「被爆者健康手帳の交付を」提訴相次ぐ
戦時中に長崎市の三菱重工長崎造船所に徴用されて被爆したとして90歳の韓国人男性2人が、市などを相手取って被爆者健康手帳交付申請の却下処分の取り消しを求める訴訟を長崎地裁に起こしたことが支援団体への取材で分かった。近く別の韓国人男性も提訴する。3人は国が求める被爆の「証人」がいないなどの理由で申請を却下されており、支援団体は「被爆者が受けるべき援護を受けられないまま放置されている。本人の証言を重視して手帳を交付するよう訴えたい」としている。
提訴は9月21日付。原告は韓国・釜山在住の金成洙(キム・ソンス)さん(90)と慶尚南道在住の※漢燮(ペ・ハンソプ)さん(90)。2人は昨年、長崎市に手帳交付を申請したが、いずれも被爆の証人が見つからず、市は今年3月に申請を却下した。
訴状などによると、金さんは1938年、福岡県大牟田市の菓子店で働くために来日した後、43年に長崎造船所に徴用された。昨年12月、70年ぶりに長崎を訪れ、被爆の証拠や証人を探したが見つからなかった。
※さんは39年に朝鮮半島から八幡市(現北九州市)に渡り、44年に長崎造船所に徴用された。腰には被爆の際に石などが当たって負傷したという傷痕も残っているが、被爆者とは認められなかった。近く提訴する京畿道在住の李寛模(イ・グァンモ)さん(94)も長崎造船所に動員され、被爆したという。
国内有数の軍需工場だった長崎造船所を始め、戦時中の長崎には多くの朝鮮半島出身者が動員された。長崎市は81年、長崎で被爆した朝鮮半島出身者を1万2000〜1万3000人と推計。市民団体「長崎在日朝鮮人の人権を守る会」は少なくとも2万5000人はいたとみている。
戦後70年を過ぎても相次ぐ朝鮮半島出身者による提訴の動きについて、長崎市の市民団体「在外被爆者支援連絡会」の平野伸人共同代表は「自らの意思に反して右も左も分からない長崎造船所に徴用された人たちに被爆の証明を求めても不可能だ。徴用や被爆状況を解明する責任は行政にある」と指摘する。【樋口岳大】
※は「なべぶた」に「裴」