ系の活動は再考すべし!   (投稿者:鉄砲玉   投稿日:2016年 9月29日(木)13時16分58秒)<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/57210
 これには、大いに賛同します……。

 あと、会館のあり方にもメスを入れるべきですね。池田先生がおこしになられる「大会合」の会館建設がいまだ続いています。
 もう、見直すべきです。全国一律で、どこを見てもみんな同じ。
 会員がいつも唱題できる部屋。会員が少人数でも会議ができる部屋。いつでも来られる会館が絶対に必要です。わかるかなぁ……。


 

大石小石さま

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2016年 9月29日(木)20時26分19秒
  細かいことですが、山崎尚見氏の全国婦人部長就任は昭和44年。言論問題の混乱が起きる前。
『花形記者は転んだ』は丸山実(当時「現代の眼」編集長)と坂口義弘(フリージャーナリスト)の共著です。
野崎勲の当該著書は『創価学会の真実』(毎日新聞社)ではないでしょうか?
 

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